近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>ビーコンプラザ・グローバルタワー 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

大分県別府市編

千辛万苦の場(旧旅館若松屋旧屋)
別府市上田の湯 江戸時代末期
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
市指定史跡/04.4/別府市/静態保存(旅館)
 明治の元勲・井上馨が長州藩時代に政敵によっておそわれ、負傷した際、ここ別府に逃れ傷を治しながら雌伏の時を過ごしました。この建物はそのことを記念するためここに移設されたものです。
 別府市中央公民館の敷地内にあり、災害でも発生しない限り、ここに保存され続ける建物でしょう。建物としては江戸期の温泉旅館の間取りを伝える貴重な例と言えます。とはいえ、この単体だけでは、なかなか当時の雰囲気は分からないのでは、と個人的に思います。(現地プレート.)

JR亀川駅(同左)
別府市亀川浜田町 明治44年(1911)
木造瓦葺/平屋建 不詳/不詳
/06.2/JR九州/交通施設(同左)
 別府の市街地からは若干離れた亀川温泉街の玄関に位置する建築。かつては別大電車の北の終点でもあったため、乗降客数と比較すると大げさすぎる規模の建物と駅前広場を持っています。
 駅舎の歴史は古いのですが、現在この駅周辺では東西自由通路の新設に伴う駅周辺の整備事業が行われている最中で、駅舎の歴史も既に風前の灯火と言っても過言ではないでしょう。観光都市別府の北の玄関として、新旧併設型でいいですから、この木造駅舎を遺すわけにはいかないでしょうか。

旧川渕酒店(同左)
別府市 大正期か
木造/2階建 不詳/不詳
/06.2/民間/住居(商業施設)
 飾り付け次第で古い建物もそう見えなくなってしまうという、わかりやすい事例と言えるでしょう。建物右側と左側とはそれぞれ同じ施設であることは間違いないのでしょうが、窓に取り付けられた三角ペディメントを取り外し、窓のサッシを現代風にアレンジしてしまえば、もう見た目には古い建物だとは分かりません。
 別府は空襲の被害を受けなかったため、現在でも比較的多くの近代建築を見ることが出来ますが、現在それらの多くが急速に取り壊され続けています。もう少しだけ気にかけて貰いたい、と思うのは何も建築好きだからだけではないと思うのですが、、、

田の湯館(旧松永万八別荘)
別府市田の湯 大正3年(1914)
木造/3階建 不詳/不詳
2009年解体/04.4/田の湯館/旅館(住宅)
 破風ともオランダ切妻ともつかない、屋根に残る意匠が特徴的な建物。見た感じから推定すると、外観は窓周りを除けばそれほどの変更点もないようで、木造3階建ての建物として温泉町別府の中でも特に貴重な存在です。
 周辺では拡幅が行われており、この建物は解体されることはないと伺っていたのですが、やはり解体の憂き目にあってしまいました。浜脇温泉をはじめとして、地元による保存運動の甲斐もなく、別府では近年多くの貴重な建築物が取り壊されています。温泉町の風情という財産をみすみす失っているように私には見受けられます。(0.)。

中山別荘(和田別荘「致楽荘」)
別府市山の手町 大正9年(1920)
木造/2階建 あめりか屋/渡邉源四郎
2006年12月解体/04.10/民間/住居(商業施設)
 別府の中でも特に広大な敷地を切り取り、そこだけが緑の森となっている空間がありました。その中にぽつりと建てられている洋館は、大分紡績設立にも関わった和田豊治の別荘として建てられました。
 長らく個人所有でしたので中にはいることも出来ないため、この写真、ビーコンプラザの塔屋から俯瞰したものです。しかし、現在はこの建物も跡形もなくなってしまいました。この広大な敷地が徒となり、現在は複合型ロードサイド商業施設が建てられています。その建物は、ここに建てなければならなかったのでしょうか、残念です。(a.31.)

野口病院(同左)
別府市野口中町 大正11年(1922)
木造洋瓦葺/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.4/野口病院/病院(同左)
 グレーの外壁に赤いトンガリ屋根、オランダ切妻にハーフティンバー的意匠と見るところが非常に多い建築です。現在でこそ周囲にマンションなどが建ち並び、目立ちにくくなってはいますが、竣工当時はランドマークとしての存在感を十分に発揮していたことでしょう。
 北九州の炭鉱王であった佐藤慶太郎が主治医の開業に際し資金を提供して作られたものです。現在でも甲状腺疾患の病院として最先端の治療技術を持っているとのこと。(31.) 

京都大学理学部付属地球熱学研究施設(同左)
別府市野口原 大正13年(1924)
煉瓦造/2階建(半地下1階) 永瀬狂三/不詳
国登録有形文化財/04.4/京都大学/研究施設(同左)
 ビーコンプラザというやけにばかでかい建物のおかげで少々スケール感が失われつつある建物ですが、美しさとインパクトでは決して負けていません。中央の塔が権威を高め、玄関アーチ部に至るまでの半円窓が装飾性を際だたせています。
 別府という街の特性である温泉を研究する施設。京都大学はここの他にも阿蘇に研究施設を持っており、ここもすばらしい文化財となっています。研究施設ひとつとってみても、かつて大学という存在がどれだけ地域に貢献してきたかと言うことを顕著に伝える好例です(31.)

駅前高等温泉(同左)
別府市駅前町 大正13年(1924)
木造/2階建 不詳/不詳
/04.4/民間/温浴施設(同左)
 ハーフティンバーの北欧風意匠がやたらに目立った建物で、温泉街の中でも特に異色の色合いを見せています。周辺の道路は石畳に舗装され、また建物の全面には手洗い用の温泉もわき出ており、周囲にはちょっとした休息所的空間が形成されています。
 別府市の特色である温浴施設として長い間使用され続けてきた貫禄ある施設で、現在でも宿泊ができます。古い建物だからといって特別扱いすることなく、変わらぬ使用方法で市民に親しまれていることを思うと、建物自体も実に誇り高き印象を与えるように感じます。(32.)

別府市中央公民館(旧別府市公会堂)
別府市上田の湯町 昭和3年(1928)
鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造)
/2階建(地下1階)
吉田鉄郎/溝口組
/04.4/別府市/公民館(公会堂)
 目にする面によってその相貌をかなり変えていくおもしろい構造をしています。正面からは設計者特有の縦に伸びるアーチ窓を主体とした四角の立面が写りますが、裏に回ると教会建築のような切妻の壁面と煉瓦壁が迫ります。「一粒で二度美味しい建築」とはこの建物のようなことを言うのでしょうか(笑)。
 公会堂として建築され、現在でも現役の施設として用いられています。何かのイベントの時には一度訪れてみてはいかがでしょうか。内部も見所が詰まっています。(31.)
 
別府市児童館(別府郵便電話局電話分室→別府市庁舎別館)
別府市末広町 昭和3年(1928)
鉄筋コンクリート造/2階建 吉田鉄郎/金子仙吉
/06.2/別府市/飲食施設(住宅)
 関西と別府とのつながりを顕著に示す建物のひとつ。関西を中心として活躍した吉田鉄郎の建物を九州で見ることの出来るのは、ここ別府だけと言って過言ではないでしょう。
 分離派・逓信省建築として評価される作品で、京都の電信局と共通する部分も多い建物です。雨樋の意匠など、それまでの様式にとらわれず新たな「伝統」を築き上げようとした、当時の建築家の熱い心を知ることが出来ます。別府にはまだまだ可能性に満ちた近代が遺っています。(a.31.)

田の湯館管理棟(旧松永万八別荘)
別府市田の湯 昭和3〜4年
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
2009年解体/04.4/田の湯館/不詳(住宅)
 隣接する田の湯館の本館に呼応するように建てられている建物。本館と同一の配色がなされていますが、別館の特色として2階部上部のハーフティンバー的意匠や窓枠の桟が現在も残っています。道路の拡幅に伴って惜しくも、取り壊されてしまいました。
 地域の痕跡を示す近代化遺産は常に解体の危険性にさらされ、道路拡幅はその際たるもののひとつといえます。道路拡幅の重要性は十分分かりますが、それによって失われるものの補償はいったい誰が行ってくれるのでしょうか。また、それによって得られる利便性は文化財の価値と天秤にかけて、どちらが重いのでしょうか。非常に考えさせられる事実がここにはあります。(0.)

聴潮閣主屋・洋館(旧高橋邸)
別府市青山町 昭和4年(1929)
木造瓦葺/2階建(洋館平屋建) 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.4/個人所有/飲食施設(住宅)
 残念、というか遺憾といいますか、近代化遺産調査報告書にこの建物のことがいっ全く記載されていないため、ここで詳しい情報をお伝えすることができません。ネットにある情報によると、もともとは地元有力者が住んでいた邸宅で、移築によって現位置にあるとのこと。この写真からは見えにくいですが、近代和風建築特有の小規模洋館が敷設されています。
 現在は食事も行える施設として営業している模様。一度ゆっくりできる機会があれば、是非立ち寄りたい施設のうちのひとつです。(a.) 

旧小百合愛児園(旧病院)
別府市浦田 昭和5年(1930)
木造/2階建 不詳/不詳
/06.9/宗教法人/宗教施設(医療機関)
 日豊本線沿線から見える比較的大規模な洋館。海側から見える外観はなかなかの威厳を持っており建築好きならずとも気に掛かる建物ではないでしょうか。外観の特徴はやはり、ハーフティンバー調に仕上げられている壁材のデザインにあるでしょう。
現在の用途としてはキリスト教系の施設であるようですが、元々は医院建築であったとのこと。これからも使用され続けて欲しい建物のひとつです。(0.)

浜田温泉資料館(同左)
別府市亀川浜田町 昭和10年(1935)
木造瓦葺/平屋建 池田三比古/不詳
/06.2/別府市/静態保存(温浴施設)
 別府の中でも亀川の温泉街は一種独特の風貌を持っています。湧出量世界一の雰囲気を感じさせないというのか、温泉街が完全に日常の一部と化していると言うべきか。そんな中で一種独特な風貌を呈しているのがこの浜田温泉です。
 一時取り毀されることを前提として、向かい側に近似した建物を新設。現在温泉はそちら側で使用されており、この建物は資料館となっています。解体され廃棄される予定であった建物は個人の篤志によって復元することが出来ました。その英断に拍手するほかありません。(31.現地資料.)

市営竹瓦温泉(同左)
別府市元町 昭和13年(1938)
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/06.2/別府市/温浴施設(同左)
 元々竹の皮で屋根が葺かれていたことに由来する名前の温浴施設。昭和期に入って改築され、このような和風二階建ての大規模建築になり現在に至っています。近年文化財登録されました。
 周辺部には現在も多くの古建築が残り、それらの中には近代建築のたぐいも混じっているようです(詳細に巡っていないのが残念!)。
 周辺は現在も歓楽街にありますが、この建物のすぐ隣に風俗店が目建ち並び、写真の撮りにくいことといったらありません。観光都市別府として観光名所と風俗店との棲み分けが現在重要な問題となっています。(31.) 

別府タワー(同左)
別府市北浜三丁目 昭和32年(1957)
鉄骨造塔屋 内藤多仲/不詳
国登録有形文化財/06.2/別府観光開発/余暇施設(同左)
 周囲にはビルが建ち並んでいるもので、それほど高くないものかな、と個人的に何となく思っていたのですが、高さはちょうど100メートルあるそうです。内藤多仲が設計したタワーの中でも東京タワーより早く造られたもので、竣工50周年を迎えた2007年に国文化財に登録されました。古き良き昭和の時代性を色濃く反映したタワーデザインに、少なからず親しみを覚えます。
 多の観光地でも同じようなタワー建築が建てられましたが、数度の好景気あるいは不景気の中での老朽化に伴って次々と取り壊されました。別府タワーの例外ではなく、経営母体の交代などで何度も取り壊しの危機に遭いましたが、多くの方々の愛着によって現在も見ることが出来ます。(c.)
 


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