近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真1がここに入ります。(下は例)>唐津城 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

佐賀県唐津市編

唐津鐵工所事務所(芳谷炭鉱会社独身寮)
唐津市二タ子三丁目
(唐津市北波多岸山)
明治中期か
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.2/唐津鐵工所/工場施設(同左)
 現在こそ西唐津駅の真裏で非常に利便性の高い位置にある建物ですが、元々は北波多村にあった芳谷炭鉱の職員施設として建てられたものだそうです。確かに事務所としては若干地味ですし、玄関が建物正面よりずらして付けられているのも、元々一棟二軒の住宅であったと考えると納得のいくところが大きいです。
 佐賀県に残存する炭鉱関連施設として重要な施設でもありますし、唐津鐵工所の持つ一体的な産業景観にも貢献しています。(21.)

旧高取伊好邸(同左)
唐津市北城内 明治39年(1906)
木造/2階建 不詳/不詳
国指定重要文化財/09.2/唐津市/静態保存(住居)
 大規模な炭鉱主住宅建築。一番の見所は仏間にあります。現存する炭鉱主住居の中でも貝島家と高取家は特に仏間がすごいのですが、高取家は禅宗を信奉していたようで、実に渋い、しかしながら手の込んだ仏間が現在も残っており注目に値します。
 現在は唐津市が現在観光の目玉として整備公開しています。建物も確かにすごいのですが、間仕切り用の杉板に描かれている絵画を見るためだけでも十分見学の価値があると思います。炭鉱主建築の中ではトップクラスの名作のひとつです。(60.)

唐津市歴史民俗資料館(旧三菱合資唐津支店本館)
唐津市海岸通 明治41年(1908)
木造スレート葺/2階建 曾禰達蔵?/神戸三菱建築事務所
県指定重要文化財/04.2/唐津市/展示施設(事務所)
 唐津駅から西にしばらく行くと、海岸沿いにこの建物がちらりと見えます。しばらくは歴史民俗資料館として使用されていましたが、現在は休館中とのこと。
 訪れた時に感じたその存在感には感服せざるを得ません。ただ、ひとつだけ気になることはその出自。現地の案内板には曾禰達蔵による作品である述べられていますが、近代化遺産報告書では不詳とのみ記されています。デザインから曾禰の関与を指摘する意見もありますが、やはり、今のところ分かりません。(21.現地案内板.)

唐津鐵工所旧倉庫(同左)
唐津市二タ子三丁目 明治42年(1909)頃
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.2/唐津鐵工所/工場施設(同左)
 当初使用されていたときの用途が若干特殊であったのでしょう、他の建物に比べ極端に高さの短い作品となっています。或いは半地下構造になっているのでしょうか、、、現役の工場であるが故に、分かっていることがきわめて少なく、想像をかきたたせる建物かもしれません。
 現在の唐津鐵工所敷地の重心部に位置するため、ここから眺める工場景観は古風なものではないかと思うのですが、まだ工場内部を見ていないので、これも推量に過ぎませんね、、、(21.)

旧唐津銀行本店(同左)
唐津市本町 明治45年(1912)
煉瓦造/2階建 田中実/清水組
登録有形文化財/03.7/唐津市/静態保存(銀行)
 唐津の街並みの中では、かなりにぎやかな作品と言えます。現在の佐賀銀行に繋がる系譜を持つ唐津銀行の本店として建てられた、いわゆる「辰野風」の作品のひとつです。最初に持った印象は不用意なにぎやかさでしたが、これだけの様式の多様を以て近代の変化を建築で表していたのかもしれません。設計者の田中実は大同生命福岡支店の設計者としても有名です。
 現在は改修工事によって見学することは出来ませんが、内装もかなりの豪華さです。改修後は是非とも見学した施設です。(21.)

宮島醤油株式会社原料倉庫(同左)
唐津市船宮町 明治末期〜昭和初期
木造瓦葺/平屋建 不詳/不詳
/03.7/宮島醤油/倉庫(同左)
 ペイントの勝利と言うべきでしょうか。元の装飾的要素はあまり見られない倉庫建築が、見るものをはっとさせる建物として地域に愛されています。よく見てみると円形の通気口など、近世の倉庫建築には見られなかった構造があちらこちらに見られ、近代の空気を一杯に吸い込みながら日本の伝統を失わない気概を感じさせます。
 今もなお現役の倉庫として用いられ、道路沿いからもよく見える同社のシンボル的建物と言えるでしょう。(21.)

唐津鐵工所旧原動場(同左)
唐津市二タ子三丁目 大正2年(1913)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/09.2/唐津鐵工所/工場施設(同左)
 西唐津駅すぐそばにある煉瓦造建築。杵島炭鉱から続く炭鉱資本が作った工作機械会社で、同系の資本から派生した会社には小松製作所があります。また、創業者の竹内明太郎は吉田茂の異母兄に当たり、麻生鉱業にも繋がる系譜を持つ興味深い企業です。
 現役の企業として使用されていることもすごいのですが、工場内にはまだまだ当初の雰囲気を感じる施設が多く遺っていることに感動を覚えます。これだけの遺産群ですから、もう少し有名にならないとおかしいと思います。唐津市は活用を考えるべきでしょう。(21.)

舞鶴荘(高取邸新館)
唐津市北唐津 大正期
木造/2階建 不詳/不詳
/09.2/九州電力/余暇施設(住居)
 重要文化財指定されている高取邸に隣接している保養所建築。もともとは高取邸の新館として建てられた、やはり同様に由緒ある建物です。現在観光用に公開されている邸宅は本館、こちらの施設は新館という名称で呼ばれていたようです。
 現在は九州電力の保養所として使用されているため、普段見学することはかないません。しかし、高取邸を見学した方ならこちらも見学したいと思うのが人情でしょう。年一回くらい特別公開とか、どうにかなりませんか?(21.)

新大橋(同左)
唐津市木綿町−材木町 大正期
石造三連アーチ橋 不詳/不詳
/09.2/唐津市/交通施設(同左)
 唐津街道の沿線に架橋された堂々たる三連アーチ橋。大正期に作られたことは報告書より確認できたのですが、現地に行っても竣工年代が書いてあるわけでもなし、よく分からない作品になってしまっています。唐津市街地随一の堂々たる橋梁ですので、幾ばくかの顕彰は行うべきかと思います。
 洋風デザインのしっかりとした橋梁ですが、若干照明が小振りに見えます。当初のデザインはもっと豪勢ではないかと想像されますが、いかがでしょうか。(21.)

唐津鐵工所旧守衛所(同左)
唐津市二タ子三丁目 大正期か?
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.2/唐津鐵工所/工場施設(同左)
 工場建築に合わせる形で、赤瓦が印象的な小建築になっています。唐津鐵工所の正門に隣接した施設で、守衛所であったことは間違いないでしょう。ただ、こちらの正門が鉄道駅側に向いており、資材などを運ぶ主要動脈である国道バイパスとは正反対にあることから、現在ではあまり使用されていない様子が見て取れます。
 使われていなくても、なかなか味のある建物だと言えます。工場見学の際はこちらから入場下さい、とかそういった工夫があるとうれしいのですが、、、そもそも工場見学を受けて入れているかどうか確認が必要ですね。。(21.)

竹屋(同左)
唐津市中町 大正12年(19)
木造/3階建 脇山氏(大工)
国登録有形文化財/09.2/民間/商業施設(同左)
 正面のみ道に面している、いかにもまちなか建築、と言うべき三階建の近代和建築です。両側にみっちり建物が建っているため、建造当初の印象にかなり近いのではないかと思います。両側が同様の和風であれば、もっと良いのは言うまでもありません。
 旧唐津銀行の向かい側にある建物で、ここより南側はレトロな街並みを目指しているらしく、一定の修景が図られています。あとはその修景に統一のデザインコードを使うようにすれば、ベストですが、今のままだと何か変ですね。(60.)

中山商店(同左)
唐津市新町 大正期か
木造/2階建 不詳/不詳
/09.2/民間/醸造施設(同左)
 街並みに遺された醸造関連建築。一見して注目すべきなのは、一階部分が洋風意匠であるのに対して、二階や屋根は和風のそれであることでしょうか。二階の白壁と一階のペンキ塗り板壁とのコントラストは、若干の違和感を感じます。
 おそらく、戦後の一時期に元々は江戸期以来の見世の形式をとっていた一階部分に縦羽目板の壁を設けて現在の状態になったのではないでしょうか。伝統産業の洋風化を知る上で貴重なサンプルでしょう。(21.)

旧村上歯科医院(同左)
唐津市中町 昭和5〜10年(1930〜35)
木造/2階建 不詳/不詳
/09.2/民間/商業施設(医療機関)
 商店街の中に鎮座している洋風建築。普通に商店街を歩いているだけではなかなか気づかないかもしれません。なぜなら一階の大部分は商業用に貸し出しているため、個人地区としても、ましてや医院建築とは気づきづらい要素が満載しています。
 メンテナンスの点で若干心配な感じもいたしますが、観光力を入れている唐津のことですから、あだや疎かなまねはしないものと信じています。いや、本当ですよ?(21.)

唐津郵政クラブ・二の門荘(同左)
唐津市東城内 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/09.2/民間/商業施設(同左)
 唐津の水際空間に面した形で建てられている木造和建築。建造年代は戦前と考えられていますが、外観からは増築が施されている部分が邪魔しており、この写真からは年代が読めません。商業施設らしく、広間が設けられていそうな建物のたたずまいを見ることは出来ます。
 名前から判断すると、郵便局に関連した施設なのかな、と思う反面、どうも一般客でも使用できるらしいとの話を聞いたこともあります。これってどっちが正しいのですかね?

唐津料亭建築(同左)
唐津市本町 昭和初期か?
木造/3階建 不詳/不詳
/09.2/民間/放置(商業施設)
 料亭建築として建てられた建物であろう事は間違いないのですが、もうどうしようもないくらいに傾いてしまっています。建物としてはかなり複雑な構成で、こまごまと見れば内装にも面白い意匠があるのだろうと想像はつくのですが、こうなるとさすがに私は中に敢えて入ろうという気にはなりません。解体は時間の問題と言えるでしょう。
 こうなる前にどうにかならなかったものかと首をかしげずにはいられません。観光地としての唐津が持つ数少ないストックだっただろうに、残念な状態となって余命をかろうじて保っています。

絵画教室くらかず(寿湯)
唐津市本町 昭和初期?
木造/2階建 不詳/不詳
/10.2/民間/商業施設(同左)
 タイル張りの元銭湯施設。当初は中央部分に男湯・女湯と分かれて入る扉があったはずですが、現在片方はふさがれており、そちらの方面には大きめの扉が取り付けられています。この扉にふさがれた部分の扉を勝手口用に埋め込んでおり、所有者の建物に対する愛情の程を伺えます。
 建物一番の見どころは、玄関上部に埋め込まれたタイルにあるでしょう。タイル絵で「寿湯」という店名と温泉マークが描かれています。用途が変わってもタイルデザイン愛らしさは変わらず町の財産となっています。

宮島商事株式会社(同左?)
唐津市船宮町 昭和初期
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
/03.7/宮島商事/事務施設(同左)
 宮島醤油倉庫と道路を挟んだ向かい側に位置しており、連続した街並み空間を演出させるのに一役買っています。
 非対称系の構造は独特の個性を感じさせますが、窓回りに改装の影響が見られ、やもすれば見落としてしまう可能性もある作品と言えます。敷地境界を示す車止め状の柵は当時の雰囲気を醸し出すのに一役買っており、なかなか渋い演出ではないでしょうか。(宮島醤油ホームページ.)

宮島醤油株式会社本社工場事務所(同左)
唐津市船宮町 昭和10年(1935)
木造瓦葺/平屋建 不詳/不詳
/03.7/宮島醤油/事務施設(同左)
 マンサード状に仕立てた玄関の切妻部が際だって印象に残ります。向かいの倉庫に比べるとシンプルながら完全な洋風建築と言え、どことなくコロニアル建築の影響を感じさせます。
 屋根から明かり取り窓にかけての意匠は、竣工当時の意匠をそのまま用いていると考えてよいでしょう。倉庫がやたら目立っているためなかなか正当に評価されづらいかもしれませんが、これこそ後世に伝え残すべき同社の名建築だと断言したいと思います。内装を見学したいな、と思うのは私だけでしょうか。(21.)

みしお理容(同左)
唐津市唐房一丁目 昭和期
木造/2階建 不詳/不詳
/10.2/民間/商業施設(同左)
 角地に遺されている建物で、また恵比須様が祀られている(と思われる)祠を真ん前に抱えており、お店の名前も「みしお」となると、いかにも海に縁のある建物ではないかと言えます。
 玄関前まで続く庇は後年の追補と思われますが、二階部分の縦長窓とモルタル塗装されている壁はがっちりとしており、なかなか重厚な建物ではないかと思います。かつては質屋をやっていたのかも知れません。或いは西洋建築に憧れた印象を暗褐色のモルタルに仮借していたのでしょうヵ。

船宮橋(同左)
唐津市船宮町 昭和28年(1953)
鉄筋コンクリート造桁橋 不詳/不詳
/10.2/唐津市/交通施設(同左)
 写真向こう側と手前に見える親柱が若干白く見えていますが、これはこの部分のみ御影石で作られていることによります。すべてコンクリートで作っても用途としては全く問題ないのですが、せめて目につく部分くらいはきれいに見せたいという設計施行双方の思いがあったのでしょうか。
 宮島醤油の工場敷地が取り囲む道路内にあるため、あるいは宮島醤油の企業所有のものかな、とも考えたのですが、一応公道ですので唐津市の所有だと思います。

札の辻橋(同左)
唐津市魚屋町−木綿町 昭和30年(1955)
鉄筋コンクリート造アーチ橋 不詳/不詳
/09.2/唐津市/交通施設(同左)
 見た目から戦前期のものとしか考えられなかったので、親柱に記載してある昭和三十年という銘板には驚愕せざるを得ませんでした。扁平アーチと半円アーチのデザイン性は戦前の橋梁でもなかなかなしえない、非常に高いセンスをもつ作品だと言えます。
 新大橋と言い、この橋と言い唐津には建築家を生み出すだけのセンスが街並みにあふれているのでしょうか。昨今の建物や土木も見習うべきものが、このまちにはまだまだ多く埋もれているのだと思います。(銘板.)


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