近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>山形屋百貨店 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

鹿児島県鹿児島市(鹿児島地区)編

新波止(同左)
鹿児島市本港新町 嘉永年間(1848〜54)
石造護岸 不詳/直営
/07.9/鹿児島県/港湾設備(同左)
 かごしま水族館の両側にあり、かつては鹿児島港の外枠で防波堤として機能していた土木遺構です。埋立てられた地区にあるため、古いものなど内という思いこみがあると、うっかり見逃してしまうでしょうが、この周囲には江戸期から明治時代の防波堤作品が多く遺っているので、注意が必要です。
 再開発事業とうまく組み合わされ、都会の貴重な憩いの場となっています。都市の歴史をぬぐい去るような開発ばかりが幅をきかせている昨今の中で、このような開発事業であれば、大歓迎ですね。(55.)

寺山炭窯跡(同左)
鹿児島市吉野町 1850年代
石造/平屋建 不詳/不詳
市指定文化財・記念物/08.8/鹿児島市/静態保存(工業施設)
 鹿児島市街地から北東に位置する丘陵地のさらに奥、竜ヶ水駅の奥地にあり今でも森林地帯となっている山間の中にひっそりと遺る要塞のような遺構。現地を訪れると写真で見た以上の迫力を感じます。
 かつての集成館事業では動力燃料として木炭が使用されていました。その木炭を大量に生産するためつくられた炭窯の跡がこちらです。いわば、集成館事業の原動力と言える施設なのですが、位置的な問題もあり、なかなか知名度は上がっておりません。雰囲気の良い空間なのですが、、、観光受けはしないのかもしれません。(現地案内板.)

鹿児島県立博物館考古資料館(興業館)
鹿児島市城山町1−1 明治16年(1882)
石造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.3/鹿児島県/展示施設(同左)
 図書館と照国神社に挟まれ、それほど自己主張が強くない位置にたたずむ石造建築。バルコニーなどに見られる意匠には南国の雰囲気を十二分に漂わせ、鹿児島から琉球にかけての島嶼文化を表現しているように見えます。
 設計者などについて詳しいことは分かっていません。それでも明治という時代が持っていた地域に対する配慮、もしくは西洋の技術を吸収していこうという姿勢は、たたずまいから十分感じ取ることができます。デザイン性は現代でも認められる作品ではないでしょうか。(0.)

旧石造倉庫・レストラン(佐藤産業倉庫)
鹿児島市住吉町 明治39〜大正14年頃
石造瓦葺/平屋建 不詳/不詳
/04.3/民間所有/飲食施設(倉庫)
 やはりかつて倉庫として利用されていた建物を中華レストランに生まれ変わらせた一例。こちらは屋根に改修を施して換気や採光に工夫を入れているようです。
 再活用の手法として考えるべきことに、旧状の価値ある部分をどこに見定め、どこを保護しどこを活用の際改築するかといった問題があります。この作品は少なくとも外観の上では、文化財の価値を見極め上手い改装を施していると言えます。(0.36.)

旧鹿児島刑務所正門(同左)
鹿児島市永吉町13−9 明治41年(1908)
石造門柱 山下啓次郎/不詳
国登録有形文化財/07.12/鹿児島市/静態保存(行政施設)
 全国でも唯一無二の存在であった石造りの刑務所建築でした。保存運動の結果、施設はほぼ大枠が取り壊されたものの、こちらの正門が再開発されたかごしまアリーナの敷地内に保存されています。
 池の中にモニュメント的に遺されており、往時の雰囲気を留める、と言うには少々はばかりもありますが、少し離れて橋のたもとから見ると正門と周辺との位置関係でこの施設が刑務所であったことが何となく推測できます。
 重厚な石造のたたずまいを見ると、かつてあった施設群がもう少し遺っていれば、と悔やまれてなりません。(55.) 

鹿児島共同倉庫(同左)
鹿児島市住吉町 大正3年(1914)
石造瓦葺/平屋建 不詳/不詳
/04.3/民間所有/倉庫(同左)
 周辺に現存する石造倉庫群の中では当初の用途を守り続けているという点で、かえって貴重な存在となりつつある建物。道路に沿った形で壁面に角度をつけているため、横長ながらその姿には少しずつ変化を持たせています。
 一棟のように見えますが、いくつかの棟が寄り固まって構築されている建物で、屋根の織りなすラインは複雑になっています。石造倉庫群のなかでも最大級の建物として、その価値は年々高まっていくことでしょう。(0.36.) 

鹿児島市交通局武之橋変電所(鹿児島電気軌道武之橋変電所)
鹿児島市高麗町42 大正6年(1917)
石造/平屋建 不詳/不詳
/07.12/鹿児島市/交通施設(同左)
 鹿児島を代表する交通機関である市営電車は、元々民間資本によって敷設された軌道でした。この建物は電車が民間企業によって運営していた時期に木像から建て替えられた施設で、電線の張り方から類推すると変電所として現役の施設のようです。
 現在電車事業は市営となっていますが、民間経営時代の遺構もこの交通局敷地内にいくつか残存しているとのこと。もし内部見学会などがあれば一度参加して近くからじっくり撮ってみたいと思います。(36.)

ふとんの今藤鹿児島店(大津倉庫)
鹿児島市住吉町9番 大正7年(1918)
石造瓦葺/平屋建 右近允伊之助(大工)
/04.3/民間所有/(同左)
 一見する限りではやはり倉庫としか考えようもない外装を保ったまま、物販施設として再活用されている倉庫です。左読みで大津倉庫と書かれていますが、中は布団の販売施設となっており、見た目には非常に紛らわしいと考えてしまうのは私だけでしょうか。建物保存に対する論議を招く、ある種意欲作と言える作品に仕上げられています。
 後述するように周辺部には再活用された倉庫が多く残っています。それらを散策してみるのことも「産業観光」という視野に立った新しい観光形態といえるでしょう。(0.36.)

鹿児島銀行別館(第百四十七銀行本店)
鹿児島市金生町6−6 大正7年(1918)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/07.12/鹿児島銀行/金融機関(同左)
 天文館地区の中心部にあり、とかく不法駐車の絶えない山形屋百貨店の向かい側裏手にある金融建築。表面は石造の建物ですが、鉄筋コンクリート構造で作られているそうです。柱を鉄筋コンクリートで構成しているラーメン構造なのかもしれません。
 市街地のど真ん中にある建物ですが公開されているわけでもないため、周囲の人通りは多くありません。ビジネスマンばかりが行き交う印象を持ちました。せっかくの都市部の資産なので、願わくば公開してもらいたいのですが、、、鹿児島銀行さん、何とかなりませんかね?(55.)

鹿児島工業高等学校大煙突(同左)
鹿児島市草牟田二丁目57−1 大正9年(1920)
煉瓦造煙突 不詳/不詳
国登録有形文化財/07.12/鹿児島県/静態保存(教育設備)
 高校敷地内の片隅に丁寧に保存されている煙突。一部煉瓦の剥離も見られますが、おおむね保存状況は良好なようです。
 工業高校の機械科で使用する旋盤などを動かすため、作られた大煙突です。昭和63年にはエポキシ樹脂を注入する大がかりな補修工事も行われ、遺産に対する愛着の深さがよく分かるかと思います。
 施設の見学には、高校の許可が必要です、、ただ、近くを通るだけでも十分見えますし、事務室へ許可を、と言うには施設間があまりにも離れすぎていて、なんとも言いようがありません。この一帯だけ建物の区画を分けて、いつでも誰でも見学できるようにした方が、より親しみも湧くような気も知るのですが。(55.)

豊産業社屋(鹿児島食販組合)
鹿児島市泉町16−13 大正期
石造/2階建 不詳/不詳
/04.3/豊産業/事務施設・バー(事務施設)
 鹿児島の特色として、他の場所であれば煉瓦造で作られるべき建物がすべて石で造られていることです。この建物はまさにその典型と言うべきでしょう。元々石造りの施設にモルタルとタイルを組み合わせることによって煉瓦造建築のモチーフを再現しようとし、煉瓦ではなかなか表現できない落ち着きを感じさせたところが実にうまくいっています。
 石造倉庫などのある港に近く、ぽつりと孤立した印象をぬぐうことができませんが、建物の美しさを何ら損なうことはありません。現在は2階部がバーとして用いられている模様。(0.36.)

岩崎邸(同左)
鹿児島市春日町 大正期
鉄筋コンクリート造/4階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/07.12/鹿児島銀行/金融機関(同左)
 民家、というにはあまりにも目立つ建物です。一時期は会社の保養施設として使用されていたようですが、現在の用途はよく分かりません。見事なハーフティンバー調の建物で、閑静な住宅地域の中でひときわ映える建物です。鹿児島ではこのような大振りな個人邸洋館は珍しく、貴重な作品といえるでしょう。この写真は隣にある神社から撮ったものです。
 保存状態はそこそこ悪くないようですが、うっかり見逃していると取り壊されそうな、そんな気がいたします。願わくば、少しでも長くその姿を見ていたい施設です。(55.)

旧太平洋ビール館(米穀倉庫)
鹿児島市泉町 大正期
石造/平屋建 不詳/不詳
市建築文化賞/07.12/民間/放置(倉庫)
 鹿児島に多く遺る倉庫群の中では、比較的市役所に近接した位置にあり、早くから商用転換がなされた事例。現在は再び活用の機会が訪れるのを待っている状態となっています。
 石造建築のリノベーション例として改装当時は華々しく紹介されていた施設で、大学院修士時代に私がふらっと訪れたときには、ビールを飲みに行こうかと訪れようとしたのですが、、、どうやらこの時点で営業を止めていたようです。この建物これからいったいどうなるのでしょうか。

旧鹿児島県庁舎本館(同左)
鹿児島市山下町14−50 大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造/3階建 曾禰中條建築事務所/岩崎組
/04.3/鹿児島県/静態保存(公共施設)
 新庁舎開設と道路拡幅によって翼部が切り取られたものの、現在もその勇姿を拝むことの出来る、記念碑的な施設です。 内部は公開されており、また飲食施設も併設しています。
 内装に関しては官公庁建築にふさわしい、装飾を抑えめの淡泊な作品に仕上げられています。開口部のシャンデリアを中心とした装飾以外は、あっさりとしていますが、これは戦争による被災の影響か、進駐軍によるものなのか。判断つきかねるところです。材料の豪華さは今も変わることがありません。(0.) 

鹿児島県立博物館(鹿児島県立図書館)
鹿児島市城山町1−1 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/3階建 岩下松雄/不詳
/04.3/鹿児島県/公共施設(同左)
 曲線の複合体が実に美しい建物で、単なるモダニズム建築からは一線を画した独自性を感じます。窓配置にもちょっとした変化を持たせる事でこの時代の建築にありがちの殺風景さから抜け出ており、柔らかささえ覚えます。
 県建築課設計による官公庁建築という印象を持つことは一応出来ますが、どちらかというと図書館が持つ人々への夢、その可能性の高さを表している建築のように感じます。現在では博物館として、やはり人々に夢を提供し続けています。(55.)

鹿児島市立中央公民館(鹿児島市公会堂)
鹿児島市山下町5−9 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/3階建 片岡安/佐伯組
国登録有形文化財/04.3/鹿児島市/公共施設(同左)
 同じ公会堂建築、更に同じ系統の設計者という事もあり、大阪市中央公会堂にも共通したフォルムを持っています。しかし地域性・地域色に配慮されたため、外観はかなり地味な色彩で統一されています。この作品では配慮は逆効果のようで、その規模の割にははっきりとした印象を持ちづらい建物です。
 昭和初期から現在も使用され続けている作品。鹿児島は中央部でもこのような活用例が多く、建築ファンとしては実に見応えがあります。(0.投稿情報.)

県立鹿児島甲南高等学校(第二鹿児島中学校)
鹿児島市上之園町23−1 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/07.12/鹿児島県/教育施設(同左)
 建物敷地は正方形に近いのですが、校庭を囲い込むように校舎が配置しており、なぜかその各辺の中央部分ではなく、建物の角部分に玄関が設けられている印象的な作品です。角部分に大きくアールをとって玄関を配置する様は鹿児島中央高校と似通っています。
 建物自体の作風や日本近代建築総覧の既述により岩下松雄の作品としても有名ですが、生前岩下はこの作品を自分のものではないと述べているようで、そうなると、建物設計者は誰になるのか、気に掛かるところと言えます。(36.)

東條医院(同左)
鹿児島市下荒田二丁目16−23 昭和5年(1930)
木造/2階建 不詳/不詳
/07.12/民間/(同左)
 昔からある町のお医者さん施設。現在でも同位置で営業するために、東側部分に大きな新館設備を増設し、写真のような姿となっています。元々の木造2階建部分に関しては、新館と色調を合わせ・防火の目的も果たすため、コンクリートパネルに覆われています。
 鹿児島県の近代化遺産総合調査報告書に記載しているので期待しながら赴いたのですが、、、ここまで現代建築と融合してしまうと、興ざめの感をぬぐい得ません。一部でも遺していただけたことは感謝すべきなのでしょうが、、、複雑です。(36.)

日本ガス本社(日本水雷本社)
鹿児島市中央町8−2 昭和6年(1931)
鉄筋コンクリート造/3階建 渡辺節/清水組
/07.12/日本ガス/事務施設(同左)
 縦線が過剰なまでに強調されている作品。中央から建築家を招き作られた建物という事で、注目度はかなり高かった作品と思われます。左右対称の建築様式は安定性を要求されるインフラ系建築に必須不可欠な特徴であり、この建物でもそれは採られていますが、冗長さは見られません。
 通り自体はかなりゆとりがある道路に面していますが、中心に大きく育った樹があるため、通りの反対側から撮りづらい作品です。多くの人々が建物を撮ったであろうポイントが、中央分離帯に残されています。好きな人はやはりいるものです。(0.清水九州五十年史.) 

鹿児島県教育会館(同左)
鹿児島市山下町4−18 昭和6年(1931)
鉄筋コンクリート造/3階建 畑村源次郎・三上昇/森本組?
/04.3/鹿児島県/事務施設(同左)
 すぐ裏手に大規模な都市公園があるにもかかわらず、公園からは背を向けて造られているのがこの建物。都市部の公園に面した建物はだいたいその方向に開口部を設けるのが定石ですが、以前は公園自体がなかったのか。実に不思議な配置になっています。
 建物の意匠で言うと、いかにも官公庁建築らしい、左右対称のすっきりとしたデザインを持っています。鹿児島の近代建築はかなり年代が下ったものでも独創的なデザインを持ったものが多いのですが、この建物はそういった点で非常にプレーンであり、印象には残りにくい感じがします。(36.)

県立鹿児島中央高等学校(県立第一高等女学校)
鹿児島市加治屋町 昭和10年(1935)
鉄筋コンクリート造/3階建 岩下松雄/三友社(小牧組・ 鰺坂組・米森組)
/04.3/鹿児島県/教育施設(同左)
 鹿児島モダニズムの雄たる岩下氏の労作。他の作品と同じく玄関部分のアールを特徴としており、玄関上部分の連続したアーチ窓、それに対する4階高部分の真円状に突き出して見える造形など、外から見えるだけでも非常におもしろみがあふれる作品だといえます。現在でも現役の教育施設として用いられています。
 姿に一本筋が通った建物というものは、見ていて実に見飽きないものです。鹿児島にはそんな建物が実に多く、その殆どは岩下氏の手によるものでした。(36.) 

鹿児島市役所(同左)
鹿児島市山下町31−2 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造/3階建 大蔵省営繕管財局工務部
/大倉土木
国登録有形文化財/04.3/鹿児島市/公共施設(同左)
 幕末雄藩・鹿児島のお膝元という事もあってか、実に大規模な建造物という印象を持ちました。現在でも使用に耐えうるその造りは薩摩特有の堅固なイメージに実にぴったりはまっています。登録文化財となっており、これからも末永く使われ続け続ける事でしょう。
 市役所から海側に延びる緑地帯は、都市部における憩いの場としても用いられているようです。芝生の上でお弁当を食べていても、ここならば違和感がありません。(0.) 

南日本銀行本店(鹿児島無尽鹿児島支店)
鹿児島市山下町1−1 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造/4階建
(一部6階建)
三上昇/清水組
国登録有形文化財/04.3/南日本銀行/金融機関(同左)
 下層部は様式建築、上層部はモダンの雰囲気を感じることのできる、おもしろい造りをしています。対象形のように見えて、実はそうなっていないところや階ごとの大胆な造形の変化に驚かされるとともに、愛着さえわいてしまいます。
 遠くから見ると上層部が浮いている様にも感じますが、これは遠近の視点で感じる違いを楽しんでもらいたいと考えた設計者の遊び心の成果なのでは、と感じました。鹿児島来訪の際は押さえておきたい作品のひとつです。(0.清水九州五十年史.)

鹿児島銀行武町支店(同左)
鹿児島市中央町11−1 昭和戦後期
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
2010年末頃解体/07.12/鹿児島銀行/金融機関(同左)
 鹿児島中央駅という名称になった駅前に堂々立地する地方銀行建築。この建物の支店名称は「武」というかつての駅名を現在に伝えています。鹿児島中央駅は武→西鹿児島といったいくつかの名称変遷を経ています。
 建物自体は昭和30年代頃のしっかりとした質を備えている銀行建築の典型的例と言えます。今ならばまだ全国でもまま見られる形ですが、今後少なくなっていくことは間違いなく、この施設も将来の登録文化財候補と言えたのですが、、、取り壊されてしまったらどうしようもありませんね。


戻る