近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

愛媛県新居浜市(新居浜地区)編

広瀬歴史記念館・広瀬邸(広瀬宰平邸)
新居浜市上原二丁目10−42 明治10年(1877)
(明治22年庭園・屋敷増築)
木造/2階建 不詳/不詳
国指定重要文化財/05.11/新居浜市/静態保存(住居)
 別子銅山の支配人で、後に住友財閥の番頭役も勤めた広瀬宰平氏の住居として建てられた施設で、明治23年の別子銅山二百年祭に合わせ住友家当主が別子を訪れる際、その逗留所として増築が行われました。
 基本的には近世からの流れを引き継ぐ和風建築ですが、洋式便所や避雷針など西洋の文化を逐次吸収していった工業都市が故の進取の気性を感じさせる、なかなかの名建築です。平成15年に国指定重要文化財となりました。(住友グループ広報委員会サイト.27.) 

旧山根精錬所煙突(同左)
新居浜市立川町 明治21年(1888)
煉瓦造煙突 不詳/不詳
/03.12/住友林業/静態保存か(精錬所)
 端出場地区から市街地に帰る道沿いに見えてくる構造物。こんもりとした山の頂付近に、ひょっこりと煙突だけがのびているので、いったい何かと考えてしまいます。この地では明治期に銅の精錬が行われており、この遺構はそれを示す数少ないもののひとつです。
 銅の精錬に関しては、かの有名な足尾銅山の問題に見られるように、明治38年には公害問題からこの地から遠く離れた瀬戸内海上の四阪島に移転しました。ここ別子銅山では公害問題が大きく問題化することなく、現在に至ることになりましたが、この煙突は現代の私たちに公害問題の重要さを教え、警告し続けている象徴的なモニュメントではないでしょうか。(17.27.) 

別子一号機関車(同左)
新居浜市立川町 明治25年(1892)輸入
蒸気機関車 不詳/ドイツ・クラウス社製
/03.12/住友林業/静態保存(機関車)
 住友鉱山が銅鉱石輸送に鉄道を導入する際、最初に輸入され上部鉄道で使用されていた機関車が、現在別子銅山記念館に隣接した大山積神社に安置されています。この時代に作られた蒸気機関車が残っている例は数少なく、まして日本最初の山岳鉄道で運転されていたものとなると、放っておく訳にはいかないでしょう。
 近年覆いが設置され、雨風による被害はある程度防げるようになりましたが、このように写真を撮るときに少々やっかいになったといえるかもしれません。(27.b.) 

別子鉱山鉄道下部線跡(同左)
新居浜市 明治26年(1893)
不詳/不詳
/03.12/住友グループ/
 鉱山の輸送手段の一つとして敷設された鉄道。一時期は旅客鉄道としても利用され、電化設備も整った地方鉄道として多くの方に利用されていました。
 過疎化やモータリゼーションの発達、そして別子銅山の閉山によって長きにわたる鉄道の歴史を閉じた遺構ではありますが、近年は産業観光の一環として鉄道再評価の動きも見られます。
 廃線をただ懐かしむだけでなく、観光鉄道として復活の可能性もあるかもしれません。そのときを待っているかのように、利用されないままの空き地は海に、山に向かっています。(17.27.)

住友不動産株式会社(旧住友別子病院)
新居浜市惣開町 明治32年(1899)
木造/2階建 不詳/不詳
/03.12/住友グループ/事務施設(医療機関)
 新居浜の工場群に近接し、現在は関連企業が入居していますが、元々は住友の病院施設であったようです。病院本館設備として戦前は使用、戦後事務施設に転用する際多少の改修が行われた模様です。
 建物の基礎には鉄筋コンクリートが用いられており、これは県内でもきわめて初期の使用例といえるのではないでしょうか。当時の住友グループが持っていた技術力の高さを今に伝える重要な遺構のひとつでしょう。(17.26.27.)

住友化学愛媛工場歴史資料館(旧住友銀行新居浜支店)
新居浜市惣開町 明治34年(1901)
木造瓦葺/平屋建 住友臨時建築部/住友臨時建築部
/03.12/住友化学/資料館(銀行)
 さて、この建物の元は銀行であったということですが、周囲には工場ばかりのこの位置にあっていったい誰が銀行を利用するのかと、私自身疑問が浮かんでましたが、元々の市街地はこの部分であったとの展示をここで見ることが出来ました。。
 現在は住友化学の敷地内にあり、歴史資料館として利用されています。社史編纂などでの資料室としての活用が主であるようで、展示内容はなかなか骨がありますが、いつでも見ることが出来る、とは言いづらいようです。(17.27.)

広田建設社屋(惣開郵便局)
新居浜市惣開町 明治期
木造瓦葺/平屋建 不詳/不詳
/03.12/広田建設/事務施設(同左?)
 住友グループの工場群の中でぽつりとある建物。見るからにメンテナンスがなされていなさそうな木造建築で、古くからこの位置にあった建物だろうと容易に推測できます。後で聞いた話によれば、この建物は郵便局であったとか。建物としては、入り口部分の出窓構造に大きな特色が見られます。
 市街地の中心はかつてこの位置にあったと言います。工場の拡張などによって取り残された感のある施設。住友資本が昔からここにあり、近代という時間を土地と共に生きてきたことを示す足跡のひとつといえるでしょう。(27.) 

旧別子鉱山鉄道星越駅(同左)
新居浜市星越町 大正14年(1925)
木造/平屋建 不詳/不詳
/03.12/住友金属鉱山/工業施設(交通施設)
 星越の職員住宅に近接した位置にあり、鉱山鉄道がここにあったことを現在に伝える重要な生き証人。現在は新居浜選鉱所の敷地にぽつんと残っています。コロニアル風で簡素な仕上げになっている外観は、素朴ながら駅舎としての美しさを十分に保っています。
 玄関部上にある飾り窓には住友マークをあしらった簡素な装飾が施されています。企業鉄道・産業鉄道の象徴のように、私には誇らしく感じました。(17.27.) 

新居浜選鉱所(同左)
新居浜市王子町 大正14年(1925)
木造?/主に平屋建 不詳/不詳
/03.12/住友金属鉱山/工場(同左)
 一見廃墟のように見える建物群ですが、どっこいまだまだ現役の選鉱所です。全体的にトタンが葺かれ、外壁もトタンのようですが、写真などを寝る限り、竣工当時は木造であったと推測します。(17.27.) 手前側にはかつて別子鉱山鉄道があって銅山からの鉱石がどしどし運ばれていました。往時の活気は失われていますが、目を閉じて耳を澄ますと何か聞こえてきそうな雰囲気は今も健在です。2010年夏に解体されるとのこと。もったいない景観といわざるを得ません。(27.)

星越山田地区社宅群(同左)
新居浜市星越町 昭和初期
木造/平屋建 不詳/住友別子鉱山土木課
/03.12/住友グループ/住宅(同左)
 一軒一軒をこのように撮っていると、単なる古くからある家並みといった印象以上のものを与えることはできない(きれいな街並みではありますが)ですが、これが大規模に広がっていると感銘深いものがあります。
 星越町にある社宅群は現在別子銅山関連で現存している社宅の中でも特に大きなものとして、多くの書籍に紹介されています。周辺には鉱山鉄道や倶楽部建築も残っており、社宅の中でもステータスの高さを伺える便利な場所に位置しており、それゆえに今後開発の波がおそってくるのではないかと危惧しています。(17.27.)。

住友研修センター(住友倶楽部)
新居浜市王子町 昭和11年(1936)
木造瓦葺/平屋建
(一部2階建)
長谷部・竹腰建築事務所/
藤木工務店
/03.12/住友グループ/余暇施設(同左)
 甍の波がとても美しい建物。職員用の倶楽部建築として作られ、現在は一般の方にも解放されているようです。設計者の建築事務所は元の住友臨時建築部で、現在の日建設計の祖でもあります。
 住友発祥の地・別子鉱山のステータスの高さを今に伝えるべく、現在はグループ全体が数年ごとに管理を交代しながら、この芸術品を未来に遺そうとしています。その見識の高さにはさすが名門企業と素直に拍手を送りたいと思います。(17.27.) 

山田地区単身者寮(旧外国人技術者用社宅)
新居浜市星越町 昭和14年(1939)頃
木造瓦葺/2階建 不詳/住友別子鉱山土木課
/03.12/住友グループ/住宅(同左)
 一見する限り、普通の建物のようでもあり、どこか不可解な印象を持ちました。近づいてガレージを見てみると、なるほどガレージに似つかわしくないこった意匠が施されており、古くからある住宅施設であるなと分かりました。
 かつては外国人技術者の住居として使用され、ここから技術者陣が風を切って颯爽と歩いていたのだと思います。現在は二棟が同じように利用され、また保存されています。所々に凝った造りが見受けられ、なかなか見る人を飽きさせません。(17.新居浜市記者発表資料.)



カトリック新居浜教会(同左)
新居浜市西原町一丁目4−6 昭和28年(1953)
木造/平屋建 不詳/不詳
/10.07/宗教法人/宗教施設(同左)
 こぢんまりとした教会ながら、ゴシック風のデザインを正面にしっかり配しています。(カトリック新居浜教会ウェブサイト.)

新居浜武徳殿(同左)
新居浜市徳常町4−6 昭和14年(1939)
木造/平屋建 不詳/不詳
/10.07/新居浜市/文化施設(同左)
 千鳥破風が連続する正面玄関は建物それ自体の(17.)

山根グラウンド(同左)
新居浜市角野新田町三丁目2822−9 昭和3年(1928)
石造/建 不詳/不詳
国登録有形文化財/10.07/新居浜市/(同左)
 ぱっと見ただけでは棚田のように見えるかもしれませんが、こちらはグラウンドの観覧席として建てられた施設で、別子銅山に働く人たちの勤労奉仕によって建てられました。
 (17.)

星越トンネル(同左)
新居浜市 明治37年(1904)頃
煉瓦造トンネル 不詳/不詳
/10.07//(同左)
 (17.)

山根収銅所(同左)
新居浜市山根町 1359 明治38年(1905)
造/建 不詳/不詳
/10.07/住友金属鉱山/(同左)
 (17.)

広瀬邸靖献堂(同左)
新居浜市上原二丁目10−42 大正11年(1922)
木造/平屋建 不詳/不詳
/10.07/新居浜市/(同左)
 広瀬家の先祖代々を祀るお堂として建てられた施設。すぐ近くには広瀬家の神社もあり、明治期にしては珍しく(17.)

広瀬邸馨原文庫(煉瓦倉庫)
新居浜市上原二丁目10−42 大正12年(1923)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/10.07/新居浜市/(同左)
 愛媛県においてはよくある、といっても良い煉瓦蔵のひとつですが、こちらは軒部分の処理方法が他に見られない、かなり特殊なものとなっています。切妻部分中心に向かって、若干煉瓦の積み方を湾曲させながら、少しずつ持ち送っているという造りで、ここだけでも見るべき価値はあるかな、と思います。
 (17.)

大山積神社(同左)
新居浜市立川町 昭和3年(1928)
造/建 不詳/不詳
/10.07//(同左)
 (17.)

別子事業所長住宅(同左)
新居浜市星越町 昭和初期
木造/平屋建 不詳/不詳
/10.07/住友金属鉱山/住居(同左)
 (17.)

たいこ橋(同左)
新居浜市星越町 大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造開腹アーチ橋 不詳/不詳
/10.07/民間/交通施設(同左)
 (12.)

ED104号電気機関車(同左)
新居浜市 昭和25年(1950)頃
鋼鉄 不詳/不詳
/10.07//(同左)
 (17.)


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