豪華絢爛と言うより、バランス感の危うい建物だな、といった印象の方が強い作品です。これはやはり擬洋風建築の大きな特色のひとつであり、同時の大工が見よう見まねで試行錯誤しながら作品を造り上げた事を示しています。
建物自体は少ない敷地面積を有効に活用して作られたもので、側面部とのギャップを考えると看板建築の趨りと考えてもあながち間違いとは言い切れない何かを感じさせます。
この建物の所有者であった白石氏は明治期に住友別子銅山に次ぐ出鉱量を誇った大峯鉱山の所有者であり、町内に次々と洋風建築を作り続けた人物でもあります。かつてはこの界隈にも多くの洋風建築があり、その多くに白石氏の関与があったと言われています。現在もその名残を町内の各地に見ることができます。(17.) |