近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真1がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

九州大学馬出キャンパス(福岡県東区)編

九州大学医学部正門門衛所(京都帝国大学福岡医科大学門衛所)
東区馬出三丁目1−1 明治36年(1903)
木造瓦葺/平屋建 文部省建築課福岡出張所/不詳
/02.6/九州大学/守衛所(同左)
 九州大学の中でも一番の歴史を誇る馬出キャンパスですが、古い建物となると箱崎のそれに比べ少ないといった印象があります。それらの中でも古くからある大学であることを教えてくれる建物がこれではないでしょうか。
 設計者の詳しい情報などは分かりませんが、下見板張りの外壁や庇などにコロニアル形式の特徴が見られます。同様の形式が見られた医系東門の守衛所は近年取り壊されており、この建物の重要性はますます高まってきました。(4.)

九州大学医学部東門(京都帝国大学福岡医科大学正門)
東区馬出三丁目1−1 明治36年(1903)
石造門柱 文部省建築課福岡出張所/不詳
/15.2/九州大学/門柱
 最近は近代化遺産がらみで滅多なことではのけぞらなくなったのですが、この作品の復元は正直、驚愕でした。そもそも無くなっていることを知らず、大学職員の所属となり、業務で仕事に関わりだしてから、医科大学時代の正門が東門として移築されていたことも百周年を迎えたところでようやく知ったというくらいですから、まさかこのような形で再設置されたということに感謝感激です。
 ただ、これに関してもどちらか一方向に寄せればもっと良かったろうに、と思う次第です。(93.)

九州大学医学部久保記念館(同左)
東区馬出三丁目1−1 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/2階建 小林某?倉田謙?/不詳
/03.9/九州大学/研究施設(同左)
 日本で初めての無響設備を整えた、技術史的にも重要な遺構です。医学部耳鼻咽喉科教室に付属して造られた建物で、長い間聴力検査室として使われたようです。
 一応資料館として機能しているようで、予約をすれば見学も可能とのこと。門扉や窓枠はかなり近年付け替えられています。道路拡幅にぎりぎりかからず、なんとか現状の姿を当分は見せていただけそうです。何よりも哀しく感じるのは、大学の公式ホームページにあるキャンパス紹介マップでこの建物の存在がないことにされているのは、、、少し、寂しい限りです。寄附物件なので、施工業者が分からず、関係者的にはかなり悔しい建物です。(4.現地案内板.93.)

九州大学医系生協(旧医学部第一外科教室および病室)
東区馬出三丁目1−1 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/3階建 倉田謙/岩崎組
/03.9/九州大学/研究施設(同左)
 一番の注目は車寄部分でしょう。これだけ大規模なデコレーションが施されているものはそうお目にかかれないのではないかと思います。医系キャンパスの中でも特筆すべき施設として、2007年まで一部使用されていましたが、キャンパス整備に伴い取り壊されました。
 外壁に関しては応急措置的な補修が繰り返され、痛々しさが印象に残ります。細かな装飾は未だ輝きを失って居らず、分離派建築九州代表としての風格をいつの日か取り戻すことを望んでいましたが、いまやそれも望めなくなりました。まさか、この建物が解体されるとは、正直思っていなかっただけに、よけいに残念です。(4.23.)

九州大学医学部正門(同左)
東区馬出三丁目1−1 昭和3年(1928)
石造門柱 倉田謙?/不詳
/11.11/九州大学/放置(教育設備)
 帝国医科大学創立25周年を記念して造られた正門。大学新病院建設に伴い仮撤去され、しばらく大学敷地内の端っこに安置されていました。かつて医学部の正門が保存されているとのメールを見て、早速医学部に足を運び、探して見つけたのですが、遺されていると言うより、とりあえず置いてあるといった印象があり、心配していたところ、見事に再設置されました!
 図面から見て倉田の設計で間違いないようですが、、、拡幅でスケール感が狂ってしまったのが唯一残念なところです。一方向に寄せられないものだろうか、、、。(投稿情報.93.)

九州大学医系特高変電所(同左)
東区馬出三丁目1−1 昭和3年(1928)
鉄筋コンクリート造/2階建 小原節三・岩崎圓吾/佐伯組
/03.9/九州大学/変電所(同左)
 古さだけは見た目から充分感じさせてくれますが、どこか不可思議な建物です。かろうじて残る2階部分のガラス(作られた当時からのものと思われる)に個性の名残を思わせますが、何か疑問点を持ってしまいます。
 これはどうやら、煉瓦造りで用いられていた従来のデザインを鉄筋コンクリートという材質にそのまま適用してしまったことでおかしな印象を与えているのでは、と思い至りました。結果として建物は解体撤去されてしまいました。内部がどうだったのか、私にとって謎ばかりが残ります。(4.93.)

九州大学医学部基礎研究A棟(旧医学部第一、二、三内科教室および病室)
東区馬出三丁目1−1 昭和6年(1931)
鉄筋コンクリート造/3階建 倉田謙/大林組
/03.9/九州大学/研究施設(同左)
 とにかく縦に強調されている外見から、遠くからその規模がつかみづらい建物ですが、大きな建物です。医系地区におけるシンボル的建築ではないでしょうか。味のある茶の外壁は落ち着きと親しみを感じさせます。
 前庭には古くからある樹木ばかりです。その内の一本は普通のビルなら4階建てにも相当する建物の天井に届こうとしています。そんな庭に千利休が傘をかけて近くで茶会を催したという松があります。誇ることなく史跡と同居している建物、その心意気や良し、です。(4.93.)

九州大学旧看護婦宿舎(同左)
東区馬出三丁目1−1 昭和9年(1934)
鉄筋コンクリート造/3階建

各務一雄/竹中工務店

2008年初旬解体/03.9/九州大学/宿舎(同左?)
 箱崎キャンパス・農芸化学本館と同じインターナショナルスタイルを採った建物ですが、デザイン性はこちらの方が断然上です。見たところ屋上庭園や非常口用の螺旋階段もあるようで、デザイン排除の流れにあった時代の中でも遊び心が多く残されている建物と言えます。
 惜しむらくは外壁の所々がはげ落ちて、修復もなされていないことでした。書庫などで使用されていたようですが、取り壊されてしまうとただもったいないと言わざるを得ません。(a.4.93.)

九州大学歯学部臨床研究棟(旧医学部歯科口腔外科・整形外科棟)
東区馬出三丁目1−1 昭和9年(1934)
鉄筋コンクリート造/3階建 各務一雄・國武周蔵/辻組
/11.11/九州大学/研究施設(同左)
 外観だけを見ると九州大学でもそれ程珍しくないモダニズム建築の流れを汲む建物ですが、中庭部分に張り出す階段室のカーブや角々に過剰に強調されている庇など、建築としての見所は意外と多いようです。
 エントランスなどが増改築されているため、利用者にとって古い建物という印象を持つことは難しいかもしれません。それだけ現在も使われている施設と言うことも出来ます。建物は使われているからこそ、美しいと思うのは、私だけでしょうか。(九大医学部五十年史.93.)

九州大学医学部基礎研究B棟(旧医学部法医学衛生学微生物学教室および病室)
東区馬出三丁目1−1 昭和10年(1935)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/金子組
/11.11/九州大学/研究施設(同左)
 基礎研究A棟とはほんの数年しか変わらぬ竣工で、同じような構成を持った建物であるはずなのに、ここまで印象が変わってしまうことに驚きを禁じ得ません。建造当初はコンクリート造の目新しい建物だったのかもしれませんが、年を経て外観はくすみ、いつの間にやら取り壊しの計画もあったようです。
 現在大規模な耐震改修を経て、再び使用されています。長期計画の中では何れ解体という流れもあるようですが、できうる限り大切に使用されていただければと願う次第です。(a.4.93.)


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