近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

福岡市中央区編


福岡市赤煉瓦文化館(旧日本生命九州支社)
福岡市中央区天神一丁目 明治42年(1909)
煉瓦造/3階建 辰野片岡建築事務所/清水組
国指定重要文化財/04.2/福岡市/展示施設(店舗)
 言わずとしれた辰野金吾の代表作のひとつで、重要文化財に指定されている洋館。銅板葺き屋根(現在は改修の上、スレート葺に復元)、塔屋部、玄関部などは往時の意匠を今も見ることができ、その完成度には感服します。現在は資料館として使用されているため、一般の方でも自由に見学(しかも無料!)することができます。近年改修され、写真にある銅板葺が当初のスレート葺に変更されています。
 今も昔も市街地の中心部にあって、それ故に周囲の建物スケールにあわなくなっている建物でもあり、市街地の開発に問題点を投げかけている建物のひとつでもあります。(0.2.33.65.)

旧福岡市公会堂貴賓室(同左)
福岡市中央区西中洲 明治43年(1910)
木造/2階建 三條栄三郎/岩崎組
国指定重要文化財/04.2/福岡市/静態保存(余暇施設)
 福岡市の中心街にあった県庁の移転に伴い、ぽつりと孤立してしまった建築。建物としての堅実さ、公共建築としての威厳、さらに8角形塔屋に込められた遊び心を併せ持って、地味な色合いから一歩抜け出た優美な作品に仕上げられています。福岡県西方沖地震で大きく被害を受けたものの改修工事の末、一般公開されています。
 周辺部は現在公園になっており、その中には旧県庁で用いられた素材が修景の一部として再活用されています。一抹の感傷に浸らざるを得ませんが、その場所の歴史を見るといった点で非常に配慮された使用法であることは間違いありません。(0.2.65.)

上久醤油煙突(同左)
福岡市中央区大名一丁目 大正9年(1920)
煉瓦造煙突 不詳/不詳
/04.2/ジョーキュウ/工場設備(同左)
 ある種天神地区周辺のランドマークのひとつと言える煉瓦造の煙突。この煙突は天神が現在の商業地に成長する遙か前から醤油醸造業として営んでいた、歴史ある会社のシンボル施設です。大正時代に作られた高さ18メートルの八角形煙突でしたが、福岡県西方沖地震の被害を受け一部倒壊。この結果、天神西地区のどこからでも見える、ということはなくなりましたが、相変わらずの親近感を覚えてしまいます。
 当サイトの写真は一部倒壊前の煙突で紹介しています。一部倒壊後の姿が今ひとつ分からないので、一応色表示では「現存せず」と表記しておきます。残存状況が「現存」に値すると判断でき次第、色表示を修正したいと思います。
 

福岡市立大名小学校(同左)
福岡市中央区大名二丁目 昭和4年(1929)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/04.2/福岡市/教育施設(同左)
 天神地区の喧噪と一線を画して立ち続けている小学校です。両端階段部の上には明かり取りとデザイン製を保った半円形の窓、3階部に長く伸びた軒、横に伸びた構造ながら運動場からは対象形であることをはっきり示す構造など、今時福岡の都心部にこのような近代建築がまだ残っていたとはと感心させられる建物です。
 ここ福岡では近代建築の扱いがかなりぞんざいで、いくつかの重要な建築を除くと近年どんどんと取り壊され、この建物も累卵の危うさにあるといって間違いないでしょう。地域の歴史を記す建物として長く使われ続けてほしいと思います。(0.)

日本基督教団福岡警固教会(同左)
福岡市中央区警固二丁目 昭和4年(1929)
鉄筋コンクリート造/3階建 中村鎮/田中忠雄
/06.4/福岡市/教育施設(同左)
 十字架の頂上部を見逃せば、やもすれば教会と気づかない人も多いのではないでしょうか。近代に作られた建築の中でももっとも様式に厳しい教会建築でこれほどの自由な造形が表現され、またそのような建物が近代化遺産の少ない福岡に遺されていることに、感慨を禁じ得ません。
 建物の設計者中村鎮は、災害に強い鉄筋コンクリートブロックの研究を行い、「中村式コンクリートブロック」を開発したことでも知られています。このブロックは阪神大震災でも被害がなかった事で現在脚光を浴びている技術のひとつです。(65.)

松月橋(同左)
福岡市中央区大濠公園 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造橋梁 福岡県土木課/直営
/07.8/福岡県/余暇施設(同左)
 脱様式の流れにある橋梁になると考えます。そのこともあるのでしょうか、親柱のボリューム感と欄干とが若干ミスマッチといった印象を持ちます。他の橋梁群と比較すれば、何とも言えない、いわば無国籍的なところが橋の特徴と言えるのでしょう。他の橋のカラーがはっきりとしていすぎるので、こちらの作品にも何かモチーフがあるのかもしれません、、、私には、さっぱりですが。
 大濠公園に所在する島の名前は全て基本設計者である本多静六氏によって命名されました。氏は日本初の林学博士となった方で、現在でも本多氏の設計した公園が多く遺されています。(65.)

茶村橋(同左)
福岡市中央区大濠公園 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造橋梁 福岡県土木課/直営
/07.8/福岡県/余暇施設(同左)
 大濠公園に架かる橋の中でも中央部に位置し、その名称も特別な経緯があります。大濠公園の建設当時福岡県知事であった柴田善三郎知事の俳号であった「茶村」からつけられています。
 知事とはいえ、個人名が橋の名前になっているのは、殊福岡では珍しいと言えるでしょう。親柱の片側が灯籠の形をしているのは、その名の由来から取り付けられたものでしょう。灯籠として機能するかと言えば何とも言いようがないですが、デザインとしてはぴったりでしょう。設計者の気の利かせ方に拍手です。(65.)

観月橋(同左)
福岡市中央区 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造橋梁 福岡県土木課/直営
/07.8/福岡県/余暇施設(同左)
 大濠公園の柳島に続く長大な橋梁。脱様式の流れにある建物と言えますが、中国の橋梁っぽい感じもします。これはプロポーションの問題でしょうか。それとも、中国の杭州の西湖をモデルにしたと言われる公園自体から出てくるオーラ、のようなものでしょうか。
 大濠公園はこの場所で行われた東亜勧業博覧会に併せて博覧会開催地として整備され、後都市公園としてオープンした経緯を持ちます。イベントを利用してこのような都心のオアシスを築き上げたことには、実に感心します。現在を生きる私たちも、後世に遺り、愛されるような空間を築いていかなければならないと強く感じます。(65.)

舞鶴橋(同左)
福岡市中央区大濠公園 昭和4年(1929)
鉄筋コンクリート造橋梁 福岡県土木課/直営
/07.8/福岡県/余暇施設(同左)
 脱様式からモダニズムに続く流れの中に位置づけられそうなデザインを持つ橋梁。大濠公園にあるいくつかの橋の中では少々位置が異なり、大池の中ではなく池と海とを繋ぐ水路にかけられた遺産です。
 東洋のテイストが強い大濠公園内にあってほぼ唯一といって良い洋風の意匠を持った橋梁です。あくまで印象ですが、ドイツっぽいというべきでしょうか。質実剛健な造りが大池の外周に造られた橋としてぴったりではないかと思います。
 個人的には主アーチ取り付け部に設けられたベンチがなかなか良い雰囲気です。ちょっと座るのには勇気が要りますが。(65.)

大濠公園・浮見堂(同左)
福岡市中央区大濠公園 昭和初期
鉄筋コンクリート造 不詳/不詳
/07.8/福岡県/余暇施設(同左)
 いかにも池の畔にありそうな施設ではありますが、元々はこの大濠公園にはなかった施設です。どこにあったかといいますと、同じ福岡市でも東区馬出にあった動植物園に併設していた浮見堂でした。
 昭和初期に作られた当時は動物園でも人気者であったオットセイをこの浮見堂からのぞき込むようにして見ることが出来ました。その動物園が1944年に閉鎖されるに当たって、浮見堂を何とかしたいとの関係者の尽力によって戦後移設、現在も見ることが出来ます。遺産に対する思い入れを思わせるエピソードなのですが、いかんせん、現在の大濠公園には掲示板すらないのが残念です。(65.)

カトリック福岡司教館(同左)
福岡市中央区浄水通 昭和8年(1933)
木造/2階建 J.J.シュヴァール/井上組
/04.6/民間/宗教施設(同左)
 福岡雙葉中学校の向かいにあり、福岡・佐賀・熊本のカトリック系教会の中心的存在です。屋根に取り付けられたドーマー、玄関上2階部の装飾など、昭和期に建てられた作品にしては見所の多いおもしろい造りをしています。
 周辺部は閑静な住宅街に位置しており、体育館やコンサートホールなど文化施設もあるハイ・ソサエティな街並みを形成しています。建物はそれらの中に風格をつける意味で重要な位置を占めていると言えます。(0.33.65.)

福岡簡易保険事務センター(福岡地方簡易保険局)
福岡市中央区大濠公園 昭和9年(1934)
鉄筋コンクリート造/4階建 大蔵省営繕管財局/間組
/02.11/日本郵政公社/事務施設(同左)
 こちらは大濠公園から全貌を把握できる大作です。間組が本格的に建築業に復帰する記念作とも言うべき作品で、ロの字型のはっきりとしたコンセプトを破綻させることなく堂々と公園側に提示しています。
 時代的な、というよりも現在の官公庁建築にも繋がる手堅さを見せ、派手な意匠がない分だけ、かえって質の良さを際だたせています。ただ少し心配なのは近年の郵政民営化問題。経済効率だけを旗印に郵便局系名建築を取り毀そうという動きが加速しています。この建物も、明日にはどうなるか、分かりません。(a.2.)

松岡歯科(同左?)
福岡市中央区薬院二丁目 昭和初期?
木造?/2階建 不詳/不詳
/04.2/個人所有か/医療施設(同左?)
 現在工事中の地下鉄3号線沿線上の建築。世に言う「看板建築」の一種で、奥は和風建築といった形状をしています。
 参考文献が無いと言ってよい状態なので詳しい年代は言えませんが、昭和初期、あるいは戦後すぐに建てられたのではと考えられます。解体されてしまったため、これ以上の調査は無理でしょう。
 街の歴史を探る上で、このような建物群はそれ単体では装飾も少なく構造上も目新しいものがないため、学会などで保護の対象とはなりにくい現状があります。しかし、地域の足跡として建物を見たとき、味気ないまっさらな街並みでない地域の歴史、その魅力を感じることができるのではないかと私は考えています。(0.)

福岡管区気象台倉庫(中央気象台福岡分台)
福岡市中央区大濠一丁目 昭和14年(1939)
鉄筋コンクリート造/2階建 逓信省/清水組
/05.10/国/倉庫(事務施設)
 もちろん、昔は倉庫などではなく気象台の本庁でした。まだ自動車が大きく普及していなかった頃の建物で、正門は大通公園側の歩道に面しています。その後国体通りの開通などで自動車のメイン通り側に本庁を新築することとなり、こちら側の正門は閉鎖、結果この建物も倉庫となってしまいました。
 表現派の流れをくむせっかくの作品も、大濠公園を取り囲む木々に包まれて、はっきりと姿を撮すことが出来ません。全容をきっちりと写真に撮りたいと、近代建築ファンなら誰しも思うような外観です。(a.清水九州五十年史.)

日本銀行福岡支店(同左)
福岡市中央区天神四丁目 昭和26年(1951)
鉄筋コンクリート造/3階建 日本銀行営繕課/竹中工務店
/07.11/福岡市/教育施設(同左)
 商都博多、と古くから言われているのですが、商業都市を代表する金融機関について言えば、福岡には戦前期の銀行建築が現存しません。かつては、いくつかの銀行が豪壮な近代建築を保有していたのですが、バブル景気と前後して相次いで取り壊され、古典主義の金融建築としては現在はこの作品ぐらいしか見ることが出来ません。福岡としてはこれだけあれば十分、ということでしょうか。
 私個人としては、この建物も気になるのですが、隣にある支店長官舎の方が気に掛かります。なまじ高い壁に阻まれているだけ、建物の動向含めどうしても気になる一角です。(65.)

カトリック浄水通教会(同左)
福岡市中央区浄水通 昭和28年(1953)頃
木造?/平屋建 不詳/不詳
/04.6/福岡市/教育施設(同左)
 側面から見た姿は改装の度合いが激しいため、近年出来た建物とも思われがちですが、実際はモルタルでコーティングされた戦後初期の建造物です。正面からみる尖塔と側廊が分かる象徴性に特色があります。西洋の様式に則ったよくある教会建築、という表現が似合います。
 なまじ敷地内に「カトリック福岡司教館」がある関係で、影が薄くなりがちな施設ではありますが、福岡の中では都市の資産となりうる、貴重な施設といえるでしょう。これからも大事にしてもらいたい建物のひとつです。(65.)


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