近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>JR新飯塚駅 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

福岡県飯塚市編

麻生本家(同左)
飯塚市大字柏の森 明治30年以前
木造瓦葺/一部2階建 不詳/不詳
/01.10/個人所有/住宅(同左)
 新飯塚駅から繁華街とは反対の方面に向かいしばらく歩くと、壁に突き当たります。とにかく長い壁です。ずいぶん歩くと見えてくる門がこれです。自民党国会議員・麻生太郎氏の住宅でもあるこの建物は、飯塚の栄光をその上屋に一身に背負った明治の代表的住宅です。
 麻生家数代に渡る歴史は筑豊の歴史とともにありました。石炭産業で財を成し、セメント業への参入、現在は流通業から医療、政界に至るまで今も尚地域産業をリードし続けています。
 建物自体は昔も今も一般には非公開となっています。一度見てみたい建物のひとつです。(14.)

旧伊藤伝右衛門邸(同左)
飯塚市大字幸袋 明治30年頃
(表門大正5年建・昭和9年移築)
木造瓦葺/一部2階建 不詳/不詳
/01.9/日鉄鉱業/倶楽部(住宅)
 長崎街道に面する周辺には鏝絵を持った建物が散見できます。そんな歴史ある街並みにひときわ映えて見える建物がこれです。近年の近代化遺産ブームに後押しされる形で現在は見学出来る施設となりましたが、こうやって外側から見るだけでもその規模と重要性を感じさせます。
 写真にある表門は福岡市天神にあった通称・銅御殿から移設されたものです。炭鉱主の当時の羽振りの良さを今に伝える威厳ある建物です。(14.)

福岡銀行飯塚本町支店(旧十七銀行飯塚支店)
飯塚市本町 大正13年(1924)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/01.10/福岡銀行/銀行(同左)
 飯塚商店街のなかでも百貨店のある一番の繁華街であったところに今も位置する重厚な建物です。この写真は裏通りに面した部分ですが、表通り(アーケード)側から見るとまたデザインも違って乙なものです。
 十七銀行は現在合併により福岡銀行となっています。名称こそ変われど、同一の銀行が昔と同じ目的で建物を使用する例は、九州ではそれほど多くありません。それだけ地域に深く根を下ろした建物となっていることは、間違いないと思います。
 玄関周りと軒部分に特徴的な装飾が見られます。黒タイルによる表面仕上げは建造当初からのもののようです。威厳ある銀行建築であるとともに、飯塚の往時の繁栄を物語る重要な建物だと言えるでしょう。いつまでも大事に使われて欲しいものです。(14.)

旧伊藤伝右衛門邸事務所(同左)
飯塚市大字幸袋 大正後期
木造瓦葺/平屋建 不詳/不詳
/05.1/個人所有/劇場(同左)
 近代の商人屋敷には、敷地内に事務所を併設している例が多くあり、やもすると本邸よりも立派な洋館が建っていることもたまにありますが、こちらの作品はそれ程の自己主張もなく、敷地の端部に慎ましく存在しています。
 その処遇について、文化財として遺すべきか、それとも取り壊すかと市や所有者を超えて市民全体を巻き込んだ一大論議を巻き起こし注目を浴びましたが、2005年日鉄鉱業からの有償譲渡で決着がつき建物は2008年より一般公開されています。今後建物は重要文化財に指定、また庭は国指定名勝になる予定です。(14.)

芳雄橋(同左)
飯塚市吉原町−新飯塚 昭和3年(1928)
鉄筋コンクリート造道路橋 不詳/不詳
2006年解体/03.11/飯塚市/歩道橋(道路橋)
 遠賀川に架けられた初期コンクリート橋脚の中では、現存する極めて珍しい例。これだけ長大な近代のコンクリート橋は、遠賀川にはもう数少なくなりました。隣接する形で道路橋が建てられ、現在は歩道専用の橋として用いられています。
 飯塚旧市街全体を巻き込む再開発計画の一環でこの橋も架け替えられました。歩道は頑丈な造りなのだから、車道橋の更新だけですませて貰えないものかと思うのですが、防災目的という大義名分には勝てなかったようです。水害を経験した飯塚市ですから致し方ない架け替えなのかもしれません。(14.)

チロリアンホール(旧協和銀行飯塚支店)
飯塚市飯塚 昭和初期か
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
2008年解体/01.12/千鳥屋/事務施設(銀行)
 一見して古い建物である事は分かりましたが、銀行建築だとは考えませんでした。端部に設けた入口が、どこかしら控えめの印象を与え、銀行建築にありがちの傲岸とも言える自己主張が無い事に好感を覚えるとともに、少し物足りない感じもします。飯塚水害後、外装は派手に塗り替えられ、ホールなどの交流施設として用いられていましたが、いつの間にやらマンション建設の為解体されてしまいました。 
ここ飯塚はお菓子どころとしても有名で、この千鳥屋やひよ子、さかえ屋などがここから全国へと巣立っていきました。その伝統を受け継ぐ用途の文化施設でしたが、解体が惜しまれます。(14.)

嘉穂劇場(同左)
飯塚市飯塚 昭和6年(1931)
木造瓦葺/2階建 天津外作/柳瀬正
/00.11/嘉穂劇場/劇場(同左)
 現存する近代芝居小屋建築の中では一番大きな建物です。千人以上収容できるため、現在でも落語やコンサートなど、一般の商業ベースでよく利用されます。しかし先日の飯塚大水害により大きな被害を受けてしまい、個人運営からNPO法人による運営の引き継ぎが行われました。
 内部はかなり広々としており、収容人数以上に奥行きを感じさせます。公演が行われていない時には見学が出来、通常時にも塵ひとつ無く、手入れが行き届いた印象を与えさせます。奇跡の復興を終え、今後ますますの活躍を期待します。(14.)

菰田橋(同左)
飯塚市 昭和6年(1931)
鉄筋コンクリート造道路橋 不詳/不詳
/04.11/個人所有/劇場(同左)
 飯塚駅に繋がる道路に遺された道路橋欄干と擬宝珠柱。構造体の確認までは出来なかったため、元々の橋脚が遺っているかどうか現在のところ分かりません。たとえ拡幅で一部遺されているにしても、保存のされ方としては、少し中途半端な感じもすることは否めません。
 欄干は復元によるものでしょうか。どうせなら当時の写真なんかを橋の紹介文としてパネルにして現在と比較できるようにすると、これだけでもそれなりの観光ポイントになるのでは、、、と考えるのは私だけでしょうか。

綿勝自動車主屋(同左)
飯塚市片島2丁目 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/04.7/個人所有/商店(同左)
 モルタルで付けられた模様が総て、と言っても過言ではない建物です。通りに面した建物だとはいえ、切妻部分の朝日(?)的意匠は、無意味なのでは、とさえ感じています。
 元々角地にあった建物と考えて良いでしょう。サッシこそ変わっていますが、和洋折衷型の建物としては、割と和の原型に忠実な建物なのではないでしょうか。目立たない建物のようで、個性がそのスタイルとして確立してしまっている、現代と近代の境界線に位置づけられた建物だと考えています。(14.)

こもだ薬局(同左)
飯塚市菰田西三丁目 昭和20年頃
木造?/2階建 不詳/不詳
/04.11/個人所有/商店(同左)
 世にいわゆる「看板建築」型の建物に数えられます。この距離で撮った写真で紹介してしまうと、軒部分のレリーフがよく見えず、建物としてのポイントがはっきり分かりづらいかもしれません。軒下にはロンバルト帯を模した模様が付けられており、なかなかお洒落です。
 窓配置を見ても昭和戦後期に近い作品であることは間違いありません。機能優先型の建物との過渡期にある作品ではないかという見方も出来、民間の作品の中では考えさせるところの多い作品だと言えます。(14.)

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明治(19)
造/
/06.6//(同左)
 (.)

(同左)
飯塚市 年(1)
不詳/不詳
/06.6//
(.)

(旧)
飯塚市勢田 明治年(18)
/建 不詳/不詳
/09.4//()
 ()

(旧)
飯塚市勢田 明治年(18)
/建 不詳/不詳
/09.4//()
 ()

(旧)
飯塚市本町 年(19)
造/
/09.4//()
 (.)

(不詳)
年(19)
造/
/09.4//()
 (.)


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