近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

熊本市西区・北区編

(西区)

旧熊本紡績ロール工場棟
熊本市西区春日二丁目 明治29年(1896)
煉瓦造/平屋建 石田金十郎/不詳
2003年解体/03.4/月星化成/工場施設
 連続して伸びる長い煉瓦の壁は見る人を圧倒させ、建物に対する畏敬の念さえわかせます。ましてこのようにほぼすべてが煉瓦工場ともなると、全くもって驚くほかありません。明治の熊本を象徴するすばらしい建造物は、しかしながら現在その勇姿を見る事が出来ません。
 熊本城復元プロジェクト推進に伴う国合同庁舎の移転。移転地に選ばれたのがこの工場跡地(最終保有者は月星化成)でした。在りし日の姿を取り戻すために何か犠牲を払わなければならないとして、それはこれを取り壊す理由として十分だったのか、疑問が残ります(34.)

旧熊本紡績塵突
熊本市西区春日二丁目 明治29年(1896)
煉瓦造塵突 石田金十郎/不詳
2003年解体/03.4/月星化成/工場施設
 ただの煙突と捉えるには少々不格好な印象を感じる胴長のこれは「塵突」といいます。糸を紡ぐ際に生じる糸くずや埃はここに集積され、屋外に排出されます。工場の大きさを考えると少し小さいようにも思えるし、環境に配慮してからか私が見た限りで他の塵突よりも高いようにも見えます。
 単に造形のみを見てみても、他の工場には見られないおもしろい構造物ですが、これも残念ながら敷地活用のため撤去。後には更地ばかりが残ります。取り壊されてしまった構造物を偲び過ぎるのも地域の人々にとって酷といえるでしょう。それでも、あまりにも惜しい構造物でした。(34.)

マミフラワーデザイン熊本教室花峰館(鐘淵紡績診療所)
熊本市西区河内町岳184−35 明治41年(1908)
木造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.4/民間/(工場施設)
 ハーフティンバー、下見板張りに玄関部分には棒瓦が使用され、それに黒々とした瓦が載っているという、西洋と日本との出会いの妙を感じさせる建物です。パーツ別に建物を見ていくと、講堂風の洋風建築に開口部として民家の洋館を組み合わせたような、そんな造りのおもしろさが見られます。
赤煉瓦で囲まれた工場施設内にあって事務所と同様に異色の建物であり、目立つ位置に配置されている事が特徴でした。現在は少し離れた金峰山で活用されているとの事。一度見に行きたいという気持ちでいっぱいです。(31.34.)

旧鐘淵紡績総務事務所
熊本市西区春日二丁目 明治45年(1912)
木造/2階建 不詳/不詳
2003年解体/03.4/月星化成/工場施設(同左)
 明治の工場事務所建築としては最後期に属します。玄関部や窓枠に華やかさが感じられるものの、それ以外は比較的簡素に仕上げられています。これは工場建築であるが故の宿命のようなものでしょうか。それでも紡績会社が国の産業を牽引していた事を物語るには十分な品格と威厳を十分に兼ね備え、後世に残されていくべき建物であったと今はそう思います。
 やはり解体された建物を語るのは、つらいですね。(34.) 

熊本市電上熊本駅前電停(鉄道省池田駅)
熊本市西区上熊本二丁目 大正2年(1913)
木造/平屋建 不詳/不詳
/04.6/JR九州/駅舎(同左)
 水平を強調する屋根と軒が織りなす二重のラインは、建物としての美しさをひときわ際だたせています。明治から大正にかけての中規模駅を象徴づけるスタイルが未だ保持されているのは、熊本ならではの見識の高さといえるでしょう。
 九州新幹線整備に伴い、解体の危機にありましたが、地元の熱心な保存運動の成果熊本市電の駅舎に整備されなおし、元の位置からわずかに移設されました。敷地の関係上、内部の復元が成され得なかったものの、現在も往時のプロポーションを見ることが出来ます。写真は移設前の姿です。(12.33.)

JR九州熊本駅高架貯水槽(同左)
熊本市西区春日三丁目 大正3年(1914)
煉瓦造取水塔 不詳/不詳
/05.9/熊本市/事務施設(同左)
 熊本駅は現在でもかなりの敷地を持っており、その中には煉瓦造の車庫や転車台、またはこのような貯水槽が遺っていました。現在そのうち車庫は取り壊されてしまい、貯水槽は敷地の橋で少し淋しそうに見えます。たたずまいは実に古びを帯びており、とくにかつて蒸気機関車が頻繁に行き交っていたことを表す煤の跡などは、駅舎の歴史をそのままに物語る重要な「汚れ」です。
 現在熊本駅は九州新幹線の開業に向け、またほぼ同時に行われている高架化事業に向けスクラップアンドビルドが激しく行われています。この施設は大丈夫かな、と思っていたところいつの間にか取り壊されてしまいました。跡地利用も大事でしょうが、駅の歴史を語ることも大切なのでは、と苦言を呈したくなります。(34.) 

旧日本亭(同左)
熊本市西区二本木一丁目 大正期か
木造/2階建 不詳/不詳
/08.3/民間/(同左)
 大規模な近代和風建築。元々は二本木地区の大規模遊郭として建てられた施設で、見学した当時はアパートとなっていました。熊本の格式にあった大規模な庇と間口は、さすがというほかありません。
 この建物も解体された、という新聞記事を目にしてしまうと、やはり悲しくなってしまいます。確かに所有される方にとっては、メンテナンスに少なからぬ時間と費用があるものと思います。しかし、この建物が地域の歴史を語ることが出来る数少ない建物だと考えると、複雑な心境にならざるを得ません。

(北区)

旧熊本市八景水谷水源地第二井送水ポンプ室(同左)
熊本市北区八景水谷一丁目 大正13年(1924)
煉瓦造/平屋建 西寒太郎/佐伯組
国登録有形文化財/04.6/熊本市/静態保存(ポンプ室)
 正方形の建物であるため、外観に特徴を持たせようと丸窓や腰折れの破風を備えており、造形の点で非常に見応えのある作品です。元々は単体のポンプ室として用いられていた産業建造物ですが、その枠に収まりきれない遊び心が感じ取れます。
 ポンプ場としての役割を終えた後、水道記念館として用いられてきましたが、隣接して新しい建物が出来上がるとその役割をも終え現在は常時見学が出来なくなりました。撮影当時は外観を遠くから見る事しかできないため、苦労したのも良い思い出です。(12.34.) 

熊本電気鉄道北熊本駅(同左)
熊本市北区室園町1−1 昭和24(1949)年頃
木造/2階建 不詳/不詳
/08.5/熊本電気鉄道/交通施設(同左)
 熊本電気鉄道の路線変更に伴って新設された駅舎。戦後建築という意味では、他の建物よりも重要度は低めになりがちですが、戦後復興期の熊本を語る上では鉄道の役割は否定することが出来ず、この建物も当時それほど多くなかった二階建ての木造駅舎としていまや稀少な建物と言えるようになりました。
 昭和39年に室園から車庫が移転したことに伴い、駅舎自体も現在まで結節点として重要な役割を担っており、今後も是非とも大切にしていきたい建物と言えます。


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