近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

大分県豊後高田市編

宇佐参宮タクシー(同左)
豊後高田市新町 大正5年(1916)
木造/2階建 不詳/不詳
/06.2/民間/事務施設(同左)
 すっかり観光地化した感もある旧豊後高田駅の駅舎に面し、駅前の風情を今に遺した施設。木造建築の雰囲気をそこかしこに留めてはいるのですが、前面に張り出したタクシープールの天井のために、建物の存在感が薄れがちとなり、少々残念な例となっています。
 昭和の町としての成功がはっきりするとともに、「それっぽい」近代建築がクローズアップされる事は間違いないでしょう。そのとき、このうっとおしい天井がどうにかして工夫されることを切に願っています。(現地案内.)

旧共同高田銀行(同左)
豊後高田市中央通 大正10年(1921)
鉄骨煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/03.3/民間/倉庫(金融機関)
 川沿いの銀行建築。お約束の展開として角部は面取され、玄関が設けされていたようです。軒部分の過剰な意匠を見る限り、大正というよりも明治期の事務所建築に近いものがあります。左右部は非対称でごちゃごちゃした表現も多く、地元の建築家、あるいは大工による作品ではないかと私は推察します。
 建物解体も計画されていたとのことですが、解体の際に隣の書店を傷つけることが分かったため、たまたま遺されていたという経緯があります。現在活用の動きもあるそうで、楽しみなところです。(31.)

清照別館(旧共同野村銀行)
豊後高田市新町 昭和8年(1933)
木造/2階建 不詳/不詳
/06.2/民間/展示施設(金融機関)
 昭和初期の金融機関の中では結構作り込まれており、玄関部分を中心に装飾がほどよく配置されています。鉄筋建築のように見えますが、それは金庫室の部分のみで、残りは木造となっています。
 地元財閥が設置した金融機関が元々の発祥ですが、昭和戦前期の銀行合併に伴い大分銀行となり、建物は西日本銀行に売却されました。戦後は西日本銀行の支店として長らく営業していましたが、1993年に閉鎖。その後しばらく空き家だったものを現在はギャラリーとして再活用しています。(31.)

旧高田信用組合(同左)
豊後高田市中央通 昭和8年(1933)
木造/平屋建 不詳/不詳
/06.2/民間/不明(金融機関)
 中央通の名前が示すように、この界隈は豊後高田市の中心街に位置していたようです。それを示す建物のひとつが金融機関。この建物の他にも地方銀行や信用組合が軒を連ね、往時は国東半島随一の金融街であった事を想像させます。
 基本は和のスタイルを保ちながら、軒部分に(建物内部にも?)施されたアーチに現れているように、和洋折衷のデザインを用いており、設計者の伸びやかな表現性を感じさせて、好感が持てます。現在は使用されていない模様。(23.)。

昭和ロマン蔵(高田農業倉庫)
豊後高田市新町 昭和10年(1935)頃
木造/平屋建 不詳/不詳
/06.2/JA/展示施設(倉庫)
 右から「庫倉業農田高」と読ませるように、戦前期に造られた農業倉庫です。地元財閥である野村財閥によって造られた建物はその後農協に所有が移り、現在は観光利用されています。
 ただ、倉庫を展示するのではなく、昭和の雰囲気を伝える国産車や電化製品を展示し、また東の倉にはレトロおもちゃを展示する資料館を設けています(有料)。豊後高田の観光中核施設としてこれからも重要や役割を負うことは間違いないでしょう。(現地案内.)

大分交通北部ターミナル(大分参宮鉄道豊後高田駅ホーム)
豊後高田市新町 昭和29年(1954)
木造/平屋建 不詳/不詳
/06.2/大分交通/交通施設(同左)
 ただのバスターミナルと考えると、車の往来に窮屈な敷地構成はいかにも不可解。さらに頭端式のホーム構成と来れば、鉄道マニアにはピンと来るはず。ここは宇佐参宮鉄道の終着駅として造られた鉄道駅舎を利用した施設です。
 年代こそ戦後となるため、文化財としての価値は重要視されづらい傾向にあるようですが、地域の「近代」を示す重要な施設であることは間違いありません。鉄道の雰囲気をそこかしこに伝えており、旅の雰囲気を彩る施設です。(現地案内.)


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