近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>錦帯橋 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

山口県岩国市編

旧岩国学校校舎(同左)
岩国市岩国三丁目 明治3年(1870)
木造/2階建 不詳/不詳
/04.7/岩国市/教育施設(同左)
 明治の学校施設。西日本では屈指の古さで、本当に貴重な遺構であると言えるでしょう。明治5年に外人講師が来るとの話が出たため、「洋風」の物見櫓が付け加えられました。この物見櫓の突拍子もない状態により、この建築は擬洋風建築となることが出来ました。
 古写真を見ると現状は復元されているものの、それでもどこか違った趣もみられます。このような擬洋風建築は、創建当初の様子が分かりづらいことも特徴としてあげられます。分からないながら、愛嬌のある不思議な建物と言えます。(18.)

原田美術教室(岩国税務署)
岩国市岩国三丁目13−9 大正14年(1925)
木造/2階建 田中俊郎か?/不詳
/10.3/民間/商業施設(行政機関)
 一見する限りかなり不思議な建物です。現在の用途の割には大仰な造りをしており、三叉路のアイスポット的位置に作られていることから公共系の施設ではないかという察しがつきます。窓の改修が少々変なことになっていますが、元々は窓周りを含め完全に左右対称の建物であっただろうと考えられます
 竣工当初は窓がもう少し多く、またいくら大正末期とはいえもう少し装飾的だったのではないでしょうか。現在の姿もこれはこれで生活感があって嫌いではないですが。(18.)

岩国練武道場(同左)
岩国市岩国三丁目14番 昭和2年(1927)
木造/平屋建 不詳/不詳
/10.3/民間/教育施設(同左)
 ここ岩国出身の軍人・長谷川好道元帥の出生地跡に建てられた武道場。武道の振興に寄与する目的で生前に敷地が寄贈され、没後に建てられた施設だそうです。
 メンテナンスが良いためでしょうか、竣工期ほどの古びた感じを見せていません。それだけ地域の中でもよく使われ、また愛されている建物なのかな、と感じています。敷地内は妙に広い空間が確保されていますが、かつての本宅跡を駐車場として使用しているのでしょうか。少々不思議なたたずまいを持っています。(18.現地案内板.)

山口銀行錦帯橋支店(旧百十銀行岩国支店)
岩国市岩国二丁目 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/2階建 清水組/清水組
/04.7/山口銀行/金融機関(同左)
 いかにもと言える銀行建築。イオニア式のオーダーや屋根に掛かる大仰な胸壁など、様式建築の見所は満載ですが、逆に言えば、どこにでもありがちの銀行建築と言っても、間違いはないと考えてしまいます。
 ただひとつだけ言うべき事は、そのような「ありがちの」近代建築が一番取り壊されていき、一番観光客に愛着を持たれるのだということ。愛される建物は遺されても、決して無駄にはなりません。これは他の先進事例を見ても十分分かることと推察いたします。(18.)

JR西岩国駅(岩国駅)
岩国市錦見六丁目15番 昭和4年(1929)
木造/平屋建 不詳/不詳
/04.7/JR西日本/駅舎(同左)
 赤い瓦とドーマーがまず目につきますが、圧巻は玄関部分にあると言えるでしょう。4本の柱で支えられた車寄はそのまま錦帯橋をイメージしています。そこから伸び上がる6本の直線は、垂直性を強調させたアールデコ風の意匠で、竣工年代に流行したデザインがふんだんに用いられています。
 内部はモダンな、、といいたいところですが、改装が施され、少々趣に欠ける印象です。現在はNPOの管理に移行し、交流施設として使用されているそうです。内部の使用状況によれば、良い集客施設となるのかもしれませんね。(18.)

うまもん2号館(旧五橋湯)
岩国市岩国一丁目9−1 昭和5年(1930)
木造/2階建 不詳/不詳
/04.7/民間/商業施設(生活施設)
 市街地の中に紛れるように在る建物。2箇所に分かれた玄関部分、これはやはり錦帯橋をイメージするような柱が特徴的ですが、銭湯時代の名残を留めています。
 現在は民間の商業施設として使用されています。内部は大きく改装を受けているため、一見銭湯という雰囲気はあまり遺っていませんが、銭湯当時に使用されていた靴箱も保存されており、よくよく見てみるとマニアを楽しませます。錦帯橋に近いことから、リピーター客もいるようです。(18.) 

旧藤中歯科医院(同左)
岩国市錦見四丁目 昭和9年(1934)
木造/2階建 不詳/不詳
/10.3/民間/住居(医療機関)
 表面だけを見ると端正な医院建築といったたたずまいですが、こちらも木造の建物です。隣接していたであろう、他の建物がなくなった結果ぽつりぽつりとこのような洋館が市街地に浮き立っている結果になるのは、どこの地方都市にも見られる姿ですが、なまじ清楚感溢れる建物であるが故に、少し残念な気も致します。
 見たところ現在は住宅として使用しているようです。近所でもランドマークになっており、まさに町の名建築と言うべき作品でしょう。 (18.)

JR周防高森駅(同左)
岩国市周東町大字下久原1550−2 昭和9年(1934)
木造/平屋建 不詳/不詳
/10.3/JR西日本/交通施設(同左)
 山口県によく見られるマンサード型の切妻を玄関部分に取り付けており、明治中期から大正期にかけて日本全国に見られるような寄棟作りの和風駅舎の典型からは脱しています。
 岩徳線の駅舎は、かつて山陽本線の路線として建設された経緯もあるため、他の地域よりかなり立派に作られています。後に幹線から外されたが故に現在でもこのような立派な駅舎を見ることが出来るというのは、歴史の皮肉でしょうか。 

旧A.S.テーラー(同左)
岩国市錦見四丁目8−17 昭和初期
木造/2階建 不詳/吉原
/10.3/民間/商業施設(同左)
 単なる「洋服店」という名称よりも、やはりここはテーラーというカタカナ表記に近代の息吹を感じずにはいられません。この建物の場合は名前以外にも2階部分にかなり凹凸を付けているところが大きな特徴になります。
 外壁面に凹凸を付けて表面に威厳を見せようというやり方は、細田写真場でも見られる手法で、ここ岩国市ではかつてよく見られた洋風建築の癖と言えそうです。単なる看板建築というものを超えた洋風への憧れを感じさせます。 (18.a.)

細田写真場(同左)
岩国市岩国二丁目3−10 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/10.3/民間/商業施設(同左)

 大規模な看板建築。外壁面に凹凸を付ける手法は岩国税務署やA.S.テーラーにも見られるものですが、こちらの方がより大規模で仕上げ材も凝っています。窓周り上部にはキーストーンから派生したと思われる花柄の模様(桔梗紋か?)も遺されており、単純な西洋の憧れだけではない、日本ならではの大工の創意工夫が見られる、実に興味深い建物になっています。
 隣接した建物で現役の写真館として営業しているところにも好感が持てます。まちの中心的建物のひとつとして、長くその姿を見ておきたい名建築と言えるでしょう。岩国を訪れる際は再訪して内部を見てみたい作品のひとつでもあります。(18.)

割烹三原家(同左)
岩国市岩国二丁目16−6 昭和初期か?
木造/2階建 不詳/不詳
/10.3/民間/商業施設(同左)
 市街地の中心部に堂々と構える料亭(店舗名は割烹ですが)建築。若干の増改築は受けていますが、まずは堂々とした近代和風建築と称して良いかと思います。
 岩国の市街地には、木造3階建ての商業建築や武道場建築、そして料亭建築と単なる社寺系にとどまらないバラエティ溢れる和風建築を数多く見ることが出来ます。洋風建築だけを見ていてはもったいないくらいの幅の広さは注目に値します。もっと調べてみたら沢山の建物を掲載できるかもしれません。再訪必至ですね。

岩国徴古館(同左)
岩国市横山二丁目7−9 昭和20年(1945)
煉瓦造・ブロック造/一部2階建 佐藤武夫/池田組(請負)
国登録有形文化財/10.3/吉川報效会/余暇施設(同左)
 重厚な博物館建築。コンクリートブロックが躯体として構成されている建物と考えるべきでしょう。建築好きな方々一般には戦時中の物資不足期に竹筋コンクリートで建てられた施設として知られていますが、どうもそういった事実はないようです。
 岩国の城下町エリアに建てられており、土産物屋が多い対岸エリアからの近道は錦帯橋を渡る方法が確実です。隣地にある吉川関連の建物群も注目に値する、文化財建造物群エリアにあり、魅力は何ら遜色ありません。(18.)

JR岩国駅(同左)
岩国市麻里布町一丁目1−1 昭和23年(1948)
木造/一部2階建 不詳/不詳
/10.3/JR西日本/交通施設(同左)
 山口県東部の拠点都市である岩国の玄関口にふさわしい駅舎建築。山陽本線の駅舎で、新幹線の新岩国からは少々距離があります。当時の町の勢いを表すかのようにかなり大規模な駅舎と言えるでしょう。
 岩国市の市街地中心部に立地しているため、常に人の往来が活発ですが、それ故に建て替えの話もあって然るべきかと思います。いつまでこの勇姿が見られるでしょうか。気がかりな「昭和の駅舎」と言えるでしょう。 

海部屋(同左)
岩国市岩国一丁目2−4 昭和戦後期か?
木造/3階建 不詳/不詳
/10.3/民間/商業施設(同左)
 立派な木造和風建築。相当に広い間口をとっておりますが、このような間口構成がとれるのも木造建築ならではと言えるでしょう。洋風建築の流れではこうはいきません。
 錦帯橋の界隈にはこのような木造3階建建築が現在でも数多く遺されているのみならず、景観の面レベルで観光地錦帯橋の周辺景観を形成しています。この錦帯橋という土木史上記念碑的作品が昔も今も観光地として成立していることを現在に伝えています。 

旅館白為(同左)
岩国市岩国一丁目5−16 昭和戦後期か?
木造/3階建 不詳/不詳
/10.3/民間/商業施設(同左)
 角地に面した建物なのですが、建物自体が大振りなため良くある角地に見られるような鋭角状の建物にはならず、建物自体がまるで要塞のように雄々しくそびえている、なかなかに迫力のある建物です。現在は旅館として使用しており、おそらくは当初からの用途をそのままに維持している建物ではないでしょうか。
 錦帯橋近隣に残る木造3階建て建築の中でもかなり目立つ施設で、一種ランドマーク的要素を果たしているのかもしれません。一度泊まってみたくなる建物です。

岩国伝統建築協同組合(同左)
岩国市錦見四丁目7−24 昭和戦後期か?
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/10.3/協同組合/事務施設(同左)
 たたずまいは現代建築のそれですが、玄関周りに施されたスクラッチタイルは近年のレプリカではなく、窓通しを一直線に横切る水平の庇や玄関ポーチの作りも結構な年代を感じさせます。おそらくはかつての官公庁施設か医院であったものを転用しているのではないかと見ています。
 岩国の各所に遺る伝統建築はこちらの施設で支えられているのでしょうか。日本の名景観・錦帯橋を抱えるこの街だからこそ、
このような組合には頑張って貰いたいと思います。


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