近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

愛媛県八幡浜市(保内町地区)編

二宮邸(旧宇都宮壮十郎邸)
八幡浜市保内町川之石 明治34年(1901年)頃
木造/2階建 不詳/不詳
/03.12/個人所有/住居(同左)
 旧白石邸と隣接して建てられている和風建築。屋根にはむくりがつけられており、明治の和洋混交建物であることを印象づけます。個人宅、のちに医療施設として用いられ、現在に至っています。門構えを見ると、明治期以降この町並みが何の変化もない事を感じさせます。
 もし町の発展が戦後も続いたならば、当然道路の拡幅が行われたであろうし、この建物ももしかしたらなくなっていたかもしれません。町の発展が止まったからこそ、残された建物だとも言えます。(17.) 

旧川之石ドレスメーカー専門学校(旧白石和太郎邸)
八幡浜市保内町川之石 明治末期頃
木造/2階建 不詳/不詳
/03.12/八幡浜市/用途未定か(住居)
 豪華絢爛と言うより、バランス感の危うい建物だな、といった印象の方が強い作品です。これはやはり擬洋風建築の大きな特色のひとつであり、同時の大工が見よう見まねで試行錯誤しながら作品を造り上げた事を示しています。
 建物自体は少ない敷地面積を有効に活用して作られたもので、側面部とのギャップを考えると看板建築の趨りと考えてもあながち間違いとは言い切れない何かを感じさせます。
 この建物の所有者であった白石氏は明治期に住友別子銅山に次ぐ出鉱量を誇った大峯鉱山の所有者であり、町内に次々と洋風建築を作り続けた人物でもあります。かつてはこの界隈にも多くの洋風建築があり、その多くに白石氏の関与があったと言われています。現在もその名残を町内の各地に見ることができます。(17.) 

愛媛蚕種事務所(旧日進館)
八幡浜市保内町川之石 明治後期
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.12/愛媛蚕種/事務所(同左)
 狭い路地からの撮影のため、全体像が把握しづらい建物ですが、明治期の立派な洋風建築のひとつといえるでしょう。竣工年代についてははっきりとしていませんが、玄関周りの装飾ひとつをとってみても、こなれたものを感じさせ、技術をものにした設計者・施工者の手によるものと想定できます。
 通常事務所建築というものは、街の大通りからでもすぐ分かるような位置に作られるもの(それ故に再開発の危険性が高い)ですが、これは路地の奥にあり、地元の人に聞かないとうっかり見逃してしまうかもしれません。見学の際には十分にご注意ください。(17.)

愛媛蚕種第一蚕室(旧日進館)
八幡浜市保内町川之石 大正8年
木造/3階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.12/愛媛蚕種/蚕室(同左)
 少ない建築面積を有効に活用するため階を重ねて作られた、カイコを養うための工業施設。上の階に行くに従って少しずつせり出しているのは、通気性を重視した養蚕施設特有の構造ではないかと考えます。
 通路が狭いことと和風と洋風のせめぎ合っているような構造には、建物を魅惑的にさせてしまう何かがあるのかもしれません。長くのびた蚕室は美しくもあり、どこかおっかなびっくりしてしまうような意外性を印象づけます。(17.)

八興産業製材倉庫(旧東洋紡績川之石工場原綿倉庫)
八幡浜市保内町川之石 大正8〜15年頃
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/03.12/八興産業/工場倉庫(同左)
 川沿いに長くのびる煉瓦造倉庫。名前だけが先行して有名な施設ですが、実際訪れてみると、普通の煉瓦造倉庫以上の感慨はありませんでした。赤煉瓦番付への記載がこの建物の知名度を全国区へ上り詰めた原因といえます。水面に映る赤煉瓦が有識者にとって予想以上に印象深かったのかもしれません。
 保内町には多くの文化財が現在も残り、この倉庫もそれらのうちのひとつといえます。本当であれば、他の建物ももっと知名度が上がってしかるべきと思うのは私だけではないでしょう。(17.)

美名瀬橋(同左)
八幡浜市保内町川之石 昭和8年(19年)
鉄筋コンクリート造 不詳/不詳
/03.12/八幡浜市/道路橋(同左)
 主に紡績工場で働く人々が利用したであろう橋梁。近年改修が施され従来からの風格といったものに若干の懸念がありますが、かつて欄干部分が失われたことを踏まえ復元が施されたことには好感が持てます。
 紡績工場で働く女工はこの橋を渡り、工場へ通っていたと言います。穏やかな水面に映る橋には、かつての野麦峠にあるような女工の悲しみは見られず、むしろその名にあるように「みな」で作られた橋を渡る和気藹々とした人々の姿が映っているように感じました。(17.)

内之浦公会堂(同左)
八幡浜市保内町川之石字内之浦 昭和12年(1937年)
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.12/八幡浜市/公民館(同左)
 町の中心部からは少し離れたところにあって、地域集落の住民に公会堂として利用されている建物。天井際や車寄せ部分に洋風の意匠が用いられており、この地域における当時の流行を知ることができます。
 、、、が、この建物。場所の特異性と歩んだ歴史があってこそ登録文化財にかろうじてなっているという印象を持たざるを得ないくらい、華がありません。
 文化財の登録制度は現在も未だ試行錯誤を繰り返していますが、どの範囲までを文化財と認めているのか、考えこんでしまうような作品の一つです。(17.八幡浜市ホームページ.)


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