近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>マイントピア別子 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

愛媛県新居浜市(別子銅山・端出場地区)編

中尾隧道(同左)
新居浜市立川町707−3 明治26年(1893)
煉瓦造トンネル 不詳/不詳
/10.07/マイントピア別子/交通施設(同左)
 19世紀に造られた鉄道関連施設でとりわけトンネルは現存する例が少なく、この施設は現在も鉄道が通っているという点で日本国内に希少な産業遺産と言えます。
 この煉瓦造トンネル、乗っている人には存在感を以てアピールしているのですが、いくら低速とはいえ移動しながらトンネル内部を撮影することは結構難しく、だからといって外から撮るには、少々木々が伸びすぎており、どうにも撮りやすい場所がない、、と思っていたのですが、撮影場所をちゃんと探していなかった自分の責任であった事が再訪ではっきり分かりました。いやはや。(17.27.) 

端出場鉄橋(別子鉱山鉄道足谷川鉄橋)
新居浜市立川町707−3 明治26年(1893)
ピントラス鉄橋 小川東吾/ドイツハーコート社製
国登録有形文化財/03.12/マイントピア別子/交通施設(同左)
 別子銅山の最後の中心であった端出場地区を今に伝える鉄橋。山林の中に在る赤い鉄橋は、実にめざましく映えており、生命力あふれる明治の勢いを感じさせます。
 別子銅山の閉山後、しばらくは使用されていない状態が続きましたが、端出場地区に道の駅として「マイントピア別子」がオープンすると、観光鉄道として再び脚光を浴びることとなりました。1200円(観光坑道見学込みの値段)と少々高めですが、ここでしか味わえない鉱山鉄道の雰囲気を味わっておくのは、決して損ではないと思います。(17.27.現地プレート.) 

煉瓦水路(同左)
新居浜市立川町 明治38年(1905)
煉瓦造水路 不詳/不詳
/05.10/住友林業/静態保存(水道施設)
 マイントピア別子の敷地内から見ることのできる水路。坑内から発生した水は鉱毒の原因となるため、緩流区域では木製の水路を、このような急斜面では煉瓦造の水路が作られ、土壌が鉱害によって汚染されることを防いでいます。
 こういった細々とした配慮の積み重ねが、別子銅山に足尾のような悲劇を生まなかった奇跡(それは本来、奇跡と呼ぶべきものではないですが)を起こした源流があります。住友グループは公害から新居浜を守り、現在は地域の振興に力を注いでいます。それらは、決して生半端な努力ではないでしょう。(27.) 

旧端出場水力発電所(同左)
新居浜市立川町594 明治45年(1912)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/03.12/新居浜市/静態保存(発電所)
 大自然に抱かれた煉瓦造建築としては、かなり大規模なものです。かつては別子銅山の電力を担うべく水力発電所としてフル稼働していた建物ですが、使用停止後現在新居浜市が所有しています。
 発電所の中では当時使用されていた発電設備が現在も保存されています。産業考古学としてのポイントはそのことと、水車室が保存されていることと言えます。マイントピア別子はこの建物をモチーフにして造られているそうです。現在公開されていない建物ですが将来的な含みも残されており、今後の動向が気になります。(17.27.) 

     旧第四通洞坑口(同左)
新居浜市立川町 大正4年(1915)
煉瓦造(坑口付近) 不詳/不詳
/03.12/住友金属鉱山/静態保存(鉱業施設)
 坑口の形式としては、JR本線によくある明治製の鉄道トンネルにも近似していますし、炭鉱のそれにも当然ではありますがきわめて近似しています。なかなか気づきにくいところですが、坑口ファサードの上には神棚が現在も置かれています。山の神を信奉する人々の思いが現在も息づいているようです。
 ただ、、この坑口の直上に道路が貫通しているのには、大胆というか、恐れ知らずというか、何とも言い切れない思いを感じます。一種矛盾した配慮というべきでしょうか。いやはや何とも、です。(17.27.)

旧四通橋(同左)
新居浜市立川町 大正8年(1919)
トラス式鉄橋 不詳/不詳
/03.12/住友金属鉱山/静態保存(鉱業施設)
 かつての鉄道模型によくあるような、典型的トラス式鉄橋です。周辺部分は芝生広場(と通路)になっています。私たちがここを通行することはできませんが、周辺を散策することで雰囲気は感じることができます。
 マイントピア別子のどちらかというと端の部分にあって、あまり整備が行き届いていない部分であることもあってか、廃線の趣を色濃く残しています。そこが観光列車に生まれ変わった打除鉄橋との大きな違いとなっています。周辺が順次整備されることで失われたテイストを、ここで味わうことができるという点では実に上手い戦略ではないか、などと勝手に考えています。(17.27.) 

端出場貯鉱庫(同左)
新居浜市立川町 大正8年(1919)
鉄筋コンクリート造貯鉱施設 不詳/不詳
/10.07/住友金属鉱山/静態保存(鉱業施設)
 駐車場に隣接したところに位置した遺産で、気になる方には当然気になる物件なのですが、他の施設の方がどうしても見栄え良いため、若干損(?)をしている産業施設。その名の通り、銅鉱石を一時貯蔵するために作られた施設です。端出場地区の大部分はマイントピア別子という観光施設になり、俄然地域の産業遺産に関する注目度を増しましたが、さしたる変化もなく、かろうじて案内板のみがこの構造物の由来を伝えます。まあ、ちょっとくらいミステリアスな方がこの手の施設はありがたみが増すのかもしれません。(17.)

泉寿邸特別室棟(同左)
新居浜市立川町707−3
(新居浜市北新町)
昭和12年(1937)
木造瓦葺/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.12/住友林業/静態保存(余暇施設)
 別子銅山の倶楽部建築のひとつであった泉寿邸の一部を、道の駅・マイントピア別子のオープンを期に一部移設復元したものがこの施設です。
 移設の際にはかなり改修が施され、縁側がガラス張りになっている状態には一抹の困惑感をぬぐえないですが、建物自体には何だかほっとするような印象を持ちました。倶楽部建築とは、本来そういったものであるべきなのでしょう。肩肘張らない雰囲気を持つ建物です。(17.27.) 


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