近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>シーガイア・オーシャンリゾート 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

宮崎県宮崎市編

宮崎神宮旧徴古館(同左)
宮崎市神宮二丁目 明治40年(1907)
土蔵造ナマコ壁/2階建 伊藤忠太・佐々木岩次郎/不詳
/05.11/宮崎神宮/静態保存(余暇施設)
 土蔵造の2階建て、さらにナマコ壁と来ると慶応大学の三田演説館を想像する方も多いかと思いますが、こちらも立派な擬洋風。大きさは若干こちらの方が大きいようですが、参道の隅にひっそり佇むところはよく似ています。
 演説館と比べ腰蛇腹とより縦長の窓配置というところが、年代が下っての作品であることを表しているのかもしれません。こちらの方が安定した造りといった印象があります。こうなるとあとは内装を見てみたくなるのが心情というものですが、イベント時を除き残念ながら非公開。(23.38.) 

大淀川橋梁(同左)
宮崎市松山二丁目他 大正4年(1915)
鋼製プレストガーター橋梁 鉄道院/不詳
/05.11/JR九州/鉄道橋(同左)
 70フィートの桁を19連も連ねた、全長400mに及ぶ長大橋で、現役で使用されていますこれだけの長い川で、架け替えが行われていないことも非常に珍しく、ロングライフ構造物という点でももしかしたら重要な作品なのかもしれません。
 川の周辺は親水公園として整備されています。列車でも通っていない限り、余程のことがなければこの橋をしげしげと眺める人はいないのかもしれませんが、単純ながら、毎日眺めると好感の持てそうな橋ではないでしょうか。(d.12.)

NPO法人みやざき子ども文化センター(田中商店)
宮崎市橘通西二丁目 昭和6年(1931)
木造/2階建 不詳/二宮組
/05.11/民間/事務施設他(商業施設)
 各種サイトでは「ファッション3」という販売店の名で紹介されている建物。当サイトでは占有敷地比(笑)からNPOの事務所名で紹介しています。全体としては貸しテナントビルとなっているようです。
 明治屋ではないかとの話も伺ったのですが、宮崎地元の商店建築であることが投稿情報で分かりました。ずいぶん古い時期に書き込んでいた情報で、検証作業も余りやっていないものですから、ずいぶん適当なことを書いてしまってましたね、反省しきりです。地元商店による意欲的な洋館で、往時の宮崎の賑わいを感じさせます。
 そんな作品にNPO事務所がある、というのは実に羨ましい話です。繊細優美な近代建築が青少年の健全な育成に寄与してくれることを静かに祈っています。(投稿情報.) 

宮崎県庁南第2別館(宮崎農工銀行)
宮崎市橘通東一丁目 大正15年(1926)
鉄筋コンクリート造/2階建 佐伯組/佐伯組
/05.11/宮崎県/行政施設(金融機関)
 県庁近くにある銀行建築で、現在県庁の業務拡大に伴い南別館として使用されています。近隣にある官庁利用建築群の中では一番派手な外観で、地方銀行の本店建築としては十分な造りではないでしょうか。
 銀行建築も昭和30年代くらいまでは洋風建築らしい外観に仕上げを工夫する事が行われていました。銀行の信用性を示すための経済的行為であったそれは、現在景観配慮の方面で貴重な地域の財産となっています。(a.38.) 

宮崎県教育会館(同左)
宮崎市橘通東一丁目 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/05.11/宮崎県/行政施設(同左)
 玄関とその両脇の丸窓等、同時期に造られたと思われる愛媛県教育会館との類似性がみられますが、こちらはみたところ、モダニズムでまとめられています。この建物周辺は行政地区として位置づけられているようで、裏側には県庁の南第二別館(旧第一銀行)、近くには県庁本館も控えています。
 内部を確認していませんが、ホールを備えた施設として機能しているようで、比較的利用者も多くいらっしゃったのではないでしょうか。老朽化からか、訪れたときは人もまばらという印象でした。(a.) 

宮崎県庁(同左)
宮崎市宮崎市橘通東二丁目 昭和6年(1931)
鉄筋コンクリート造/3階建 置塩章+宮崎県/大林組
/05.11/宮崎県/行政施設(同左)
 昭和初期にネオゴシックが流行りだしたときの作品。垂直線の強調を主体とした一部4階建の官庁建築です。内装は時代性を色濃く遺す、直線を主体とした威厳を見せるための仕様となっており、県庁建築らしい建物だといえます。
 南国にふさわしい外観、というものがいったい何なのか分かりませんが、この建物は前面のフェニックスやサボテンとの相性は合っているようです。もっとも私が訪れたときは寒い時期でしたので、何とも、、。(38.) 

JR宮崎神宮駅(同左)
宮崎市神宮東三丁目 昭和10年(1935)
木造/平屋建 不詳/不詳
/05.11/JR九州/駅舎(同左)
 宮崎神宮の最寄り駅。だから神社風の造りを用いているのは現代でもよくあるお約束ですね。千鳥破風の仕上げと真壁造りの柱上部に用いられる舟肘木が社寺建築っぽさを醸し出しています。内装はよくある古めの木造駅舎といった色合いです。
 いくつかの意匠を取り外してしまうと、何のおもしろみもありませんが、建物というものはそういった本来用途とは関係ない意匠の組み合わせによって個性づけられているのだと再認識させる建物でした。徴古館・二代目徴古館・平和の塔とともに宮崎で見ておきたい建物のひとつです。

宮崎神宮徴古館(同左)
宮崎市神宮二丁目 昭和15年(1940)
鉄筋コンクリート造+木造/平屋建 不詳/不詳
/05.11/宮崎神宮/放置(余暇施設)
 ナマコ壁の初代徴古館の機能を担うべく建てられた2代目?建築。紀元二千六百年を記念して造られた施設で、戦後には宮崎県立博物館としても利用されています。官弊大社境内にあるからか軍事色が濃くなった時代背景からか、いったん鉄筋コンクリートで造られた構造体に木材を使い、外観は社殿風に仕上げています。
 さて、現在はなんと廃墟と化しています。博物館は境内に新築され、使用目的がなくなったからとはいえ、何とももったいない話です。(a.宮崎県総合博物館サイト.海産物くまやサイト.)

平和の塔(八紘之基柱)
宮崎市下北方町(平和台公園内) 昭和15年(1940)
鉄筋コンクリート造 日名子実三他/大林組
/05.11/宮崎県/記念碑(同左)
 アジアの発展と平和を祈るモニュメント。造られた年代や陸軍主導による建設経緯もあり軍事的色合いがあることは否めませんが、現在は平和を願う施設として位置づけられています。
 各地から石材を少しずつはめ込んでいるため、詳しく見ていくとアジア各地の石材の特徴を比べることが出来ます。ただ石材の中には、明らかに遺跡破壊なのでは、と思わせる文様のついたものもあり、当時の文化財保護に対する意識の低さも見て取ることが出来ます。
 デザインとしては純和風ではなく、アメリカ摩天楼建築にも用いられたアールデコの名残も見られ、そういったデザイン的視点で作品を見てみるのも面白いかもしれません。(a.38.大林組百年史.) 


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