近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>飫肥城 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

宮崎県日南市(飫肥地区)編

藩校振徳堂(同左)
日南市飫肥十丁目2−1 天保2年(1831)?
木造/平屋建 不詳/不詳
/05.11/日南市/静態保存(教育機関)
 小村寿太郎を輩出した由緒ある藩校。明治の近代化に寄与した施設として重要と考え掲載していますが、建物自体は江戸時代の技術を使用した建物と考えて間違いないでしょう。以前はいくつかの建物群で構成されていたのでしょうが、訪れたときはこの建物ひと棟だけで、藩校使用時の状況は分かりづらくなっていました。
 武家の建築と言うことで屋根はかなり豪奢な造りとなっています。残念ながら内部を見ることは出来ませんでした。これは次回の課題として残されています。(38.)

鳥居下公民館(鹿児島銀行飫肥支店)
日南市飫肥三丁目2−25 大正2年(1913)
木造/2階建 不詳/不詳
/05.11/民間/公共施設(金融機関)
 城下町の角地にあってやたら不似合いな建物。外観から見ると入り口導入部の曲線がなにやらユーモラスな表情を生み出しており、これはなかなかおつな色合いを見せています。これがもう少し都市部であれば、玄関部分が塔屋になるでしょうか。
 公民館として活用されているとの記述を見ますが、どこか淋しげな印象。同時並列して書かれている「鹿銀記念館」は機能しているのでしょうか。訪れた時間帯が遅かったため、判別しづらいです。ともあれ地元密着型の施設として長く保存されることを祈ります。(a.38.) 

旧飯田内科医院(同左)
日南市飫肥二丁目 大正13年(1924)頃
木造スレート張/2階建 不詳/不詳
/05.11/民間/住居(医療機関)
 宮崎県屈指の洋館。全体をハーフティンバーでまとめつつ、正面の壁をスレートで葺いている点は、日本で殆ど例がなく、玄関の大仰すぎるほどの格調の高さと共に、近代化遺産として特筆すべきところでしょう。2012年に所有者から市への寄贈が決まり、今後の活用が待たれます。
 「総覧」に載っているものの、学会データベースの近代建築カテゴリーで検索することが出来ず、非常に不可解です。これだけの建物が未だ有名になっていないのは、宮崎県の地域性もありますが、近代化遺産報告書が刊行されていない事も原因でしょう。(a.38.)

旧梅村医院(同左)
日南市飫肥六丁目 大正14年(1925)
木造/2階建 矢口矢尋(大工)
/05.11/民間/住居(医療機関)
 民家群の中でとりわけ贅をこらした洋館。周辺には洋風建築がこの他にも数件あるようですが、医院建築はやっぱり目立つように造る必要があったのでしょう。玄関部分は特にテラコッタを巡らせ、瀟洒な雰囲気を持たせています。
 現在も住居として使用されていることもあり、傷みもそれ程見られませんいつかは観光施設として公開して欲しいとは思う反面、出来るならば同じ用途で大切にこれからも受け継がれて欲しいと思う建物のひとつです。(a.38.)

富田歯科医院(同左)
日南市飫肥六丁目7−18 昭和初期か?
木造/平屋建 不詳/不詳
/05.11/民間/医療施設(同左?)
 飯田医院や梅村医院と同じ武家屋敷のエリアで現在も営業されている医院建築。外観の特徴は和風建築を改装しているという印象を受けます。下見板張りの採用などに若干医院建築としての雰囲気も見られる、というべきでしょうか。
 城下町の重要エリアである武家屋敷に医院建築が立ち並び、それらの中でも現役の施設という事実が、飫肥の町の歴史の奥深さを感じられます。位置的にも厳しい経営かと思われますが、頑張って貰いたいものです。

服部植物研究所(民間住宅)
日南市飫肥六丁目1−26 昭和16年(1941)
木造/2階建 不詳/福井建設
/05.11/財団法人/研究機関(住居)
 町の表通りにある建物なのですが、ちょっと不思議な形態をしています。モルタル塗装され玄関部分をアーチでまとめているところは、洋風と言うことも出来ますが、全体のプロポーションは少し贅沢めな和風建築。これらは最初から意図して作られたものかどうか、非常に気がかりです。
 建物の中身は蘚苔(コケ)類の研究を行う国内でも有数の研究機関で英文のみの紀要も出すなど、外観からは意外とも言える先端的な施設だと言えます。(91.服部植物研究所ウェブサイト.)


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