近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

広島市西区・東区編

(西区)

己斐ガーデンスクエアポンプ室(日本麻紡績株式会社給水塔)
広島市西区己斐本町三丁目 大正8年(1919)
煉瓦造給水塔台座 不詳/不詳
/06.6/民間/倉庫(工業施設)
 職住が混在した地域の中で、にゅっと伸びた煉瓦造の塔屋。夏場の時期はツタに絡まれ何が何やら分からない状態ですが、アーチ窓が連続し軒周りのデザインなどはなかなかの見応えです。一階部分は倉庫として使用しているようですが、基本静態保存と言えます。
 現在は己斐ガーデンスクエアというガーデニング施設の中に組み込まれた形で保存されています。この構造物がなければ、かつて紡績工場があったとはとうてい気づきはしないでしょう。地域の人々にも現所有者にも愛されている、希有な産業遺産です。(58.)

三滝荘洋館(同左)
広島市西区三滝町 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/06.6/民間/不詳(住居)
 横川駅から延々と歩き、住宅地を横切りながら本当にこんなところにあるのかといぶかりながら探した施設。実際見つけると立派な石垣と広い敷地はなるほど料亭として申し分のない建物です。庭には自家用防空壕もあるとのこと。軍事史的にもなかなか侮れません。
 現役時代は料亭機能と宿泊とを兼ね備えた施設であったようです。かつては将棋名人戦が行われた由緒ある旅館も現在はその営業を止めており、今後の動向が非常に心配な建物です。お庭の雰囲気も良さそうですので、一度見学したいなぁ。

逓信省電気試験所広島出張所
広島市西区三篠町一丁目 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/06.6/民間/事務施設(同左)
 日本電気計器検定所法に基づいて経済産業省の所管で設けられている施設です。所属こそ変化しているものの、同一の用途で長い間使用されている、こと広島においては希有な施設です。
 被爆施設群の中では中心部から外れていることや駅裏の地区にあり、また竣工当時と用途の変更もほぼないため、それ程目立つ施設ではありません。全体としては煙突の撤去が行われているものの、外観に関しては概ね竣工当時の姿を保っていると言えました。まさか、これが取り壊されるとは思わなかったので、かなりショックです。(投稿情報.JEMICサイト.58.)

(東区)

広島市水道資料館(牛田水源地送水ポンプ室)
広島市東区牛田新町一丁目 大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造煉瓦張/建 不詳/不詳
/06.6/広島市/静態保存(水道施設)
 大正後期とはいえ、土木施設にはデザイン重視という風潮があったようです。西日本では水道施設を中心に派手なデザインと様式建築チックな重厚な施設が作られてきましたが、これもその流れに沿ったものでしょう。
 隣には広島ビックウェーブという水源地跡地開発によるスポーツ施設が出来ましたが、ポンプ室をはじめとした初期水道施設は資料館として保存整備され、日・水・金曜日及び祝日の官庁業務時間に解放されています。(58.)

旧牛田水源地緩速濾過池上屋(同左)
広島市東区牛田新町一丁目 大正13年(1924)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/06.6/広島市/静態保存(水道施設)
 水源地の再開発で取り毀されそうな位置にありながら、実に上手く再開発することで保存された水道施設。コンベンション施設ができた現在でも、過去の姿を見ることが出来るこの配慮には感心してしまいます。
 現在水道資料館に向かう小径に沿った形でこの施設を見ることが出来ます。現物を眺め、資料館で説明を聞き、また帰りに施設を違った目線で見る。水道資料館としてあらまほしき姿であると言えるでしょう。(58.)

旧牛田水源地量水室(同左)
広島市東区牛田新町一丁目 昭和10年(1935)頃
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/06.6/広島市/静態保存(水道施設)
 同じ水道資料館の中にありながら、こちらのデザインは他の2種に比べかなり異質です。これは建造年代の違いによるもので、旧ポンプ室と対比すると時代とともに移り変わるデザインの変遷がよく分かります。
 今回、施設内に入れなかったため、内部に関するコメントを書くことが出来ませんが、こちらの施設も水道資料館の別館として機能されているとのこと。少しだけ写っているポンプ系の機械も非常に気に掛かるところです。一度見学しなければ。(58.)


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