近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真1がここに入ります。(下は例)>香蘭社の内部写真 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

佐賀県西松浦郡有田町編

有田異人館(同左)
有田町 明治9年(1876)
木造/2階建 円宗籐左衛門 他数名
県指定重要文化財/04.2/個人所有/静態保存(宿泊所)
 擬洋風建築と言われる建物は全国でも数多くありますが、それらの中でも特にオリエンタルの香りを強く感じさせる建物です。屋根のせり出し方が小さく見えるのは、道路拡幅によるカットが行われた結果です。
 有田という磁器の町がなせる技か、大工の方々の個性が発露した結果なのか。陶磁器・チャイナを世界に送り出した有田という地域性を考えると、中国に対する敬意が現れた結果と考えることもあながち間違いではないでしょう。(21.)

香蘭社深川家(同左)
有田町幸平一丁目 明治10年(1877)
木造/平屋建 不詳/不詳
/04.2/個人所有/個人宅(同左)
 近世の日本式手法には見られない引き窓と海鼠壁の組み合わせは、大工人の試行錯誤が現れた結果によるもの。まさに擬洋風建築の典型たる作品のひとつです。
 工場・陳列施設・倉庫群の奥に位置した建物で、住居として用いられています。来客者用の駐車場から見える建物のシルエットは、見る人に有田の存在感を与えるには十分なインパクトを持っています。長く使われ続けてほしい建物といえます。(21.)

陶山神社鳥居(同左)
有田町大樽二丁目 明治21年(1888)
磁器製鳥居 製造人・岩尾久吉
角物細工人・金江長作
丸物細工人・峰熊一
国登録有形文化財/04.2/陶山神社/鳥居(同左)
 有田が世界に誇る陶器で出来た鳥居。これを見なければ「有田」を見たことにはならない、かもしれません。
 丸や四角の形を焼き物で表現することには、ヒビや縮小率などを考慮しながら造る必要があり、ましてやそれで鳥居の形を作ることには想像を遙かに上回る高度な技術を要することは、論ずるまでもないでしょう。そんな奇跡の作品がここにはあります。是非一度ご覧になることを強くお薦めいたします。(21.)

JR上有田駅(中樽貨物駅)
有田町中樽一丁目 明治30年(1897)
木造/平屋建 不詳/不詳
/06.8/JR九州(同左)
 国道にも近い位置にありながら、どこか静かな駅前ですが、電車の来る時間帯になると人がわらわらと現れます。それもそのはずで、実は有田駅前よりもこの駅からの方が有田の重要伝統的建造物群保存地区に近く、また住宅地区にも近接しています。
 駅の建設年代には諸説あり、貨物駅として設置された年(明治31年)より建物の建設年代が早いという記録があります。これの原因については判然としていませんが、どちらにせよ典型的な明治の木造駅舎としての諸形式を良好に留めており、非常に重要な施設です。有田の街を訪れる際には、こちらからどうぞ。(建物財産標.)

香蘭社陳列場(同左)
有田町幸平一丁目 明治38年(1905)
木造/2階建 海軍技術者/某社(福岡)
/04.2/香蘭社/商店(同左)
 佐世保海軍の技術者が設計を行った建物といわれていますが、正確なことは分かっていません。陳列スペースとして作られ、現在も現役の施設です。近年の陳列スペースは空間の確保に重点が置かれていますが、この施設は少人数の見学に焦点を合わせ、変化を持たせた床面構成で商品を様々な角度から見せることで購買意欲を高めようとさせています。その手法に異論はあるでしょうが、現代の展示方法に対するアンチテーゼとして今この存在は看過できないものとなっています。(21.)

有田陶磁美術館(旧陶磁器倉庫)
有田町大樽一丁目 明治41年(1908)
木造/平屋建 不詳/不詳
/04.6/有田町/展示施設(倉庫)
 商工会議所の敷地内にあり、白色系の石で外面を構成している元倉庫です。現在は有田製陶磁器の展示施設として使用されておりますが、このように商工会議所の状況によっては(自動車に周囲を埋められることで)美術館として敷居が高い印象を受けてしまう状態となっています。佐賀県ではこの建物が県下第1号の美術館ということになっているようです。
 外壁の白さが印象に残りますが、構造としては木造の建物だそうです。独特な雰囲気は陶磁器の街を彩る要素となっています。(21.)

深川製磁事務所(同左)
有田町幸平一丁目 明治期
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
/04.2/深川製磁/事務施設(同左)
 陳列場に併設してたてられている工場と事務所建築。竣工期は明治とされていますが、正確なことは分かっていません。矢羽根状の窓の意匠は隣接した陳列場にも用いられ、景観の連続性を保たせています。
 表通りに近接しているにもかかわらず、事務施設と工場があるという姿は有田特有のものといえるでしょう。日本の有田に中国伝来の陶磁器、表通りには洋風建築というある意味インターナショナルな町並みが有田の独特な町並みを形成しています。これが陶器市のにぎわいを呼ぶ一因になっているのかもしれません。(21.)

岩尾磁器工業事務所(同左)
有田町上幸平一丁目 大正期
木造/3階建 不詳/不詳
/04.6/岩尾磁器工業/事務施設(同左)
 有田の表通りからひとつ奥の路地、工場施設に隣接してのびのびとそびえる建物です。路地の狭さからその姿はある種異様であり、威厳があり、少し離れるとアンバランスさに親しみやすさを覚えます。
 隣接する路地は俗に言う「トンバイ塀」を見ることのできる街路であり、生活道路として、また有田伝建地区の回遊性にも一役買っています。周囲には歴史ある建物が今も多く残っており、この建物もそれらの中のひとつです。(21.)

喫茶店モナミ(不詳)
有田町幸平二丁目 大正期〜昭和期か
木造/2階建 不詳/不詳
/04.2/個人所有?/商店(不明)
 この有田内山周辺は木造3階建て建物や気概を感じさせる洋風建築が数多く残っています。そんな中で主要報告書に記載されていない建物であるにもかかわらず、敢えてこの作品を紹介するのはなぜかと言いますと、この作品は現在の使用方法がはっきりしているから、ただそれだけです(笑)。
 1階部分は喫茶軽食店となっています。相応の改造は行われていますが、暖炉が残るなど、時代性を未だ十分に感じさせる(どちらかといいますと、昭和30年代色の方が当然強いものですが)造りをとどめています。
 有田の観光化が進むなか、使用方法がこれ以上悪化することはないかとは思いますが、駐車場になる危険性は否定できないようにも感じました。車社会の宿命の一つといえます。

今右衛門窯工場(同左)
有田町赤絵町一丁目 昭和初期
木造/3階建(一部2階建) 不詳/不詳
/04.2/今右衛門窯/工場(同左)
 水色の外観は同じような建造物が建ち並ぶ有田の中でかなり目立つものとして写ります。この建物の奥には煉瓦造の煙突をはじめとした工場群が配列されています。
 有田の建物配列は工場を併設している建物が多いせいか、表通りから奥までの長さが広くとられており、表通りと工場とが近接している一因となっています。来訪者は工場と陳列施設とを同時に見学することができ、産業観光を取り入れるとすればここは理想的環境にあるといえます。(21.)

三光堂商店倉庫(右側の建物・同左)
有田町赤絵町二丁目 昭和5年(1930)頃
木骨煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.2/個人所有/倉庫(同左)
 煉瓦造りの倉庫建築として近代化遺産報告書には記載されています。竣工時期は定かではありませんが、鉱滓煉瓦を使用した洋風倉庫建築の意匠を忠実になぞった典型のひとつといえます。
 隣接する消防器具格納庫と同じく、街並みを形成する重要なエレメントを構成している施設のひとつといえます。現代には失われた窓枠や軒のラインのささやかな意匠が町並みの中で統一されていることが、伝統的建造物群保存地区として認められ、保存され続けている由縁なのだと思います。(21.)

鶴田陶器(同左)
有田町泉山一丁目 昭和6年(1931)
木造/3階建 前田鉄一
/04.6/鶴田陶器/商店(同左)
 有田の小売中心街からは少し離れ、どちらかというと人も少なげなところに位置する建物。しかし本格的な2階建構造と隣接する続き屋3階建は、おそらく有田のどの位置にあっても格調ある建物として多く紹介されているものと思います。なまじ交差点部分に近いため、道路が広く撮られていることからよけいにその存在を大きく感じます。
 後述する建物群と同じく道路拡幅時に作られたものです。往時の有田の力量を伺わせる立派な造りであり、地域の財産といえるでしょう。(21.)

篠英陶磁器(同左)
有田町上幸平一丁目 昭和6年(1931)頃
木造/3階建 不詳/松尾時次
/04.6/民間所有/商店(同左)
 有田の街並みで一番驚くべきところは、木造3階建て建築物が非常に多いことです。しかも、そのほとんどが表通りにあります。
 一般的な戦後の都市発展は道路拡幅とともにあると言って過言ではありません。その結果多くの代表的建築が取り壊されることになり、結果として日本の大多数の表通りには見目新しい建物が建ち並び、伝統・格式といったものがあまり見られない結果に陥りました。
 有田ではその拡幅を戦前に行っていることで、このような建物を表通りから拝見することができます。この建物はちょうどその道路拡幅の時期と前後して造られたものです。機能性と表現意匠が上手く融け合わされたなかなかの作品ではないでしょうか。(21.)

銘品堂(旧名古屋伊勢九九州支店)
有田町幸平一丁目 昭和8年(1933)頃
木造/平屋建 不詳/七田(大工)
/04.2/個人所有/商店(同左)
 同じ敷地内にある和風建築の付属施設として作られた3階建ての建物。陸屋根であるにもかかわらず、周囲の景観にあわせて縁の部分に瓦を配しているところに建物としての美しさを感じさせます。
 現代の三階建てビル建築と比べると、彩色的には地味に見えるかもしれません。しかし黄土色と緑の組み合わせはそのまま有田の陶磁器文化を彩る主要構成物となっており、この建物も有田の地域性を十分に表している建物であるといえます。建物ひとつをとって見てみても、伝統的建造物保存地区の建物はその地域を雄弁に語ってくれる何かがあります。(21.)

深川製磁陳列場(同左)
有田町幸平一丁目 昭和9年(1934)
木造/3階建 不詳/不詳
/04.2/深川製磁/商店(同左)
 金色に光る深川製磁のマーク、階ごとに意匠の異なる窓枠、そしてスクラッチタイル。設計者の創意工夫にあふれた有田式洋風建築の代表作と言えます。増築部とあわせるとかなりの奥行きを持った建物になっていますが、元々はもっとコンパクトな内部構成になっていたのでしょう。
 内部は昔ながらの高級感あふれる木造建築の雰囲気が今も残り、伝統の重みからひとつひとつの商品に説得力を持たせているのだな、と感心させられました。
 、、、当然買わなくていいのにぐい飲みを買ってしまいました。みなさん、雰囲気のある陳列場には要注意です(笑)。(21.)

有田町第1分団第3消防器具格納庫(同左)
有田町赤絵町二丁目 昭和15年(1940)頃
木骨煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.2/有田町/倉庫(同左)
 ただの格納庫、といえば確かにそうです。赤煉瓦と鉱滓煉瓦のコントラストによって少しの趣・意匠はあるものの、B級建築のそしりを免れることはないでしょう。しかし雰囲気のある町並みというものは、このような建物が組み合わさっていくことで完成しているのだと思います。そういった意味でこれからも残されていくべき作品です。
 建物は単品で考えていくと、どうしても周りとの調和を乱してしまいがちです。シャッターひとつとってもこの作品は配慮というものに対してよく考えていると思います。(21.)


戻る