近代化産業遺産 総合リスト
建物紹介例
<写真1がここに入ります。(下は例)>
現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地)
建築年代
構造/階層
設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)
九州大学箱崎キャンパス(福岡県東区)編
九州大学正門(同左)
東区箱崎六丁目10−1
大正3年(1914)
煉瓦造
倉田謙?/鴻池組
/02.4/九州大学/門柱/
九州大学の正門といえば、かつては医学部の正門が実に重厚な造りでしたが、戦前期のもので現存する門柱は、箱崎の正門と農学部門のみとなりました。
このように道路面から門までが広くとられているため、写真からは小さく見えてしまいがちですが、実際は照明部分まで3メートル以上あります。明治村の正門と似た感じですが、こちらの方が少し大きいように思います。国立大学の威厳を今に伝える構造物です。(4.23.93.)
九州大学正門門衛所(同左)
東区箱崎六丁目10−1
大正3年(1914)
煉瓦造/平屋建
倉田謙/鴻池組
/11.3/九州大学/守衛所(同左)
小口積みの煉瓦建築で、その用途は現在も変わっていません。写真として撮るには左側に見える木がかなり邪魔で、冬になって落葉するのを待って写真を撮ることが一番ベストでしょう。
小規模建築ではありますが、九州大学に残る煉瓦造建築物の要素を全て取り込んだ、凝縮した建物のように感じます。数ある守衛建築の例に漏れず、良質なデザイン性を保持しているのではないかと言えます。九州帝国大学創立のきっかけとなった古河家寄附による建物という所もポイントでしょう。(0.4.93.)
九州大学旧造船学実験室(同左)
東区箱崎六丁目
大正10年(1921)
煉瓦造/平屋建
倉田謙/岩崎組
/03.9/九州大学/研究施設(同左)
建物としては表通りから奥まっているため、こんな所に赤れんがの建物があるとは想像しづらい様な位置になります。研究施設として利用されてはいるものの、現在の用途が今ひとつつかみづらい建物です。
昭和58年に取り壊された造船学教室と対になって存在し、同時期に建てられた建物でした。造りの細長さから舟形試験水槽のように見えますが、中は部屋として区切られており、実験施設であることは間違いありません。(1.4.65.93.)
九州大学農学部実験室(農学部汽罐室)
東区箱崎六丁目10−1
大正10年(1921)
煉瓦造/平屋建
倉田謙/橋本料左衛門商会
/15.7/九州大学/研究施設(同左)
農学部設立当初から使用されている煉瓦造の施設。こちらは表通りに面していないため、保存を議論する近代建築の対象としてカウントされていなかったのですが、私の方であるはずだ、かつ建築課長である倉田謙の設計であることまで確認することで、なんとか議論の対象まで持ち込むことが出来ました。
小ぶりな建物で、平屋であることもあり、活用それ自体は難しくはないように思います。ただし、大学が土地を手放した後新たに所有する業者がこれをどのように考えるか、そこに尽きるかと思います。議論の前に取り壊されることのないことを願います(65.93.)
九州大学農学部倉庫(同左)
東区箱崎六丁目
大正10年(1921)
煉瓦造/2階建
倉田謙/関門商事
2006年頃解体/05.2/九州大学/研究施設(同左)
連続高架事業が完了した箱崎−千早間の電車から見える倉庫建築。L字構成でたてられているものの中では、結構しっかりした造りとなっており、かなりの見映えがします。もっとも、通学している学生にとっては単なる景色のひとつですが。
由来もはっきりし、見映えもする倉庫ですが、2005年の福岡県西方沖地震の際に切妻2階上部分が倒壊寸前の状態にあったため、早晩取り毀されても不思議にない状況、と言っていたところ、やはり取り壊されてしまいました。(a.大学配置図.)
九州大学農学部門(同左)
東区箱崎六丁目10−1
大正11年(1922)
石造・鉄筋コンクリート造門柱
倉田謙/橋本料左衛門商会
/16.1/九州大学/教育設備(同左)
九州大学に通っていたひとたちの中でも、筥松や松島方面に住んでいた方々しか使わなかった門ではないかと思います。大正10年に農学部が開設された際から農学部のメインストリートを象徴する門として格式を持った姿を保っています。惜しむらくは1980年頃まで現存していた農学部の守衛所が遺っていれば、さらに良かったのですが、、、これは致し方のないところでしょうか。
この設備含め、大学に遺る工作物の議論はまだ行われておらず、大学移転後の行く末が気がかりです。(65.93.)
九州大学本部(工学部仮実験室研究室)
東区箱崎六丁目10−1
大正14年(1925)
煉瓦造・鉄筋コンクリート造/2階建
倉田謙/佐伯工務所
/02.5/九州大学/事務所(研究施設)
中央屋上部に続く塔屋のアーチ状装飾が特徴的な建物です。工学部本館と見比べると小規模に見えてしまうのは、現在の用途を考えると問題がある様に思うのは私だけでしょうか。
窓周りの装飾は少しごてごてした印象もあります。造られた年代から考えて少々時代錯誤的な印象も持てますが、もともとが焼失した工学部本館煉瓦材の再利用によって造られた建物ですので、ある意味仕方ない話なのかもしれません。構造体としては、鉄筋コンクリート造と言えます。(4.93.)
九州大学第三庁舎(工学部仮実験室研究室第一附属家)
東区箱崎六丁目10−1
大正14年(1925)
煉瓦造・鉄筋コンクリート造/2階建
倉田謙・小原節三/佐伯工務所
/12.6/九州大学/研究施設(同左)
この左側にある本部棟よりもデザインはシンプルで、小規模な建物です。赤れんがの素材の良さを充分表現した作品ではないでしょうか。左右対称の構造で、中央部の突出した部分が特に強調されて印象に残ります。
意匠から見ると所々おかしな部分が見られますが、これは石材を含めて向かい側にあった旧工学部本館の焼け残り部材を使用しているからに他なりません。個人的には入口の間口の狭さから来る、「視角が狭まっているが故に感じる緊密感」に親しみを覚えます。(4.23.)
九州大学旧法文学部本館(→言語文化部・応用力学研究所)
東区箱崎六丁目
大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造/4階建
倉田謙/岩崎組(増築部は佐伯組)
/02.6/九州大学/研究施設(同左)
遠くから見ると表面上に何本も延びているダクトが一体何事かと考えさせられますが、建物の用途と現在の居住環境が大きく変化したことを暗に示しています。外見をよく見るとあちこちにちりばめられた模様入りタイルが巧妙なアクセントとなって、建物を単調さから脱却させています。
建物の内部はロの字型となっており、中庭から見える建物のもう片方が、内部景観を強調させています。ただし、福岡県西方沖地震の被害によって雨漏りがひどく、あえなく解体の選択に至りました。(4.23.)
九州大学旧法文学部図書館・(→工学部食堂)
東区箱崎六丁目10−1
大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造/2階建
倉田謙/佐伯工務所
/02.6/九州大学/図書館・食堂(図書館)
ファサードから開口部の吹き抜けを想起させますが、入ってみると開放感はそれほどではなく階段が大きくそびえます。1階部分は一時期食堂として、現在は博物館の標本が置かれており、相当の改装が施されています。
もとは九大の本部図書館として機能していましたが、手狭になったため本来の図書館機能は縮小し、工学府関連書籍に限定した図書館となり、新たに中央図書館を新設。現在は博物館の保管庫として一時使用されていますが、数年後解体予定となっています。(4.)
九州大学旧法文学部掲示板(同左)
東区箱崎六丁目10−1
大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造掲示板
倉田謙/岩崎組
/15.7/九州大学/研究設備(同左)
箱崎キャンパスの中でも正門から入ってしばらく続く旧法文学部から工学部にかけての歴史的空間に華を添える、大正時代に造られた掲示板設備です。一部は教職組の掲示板などで現在も利用されていますが、こちらは現在の所完全に使われていないようです。他の掲示板に比べこちらは木製の整備建具も遺っており、当初のデザインモチーフが分かる、非常に稀少なものです。
大学の移転に関して、こういった工作物も保存を願いたいところですが、まだ議論の対象となっていません。出来ればただ壊されるようなことがないことを願います。(65.93.)
九州大学旧河海工学実験室(→応用物質化学科別館)
東区箱崎六丁目10−1
大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造/2階建
倉田謙/佐伯工務所
/03.3/九州大学/研究施設(同左)
大学に遺る建物群の中でも、昭和期の建物と比べてもそのシンプルさが目立ちます。建物群の中で奥まっていることもあってか、訪れる人影も少なく、大学の中ではかなりマイナーな建物であると言えるでしょう。
たたずまいから研究施設だな、と推測でき、近寄りがたさがあることは否めません。そういった意味では、ある意味完成された建物であると言えるのでしょうか。そこがネックとなり、解体されたのかもしれません。(4.23.)
九州大学土木材料実験室(旧農学部喞筒室)
東区箱崎六丁目10−1
大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造/平屋建
倉田謙/岩崎組
/11.8/九州大学/研究施設(同左)
一見して確かに古そうな建物という印象を持つのですが、だから保存しなければならないとか、或いは是非とも調査を、と言うような、そのような特徴が少なくとも個人的にはあまり感じられない建物ですが、歴史的には面白そうな施設ではあります。
大学施設は各種の実験や生活用水などの目的で大量の水を必要としますが、農学部は当初それらを地下水からの井戸でまかなっていました。この施設はそのポンプ室であったものを再活用する形で現状の用途となっています。竣工年の割にシンプルすぎるところも気になります。(65.93.)
九州大学旧法文学部心理学教室(同左)
東区箱崎六丁目10−1
昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/2階建
倉田謙/不詳
/02.6/九州大学/事務所(研究施設)
話によると、ドイツの大学にある心理学研究室を模して造ったと言われる建物で、成程同建築家の建物の中でも少し印象の違った感じが見受けられます。タイル装飾は少なく、その代わり窓が広くとられています。寡黙ながらも、その威厳は他の建物に劣らない様な気がします。
放送大学のサテライトキャンパスや進学相談室などの用途を経て、2015年度までは埋蔵文化財調査室が入居していました。解体の流れになってしまったことが悔やまれる建物です。(4.23.93.)
九州大学工学部旧応用化学教室(同左)
東区箱崎六丁目
昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/4階建
倉田謙・小原節三/佐伯組
/02.6/九州大学/研究施設(同左)
その規模とスタイルの面において工学部本館と並び称されるべき、愛着の持てる、インパクトのある建物です。左右対称の形をとっていますが、中央部の強調は少なく、どちらかというとずんぐりとした印象もあります。
こうやって見ると4階部分がかなり浮いているように映ります。1階〜3階の黒く見える部分は元々あったタイルに戦時迷彩塗装が施されており、4階部分はさらにその上になぜかペンキが塗られています。もうじき解体される予定です。(4.)
九州大学工学部変電室(同左)
東区箱崎六丁目10−1
昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/平屋建
倉田謙/佐伯組
2016年2月解体/15.7/九州大学/研究施設(同左)
工学部応用化学教室建造の際に実験などで大量に電気が必要だったことから新営費の中で同時に造られた変電室。応用化学教室と同じく佐伯組の施工による建物です。
ほどほどにデザインがなされ、小ぶりの施設で活用しやすいのでは、と思ったのですが、今回調査の対象があまりにも多く、建物単体としてカウントされることがなかったため、解体させてしまった不幸な建物です。これを教訓に、少しでも地域のためにまちの価値となるような建物を遺して行ければと思うばかりです。(65.93.)
九州大学農学部農林生物物理研究棟(農芸化学実験室)
東区箱崎六丁目10−1
昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/平屋建
倉田謙/佐伯組
/08.3/九州大学/研究施設(同左)
木々に囲まれており、どうしても目立たない建物という印象はぬぐえないのですが、近づいてよくよく見てみると、軒の部分にタイルが使用されていたり、角部分には斜め方向に出張った柱があったりとシンプルながらの工夫が施されており、好感が持てます。
現在この建物に関しては、保存の議論対象になっておらず、取り壊しの危険性も高くなっています。2019年の大学完全移転後の建物処遇が気がかりです。(65.93.)
九州大学生活協同組合本部(学生食堂→学生寮)
東区箱崎三丁目32−20
昭和3年(1928)
木造瓦葺/2階建
小原節三/渡邊末吉(請負)
/02.4/九州大学生協/事務所(同左)
箱崎地区では稀少な木造建築のひとつ。九州大学の関連施設でこれほど古い形式のものは少なく、今や貴重な施設であるといえるでしょう。昭和初期の建物ではありますが、古めかしい外観はもっと古そうな印象を持ってしまいます。玄関周りや階段部分の一部に竣工時の意匠を留めていますが、現在の内部はごく普通の事務所建築と言っていいと思います。
しかし、この建物を見るたびに、キャンパスの雰囲気というものは、建物ひとつひとつの集合によって構成されているのだな、と感じさせられます。(4.65.93.)
九州大学留学生センター分室(農学部発電所)
東区箱崎六丁目10−1
昭和4年(1929)
鉄筋コンクリート造/2階建
倉田謙/不詳
/12.8/九州大学/教育施設(同左)
元々は農学部の発電所として建てられた施設ですが、早いうちに改装が施され、現在も留学生センターとして長く使用されています。内部はらせん階段が取り付けられていますが、これは後年の改装によるもののようで、元々の発電所時代は二階部分へは外部に取り付けられた階段部から出入りしていたと考えられます。
吹きつけタイルで覆われ、シンプルな形になっていますが、場所から考えても当初はかなりデザイン性があったのではないかな、と推測しています。(65.93.)
九州大学工学部本館(同左)
東区箱崎六丁目
昭和5年(1930)
鉄骨鉄筋コンクリート造/6階建
倉田謙/清水組
/02.5/九州大学/研究施設(同左)
九大で一番有名な建物であり、一番かっこいい建物だと思います。類似型に門司区役所がありますが、それよりも一回り大きく、また曲線の使い方はこちらの方に遙かに分があります。旧帝大のステータスをその姿で示してくれるお手本のような建物です。
移転の話が着々と進行中の九大ですが、この建物は保存すること自体は大学内で決定しています。利用方法などはこれからという話になりますが、他では代え難い文化的資産を持った、その動向が注目される建物であると言えるでしょう。(23.65.93.)
九州大学水泳プール(同左)
東区箱崎六丁目10−1
昭和5年(1930)
石造・鉄筋コンクリート造
倉田謙?/不詳
2016年1月解体/12.2/九州大学/教育施設(同左)
大学のカリキュラムの中では、一応健康スポーツ科学という名で、教養課程の中で体育の授業を行っているのですが、かつては六本松キャンパスで、そして現在は伊都キャンパスでそれらを受け持っているため、箱崎のこのプールを利用していたのは実質水泳部のみではなかったかと思います。
法面は御影石で覆われており、なるほど、古くからの風格を持っていたのですが、親しみが薄い関係から、さして議論に上がることなく、このたび解体されてしまいました。(65.93.)
九州大学旧工学部高周波電気及電子工学実験室(→工学部超伝導マグネット研究センター→グラミンハウス)
東区箱崎六丁目10−1
昭和6年(1931)
鉄筋コンクリート造/2階建
渡部善一/大林組
/03.3/九州大学/研究施設(同左)
自動車唯一の入口、小松門に面しているため、多くの人の目に触れやすい建物ですが、使用用途を知ることがあまりない建物でした。工学部移転に伴う用途変更の際に、市民参加型のプロジェクトに使用したため、比較的有名な建物となりました。箱崎地区における建物の保存や解体を巡る議論のきっかけになったのが、この建物の閉鎖でした。
外壁の素材は黄土色のスクラッチタイルで、周囲に僅かながら残る箱崎松原の緑によく似合います。タイル好きな方にはかなりポイントな建物らしいです。(4.23.93.)
九州大学熱帯農学研究センター(演習林本部事務所)
東区箱崎六丁目10−1
昭和6年(1931)
木造瓦葺/平屋建
渡部善一/清水組
/02.6/九州大学/研究施設(同左)
この建物の周囲だけ南国の空気を感じるのは、なにもこの建物の研究対象だけではないと思います。周囲に植えてある植物も南のもので、福岡ではあまり見かけない稀少なものばかりです。
一見して判るような公共建築の形をとりつつも、玄関ポーチ直上にある採光用の窓などからは特有の個性を感じさせます。九州大学で現在残っている木造建築は数少なく、この建物は建築様式を今も色濃く遺した重要なものであると言えるでしょう。現地保存が望ましいのですが、もし厳しいようでしたら或いは移築も考えられるのでは、とこっそり提案しておきます。(0.4.65.93.)
九州大学工学部旧高温度化学実験室(同左)
東区箱崎六丁目10−1
昭和7年(1932)
鉄筋コンクリート造/平屋建
各務一雄/清水組
/10.10/九州大学/研究施設(同左)
表通りからはきわめて見えづらい建物ですが、廊下を通じてひと繋ぎとなっている応用化学教室とセットになって使用されてきた建物です。元々実験機材などが取り付けられていましたが、2005年の工学部移転に伴って現在は保母からの状態となっています。
外観のデザイン的特徴が多く、応用化学教室とともにその処遇が注目される建物です。活用の芽が残っていることを祈願していたのですが、残念な結果となりました。(65.93.)
九州大学農学部構成見本園(同左)
東区箱崎六丁目10−1
昭和7年(1932)
教育用造園設備
永見健一/不詳
/15.7/九州大学/教育設備(同左)
夏場にうっかり訪れてしまうと、このように草むらで覆われてしまっていて、何がなにやら分からなくなっていますが、元々は大濠公園の実施設計者でもある九州大学農学部助教授(後に東京農業大に転任)の永見健一が設計に関わり、各種の植物を植えていくことで単なる憩いの場のみならず、農学部の学生の植物学実地教育に役立つ施設としての色合いも持っていました。現在は周囲が立て込んでおり、往時の姿とは少し異なっているような状態となっています。(65.93.)
九州大学農学部砂防工学実験室(同左)
東区箱崎六丁目10−1
昭和9年(1934)
木造/平屋建
各務一雄?/清水組
/12.8/九州大学/研究設備(同左)
表通りに面していない、かつ派手な意匠を持っているわけではないので、どうしても目立ちにくいのですが、木造平屋建てで移築がしやすいことや屋根の三角ドーマー(明かり採り用の窓)が連続している様などはなかなかに面白いことなどから、九州大学箱崎キャンパスの歴史的建築の一つとして保存が出来るかどうか議論が行われた物件です。
とはいえ、実際保存できるかどうかは土地の新所有者が活用する気があるかどうか次第です。どうなるでしょうか。(65.93.)
九州大学旧第三学生集会所・三畏閣(同左)
東区箱崎三丁目
昭和12年(1937)
木造瓦葺/2階建
島岡春三郎/佐田俊彦(請負)
/05.2/九州大学/余暇施設(同左)
箱崎を主体に活動しているサークルにはすっかりおなじみな、学生交流施設。大学が使用しているいないはともかくとして、かなり大規模な近代和風建築としても見所があります。土地勘がない人が見たら、古くからある旅館か料亭と思うことでしょう。
歴史ある大学というものをまざまざと感じさせてくれる施設です。大学とは、厚生施設があり、近場に呑み屋があり、研究施設っぽいたたずまいを持っているものだと私は思っていましたが、最近はやたら綺麗さばかりが強調され、それで質が伴うものかと頗る疑問です。(0.65.93.)
九州大学附属図書館記録資料館(法文学部演習室)
東区箱崎六丁目
昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造/2階建
不詳/不詳
/16.7/九州大学/研究施設(同左)
大学の正門をくぐり抜け、最初に目につくのが法文学部本館であったり、工学部本館であったりもするので、なかなかこちらの施設には目が向きません。まして外見のデザイン部分が正面にないため、中途半端な古さばかりが目立ってしまいます。しかし内装に関しては当時の雰囲気をよく留めた施設であり、注目に値しますが、何せ現役ばりばりの研究施設ですので、やはり敷居は高いと言えます。
九州のかつての基幹産業・石炭を研究していた施設であった関係上、中に遺る各種資料は質・量ともに文化財クラスです。今後これら資産を有効に活用してくれることを願うばかりです。(65.)
九州大学農学部6号館(旧農学部農芸化学本館)
東区箱崎六丁目
昭和13年(1938)
鉄筋コンクリート造/3階建
島岡春三郎・国武周蔵/清水組
/03.9/九州大学/研究施設(同左)
昭和も10年代に入ると、インターナショナルスタイルが地方の建物の中にも取り入れられるようになりました。その代表的な建物ではないかと思います。建物の配置から言っても農学部の中で最も重要な建物であったと思われますが、現在は大学院施設と大学生協・食堂が入居した、福利厚生施設に近い位置づけになっています。
内部外装含めかなり改装を施されておりますが、水平ルーバーのきりっとした広がり用は中々気品を感じさせます。現在もなお多くの人々が出入りする、賑わいを抱えた建物です。(4.)
九州大学工学部振動実験室(旧採鉱学実験室増築部)
東区箱崎六丁目10−1
昭和13年(1938)
鉄筋コンクリート造/平屋建
島岡春三郎/不詳
/16.3/九州大学/研究設備(同左)
建築学会の駐輪場の近くにあり、表通りに面していないため、何のための施設なのか今ひとつ分からなかったのですが、大学文書館の図面をひっくり返して必死に調査するなかで、偶然この建物の由来がはっきりしました。
設計者と元のように関しては判明し、あとはどこの施工によるものか突き止めたいと思うのですが、、、これはさらなる苦労が要るように感じます。さすがにひとりでやっていると、もうこれ以上由来を追うのは難しいみたいです。(65.93.)
九州大学工学部航空工学教室(航空学教室)
東区箱崎六丁目
昭和14年(1939)
鉄筋コンクリート造/3階建
島岡春三郎・坪井善勝/辻組
/03.10/九州大学/研究施設(同左)
一見見ただけでは汚い建物以外の印象は見つけづらいかと思います。最大の特徴である塔屋は、管制塔を模したものといわれていますが、時代背景を考えると威厳性を持たせる目的もあったものと考えられます。
所々黒く汚れている部分は、戦時空襲を避けるための迷彩塗装が施された跡です。その外壁から戦争と平和を考えさせられる、あだや疎かにできない建物のひとつです。(4.)
九州大学理学部バンデグラフ起電機(同左)
東区箱崎六丁目10−1
昭和18年(1943)
実験用原子核加速器
不詳/
/15.7/九州大学/研究設備(同左)
理学部原子核実験室内に遺されている研究用の実験機械。時代背景的な意味合いから原子爆弾製造に向けた実験を行えるよう、予算措置されたものと思われ、単なる研究設備という意味合いとは異なる、技術史的に重要な資産であるとともに、平和を考える上でも非常に重要な産業遺産でもあります。
九州大学理学部は2015年に伊都キャンパスに移転し、この設備もこれからどうするか、現在議論が進められています。(65.93.)
九州大学理学部原子核実験室(同左)
東区箱崎六丁目
昭和19年(1944)
鉄筋コンクリート造/3階建
坪井善勝/直営か?
/15.7/九州大学/研究施設(同左)
ちょっと見た限りでは、何の変哲もないコンクリート建築です。が、よくよく見てみると、現在見る建物群にはない特徴がいくつか表れています。それは玄関そばの大きな丸窓であったり、角地に大きく張り出した出窓だったり。増築を繰り返しているため、一見よく分からない建物となっています。
この建物の建造年代を調べてみると、なんと、昭和19年と言うから本当にびっくりしました。ましてそれが原子核の実験施設と言うから、なにやら背後に潜むドラマを期待せずにはいられません。建造物の特徴と言うより、その歴史的経緯に価値がある施設といえます。(65.)
九州大学工学部本部蓄電池室(同左)
東区箱崎六丁目10−1
昭和30年(1955)
鉄筋コンクリート造/平屋建
九州大学施設課/不詳
/15.10/九州大学/研究施設(同左)
戦後に竣工した施設ですが、たたずまいから言って戦前期から続く近代建築の流れを受け継ぐ施設と言えます。用途は電池室ということで、さっぱりとシンプルに建てられていますが、縦長の窓はふさがれており、産業遺産としての用途に応じた変更がかなりなされているものと思われます。
他の近代建築と比べてしまうと、保存という話にはほぼならない建物ではあるのですが、どうしても気になる施設なので、ここで記録を兼ねて紹介しておきたいと思います(65.93.)
九州大学工学部建築学教室(同左)
東区箱崎六丁目10−1
昭和35年(1960)
鉄筋コンクリート造/4階建
光吉健次/清水建設
/15.7/九州大学/研究設備(同左)
九州大学は大正時代から建築課を通じて営繕部門の技師が工学部を兼任する形で学生に対して建築学を教えていましたが、戦後になり、念願の建築学科の設立が叶い、さらにその建築学科の教官である光吉健次の手によって設計された建物が現在も大学キャンパス内に遺っています。
こちらの建物も大学移転に伴い今後どうなるか、不透明になっています。やり方はいくらでもあるように思うのですが、、。(65.93.)
九州大学五十周年記念講堂(同左)
東区箱崎六丁目10−1
昭和42年(1967)
鉄筋コンクリート造/4階建
光吉健次/戸田建設
/11.3/九州大学/教育施設(同左)
10学部を抱える総合大学である九州大学は、戦後に入るまで入学式や卒業式を挙行できるような大規模なホールを自前で持たず、講堂の建設は昭和初期から続く長年の宿願とも言えるものでした。
この講堂は、長く入学式や卒業式を行ってきただけでなく、一階部分には中央食堂、そして教員用の食堂や会議機能を持つ多機能な施設として造られ、現在でも食堂は多くの方が利用しています。キャンパス移転に伴って取り壊されてしまうのか、OBとしても気がかりな施設と言えます。(65.93.)
九州大学工学部七十五周年記念庭園(同左)
東区箱崎六丁目10−1
昭和61年(1986)
記念庭園(通称地蔵の森公園)
光吉健次/木下緑化建設
/12.2/九州大学/教育施設(同左)
学生が授業の合間に休憩する場として、また大学生や教員、或いは地域住民にとっても花見の名所としても知られており、大学のセントラルパークと言える場です。
今回、跡地利用計画の中で大学内委員会としての提案として公園のまま使っていくべきと書かれました。この施設に関して言えば、特に異論無く、これからも花見の名所として遺ってくれることを期待しています。(65.現地竣工記念板.)
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