近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>今治城 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

愛媛県今治市編

美保の海岸護岸(同左)
今治市美保町 明治20年(1887)頃
石造護岸設備 服部長七(大工・服部組)
/05.9/民間?/港湾設備(同左)
 護岸設備ですが、後年の埋立の影響で海岸線沿いではなく、民家と港湾地区とを分ける境界線として機能しているようです。機能変遷に応じて改修が行われているようですが、概ねこのような姿だったのではないかと思います。
 港湾地区に直接面している部分では、港の荷物やらよく訳の分からない私物やらが集積しすぎており写真にならなかったため、こちらのような一枚になりました。大部分の護岸石積は、もっと港っぽいところに並んでいます。(17.)

開市記念時報塔(同左)
今治市通町三丁目 大正9年(1920)
サイレン及鉄筋コンクリート造台座 不詳/不詳
/05.9/今治市/行政設備(同左)
 今治市の市制施行を記念して作られたサイレン設備。お城の片隅にあるため、当時の人々にはなじみやすい施設だったことと思われます。現在は使用されていないようで、多少朽ちてしまった印象があります。お城を訪れるひとも少なくなると、音も鳴らないこの設備を顧みる人も少ないでしょう。
 定時法(毎日決まった時間が12時、1時と呼ばれる)という概念は近代に入り西洋から導入されたもので、江戸期までは不定時法(日出から日没までの時間を六等分し、現時間を表現する方法)を採用していました。一年の中で決まった時間というものを人々はそれまで体感する日の長さ(或いはお寺の鐘)によって考えていたので、時報塔というものは時代の変化を表すエポックとなった施設と言えます。(17.)

今治ラヂウム温泉(同左)
今治市共栄町 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/大阪の業者
/05.9/民間/生活施設(同左)
 この建物はどういった形式というべきなのでしょうか。やたら変な、とかごちゃごちゃした、という表現が正しいのかもしれません。施主が当時大阪にあった千人風呂に着想を得て、業者を呼び造られた建物だと言うことです。戦時中は群の郷土防衛施設としても使われたそうで、外見に似合わず暗い歴史も影を落としています。
 戦前期、文字通りランドマークとなった施設。持ち主の先見の明によって鉄筋コンクリート造施設となった結果、空襲後廃墟となった今治市の中で堂々と建ち続けることが出来ました。(17.)

今治市上水道水源地ポンプ場(同左)
今治市片山 昭和11年(1936)
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/05.9/今治市/水道施設(同左)
 今治市は愛媛県の中でも2番目に市制が施行された都市で、上水道整備にかける意気込みはかなりのものだったようで、宮崎から上水道技師を専門家として招聘し、晴れて昭和11年の完成を迎えたようです。
 ポンプ場建築には、やはり数パターンの典型的建築様式があったようで、ここは山口市とのはっきりとした類似性を感じさせます。周辺部が庭園化されていることも水道設備にはまま見られがちですが、どこも非公開であることが何とも口惜しくて仕方ありません。(17.)

安野農機商品倉庫(安野農具製作所唐箕工場)
今治市大西町別府 昭和13年(1938)
木造/平屋建 別府酉義(大工)
/05.9/民間/工場施設(同左)
 工場建築を多く見る中で、ノコギリ屋根型の工場建築自体はそう珍しいものではありません。また瓦葺きの工場建築も少ない、とはいえないような状態です。しかしこの作品はノコギリ屋根の瓦屋根(しかも木造)建築が堂々立ち並んでいるところが、感動的です。
 ノコギリ屋根の構造というのは、大規模空間を必要とするが自然採光も必要な場合に採用される構造で、従って照明設備の発達した現在で採用される例は限りなく少なくなりました。その構造自体が文化財といえる日もそう遠いものではないような気がします。(17.)


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