近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>魚雷発射試験場 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

長崎県東彼杵郡川棚町編

旧海軍魚雷発射試験場(同左)
川棚町 大正7年(1918)
煉瓦造/3階建 不詳/不詳
/04.11/川棚町/静態保存(軍事施設)
 海に向かい、象徴的な姿を見せている施設。敷地面積が少ないので、どこか別の場所に司令所があるのではないかと思うのですが、手持ちの史料では確認できませんでした。自分の本棚には、どうも戦跡関連の資料が少ないのが困りものです。
 軒部分にわずかに見られる装飾は、モルタル仕上げとなっているようです。内部は床が外されているものの、煉瓦構造がはっきり確認できます。補強をすれば、モニュメントとして長く保全することが出来るのではないでしょうか。(28.) 

旧海軍魚雷発射試験場(同左)
川棚町 大正期
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.11/川棚町/静態保存(軍事施設)
 入り口に繋がる接続ブリッジが破壊されている(意図的なものかどうかは不明)ため、近づいて構造体を確認することは出来ませんが、窓周りや目視確認レベルの推定壁圧から鉄筋コンクリート造だと思います。
 先に作られたであろう、3階建ての発射試験場と比較すると、明らかに丈が低く、また敷地面積が広がっています。試験場での記録作業などの業務が拡大したからでしょうか、それともただ単に前回のものが手狭だったと考えるべきでしょうか。廃墟にはそこを訪れる人々に想像力をかき立てさせるようです。(28.)

旧海軍魚雷倉庫(同左)
川棚町三越郷片島 大正期
石造・鉱滓煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/04.11/川棚町/静態保存(軍事施設)
 魚雷を保管していた倉庫。魚雷自体が振動を与えてはいけない危険物のため、試験場への誘導路にはここから、トロッコを用いて運ばれていたようです。用途が用途だけあって、結構しっかりした造りです。屋根は抜けているものの、特段補修の必要はないように思われます。
 構造材ですが、石張積みの玄関部分と上部の煉瓦積み部分とで構成されています。正面部分が若干朱を帯びているように思いますが、私はこれをペンキ跡ではないかと想像しています。真相はどうなのでしょうか。(28.)

旧防空監視哨(同左)
川棚町百津郷 昭和戦前期
鉄筋コンクリート造 不詳/不詳
/04.11/不明/放置(軍事施設)
 他の防空監視哨と比較しても、とりわけ小規模でどれだけ使用に耐えうるかよく分からない施設です。この施設に関する各種記述がなければ、煙突のない小型焼却炉の跡なんて見方も出来てしまいます(実際近づくまでは焼却炉と勘違いしてしまいました)。さて、実際これで防空監視機能がとれたのでしょうか?
 周囲の建物がことごとく取り壊されている中で、この施設のみが現在ぽつりと遺されています。往時の雰囲気が何かつかめれば、脈絡のない感じもしなくなるのでしょうが、この段階では、取り壊されたとしても気づかないかも知れません。(28.)

旧海軍資材倉庫(同左)
川棚町百津郷下百津 大正期
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/04.11/民間/放置(軍事施設)
 屋根が抜けた煉瓦倉庫建築。国道沿いからは結構象徴的に見えるため、思わず寄り道した人も、、、いないことはないかと思います。こちらも海軍の資材倉庫として建てられた施設のひとつです。
 他の方のサイトを見ると、中は畑になっているようですね。日照時間とか大丈夫なのかな、等とよけいな心配をしてしまいます。ビニールの屋根をかけ直せば、温室にも使えそうだな、と考えるのは私だけですかね。こういった施設を見るとどうしてもうまい使い方を考えています。(28.) 

旧海軍薬品庫(同左)
川棚町百津郷下百津 大正期
鉱滓煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/04.11/民間/工業施設(軍事施設)
 工場敷地内に比較的良好な状態で遺されている煉瓦造倉庫。どう見ても鉱滓煉瓦造ですね。他の建物と建造年代に大きな違いはないように思われますが、色合いが違うだけで印象は大きく異なるのが、建物の実に不思議なところです。
 川棚町に遺されている多くの倉庫群と比較すると、現在も倉庫として使用されているところに大きな特色があるでしょう。所有者が変わっても同じように使われ続けている、地元に愛されている建物だと言えます。(28.) 

中山アパート(海軍倉庫)
川棚町百津郷下百津 大正期
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/04.11/民間/住居(軍事施設)
 煉瓦造・アパート建築・九州。この三点が揃う施設があるとは、これを見るまでとうてい考えられなかったです。これが北海道とか、あるいは外国の場合でしたら、注視することはなかったかもしれません。しかしここは南国九州の東シナ海沿い区域。何がどうしてこの施設をアパートにしようと考えたのでしょうか。改造のされ方も少々強引ですし。単なる思い入れの強さ以上の、所有者の強固な意志を感じざるを得ません。
 写真撮影当時は住人もいたようですが、現在は空き家のようでもあります。将来が心配な遺産です。(28.)


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