近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>天女橋・国指定重要文化財 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明(文末に参考文献ナンバー)

沖縄県那覇市編

沖縄師範学校門柱(同左)
那覇市首里当蔵町一丁目 明治期か?
石造門柱 不詳/不詳
/08.1/沖縄県/静態保存(教育施設)
 かつて沖縄県立芸術大学の周辺にあった師範学校の門であった遺構です。沖縄戦により施設自体は灰燼に化し、現在は門と記念碑が近郊に遺っています。
 首里城近辺には、丹念に調べれば古くからあったであろう遺構がいくつか残存してます。首里城が復元されたものだと言うことは知っている方も多いのですが、守礼門も復元建造物と知っている方は余り多くないようです。二千円札に採り上げられたことで知名度こそ上がりましたが、私としてはこちらの方がより価値があると思うのですが、だめでしょうか。

東洋製糖1号蒸気機関車(同左)
那覇市壺川一丁目 大正2年(1913)
機関車 不詳/独ヘンシェル社
/08.1/那覇市/静態保存(静態保存)
 元々は両備鉄道で使用されていた蒸気機関車で、その後南大東島の東洋製糖の所有となり、島内のサトウキビ運搬に使用されていたようです。ただ、この状態を見て蒸気機関車だ、と言われても、どうもぴんときません。南大東島に保存されている2号機関車も同様の台車のみが保存されていた状態でしたが、後年その他の部分が復元され、往時の雰囲気を留めています。これだけを見てもふつうの人には感慨を覚えづらいかもしれません。
 台車なので、下の動輪部分を見るとなるほど、機関車であったことが分かります。しかし、復元できないものですかねぇ。 

御殿山(民家建築)
那覇市首里石嶺町一丁目 明治末期か?
木造/平屋建 不詳/不詳
/08.1/民間/商業施設(民家)
 首里城から若干山を登ったところに位置する古民家。現在は沖縄そば屋さんが改修して評判のそば屋として営業しています。リユース建築の代表例としても貴重なものだと言えます。
 ちなみに、今回掲載している那覇市の項目で、現役の施設としてた使用しているものはこちらのみです。しかも、近代化遺産とも産業遺産とも言いづらい民家・近代琉球建築のカテゴリに属する物件ですので、もしかしたら、これ那覇市になかったら紹介していなかったかもしれません。まあ、那覇市にはそれだけ近代に属する物件が少ないと考えていただければ幸いです。(66.)

泊小学校旧校舎(同左)
那覇市泊二丁目 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造/ 春成才之丞/山本組
/08.1/那覇市/静態保存(教育施設)
 壮絶な地上戦であった沖縄戦をくぐり抜け、戦後那覇市内に遺ったほぼ唯一の大規模戦前建築でしたが、惜しくも立て替えが行われ、現在は正面部分をこのように保存しています。この部分だけを見てもしっかりとした近代建築で、戦争史料館などの形でもう少ししっかりと遺していただければ、と思うと残念でなりません。
 とはいえ、那覇市では無きに等しい貴重な近代建築の遺構です。ディテールの細かさから見ても、この時期教育がどれほど重要視されていたか(それには皇民化教育の影響もあったかもしれませんが)、良く分かるものと思います。(0.泊小学校HP.)

第三十二軍司令部壕トーチカ(同左)
那覇市首里真和志町一丁目 昭和戦中期
鉄筋コンクリート造平屋建 不詳/不詳
/08.1/国/静態保存(軍事施設)
 日本で最初に造られたアーチ石橋である天女橋(那覇市上参考写真、長崎の眼鏡橋より古い)から首里城につづく道沿いにひっそりと遺されているコンクリート造施設。情報が限られているため、詳しいことは書きづらいですが、首里城地下に司令部が置かれていた第三十二軍のトーチカです。司令部壕自体は地下に埋没している模様。
 なにせ周辺に案内板があるわけでもなく、こんな形で遺構だけがある状態なので訪れる人もなく、わざわざ訪ねに行っておおよそこれがそうか、と認識するほかありません。(那覇市戦跡案内サイト.日本の戦争遺跡.)

大東糖業5号ディーゼル機関車(同左)
那覇市壺川一丁目 昭和42年(1967)
ディーゼル機関車 不詳/加藤製作所
/08.1/那覇市/静態保存(工業設備)
 南大東島を走っていた通称「シュガートレイン」のサトウキビ運搬用機関車がなぜか那覇に移設され、公園内に保存されています。南大東島のそれと比較すると、露天にある分だけ後のメンテナンスがかなり心配ではありますが、現段階での保存状況はそれほど古くないような気がいたします。
 昭和40年代の機械なので本来であれば、こちらのリストに加えづらい施設ではあるのですが、機関車が稼動した大東島の歴史的経緯と同型の機械が戦後すぐの頃から動いていたことを鑑み、おまけに近い形で掲載させていただきました。


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