近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>旧高千穂鉄道延岡駅 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

宮崎県延岡市編

内藤家墓所煉瓦壁(同左)
延岡市北小路(台雲寺境内) 大正初期
銅鉱滓煉瓦造擁壁 不詳/不詳
/09.8/民間/宗教施設(同左)
 ぼうっと見るだけでは、少し大きめの寺の普通の墓地内にある、大名家の墓地境界壁で終わってしまうところですが、ここで注目するのは煉瓦の材質にあります。黒ずんでいて、やたら堅そうです。
 こちらは銅の精製の際に出てくる不純物を利用して作った銅鉱滓煉瓦と言われるもので、赤煉瓦形状に成型しているものは全国でもきわめて希です。銅鉱滓を使用した煉瓦は宮崎県奥部で銅鉱山を操業していた内藤家ゆかりの土地に僅かに見ることが出来ます。九州では希有とも言うべき貴重な産業遺産です。

カザレー式アンモニア製造器(同左)
延岡市旭町七丁目 大正12年(1923)
鋼鉄製アンモニア製造器 不詳/不詳
経産省近代化産業遺産・推薦産業遺産/09.8/旭化成/静態保存(工場設備)
 機械設備だけを見てもその貴重さが伝わらないかと思いますが、二本におけるアンモニア製造の画期的一歩を示した重要な設備であり、いち早く推薦産業遺産の認定を受けているところに九州に住む産業考古学会評議員として嬉しさを覚えます。
 この機械では空気を液化分離して作った窒素と水を電気分解して得た水素とを混合、高圧圧縮の上で合成塔で触媒と反応することでアンモニアを製造します。画期的な製造方法によって延岡の地は、大きく栄えることになる、きっかけとなった設備です。(現地案内板.)

旭化成愛宕事業所事務所(同左)
延岡市旭町七丁目 大正12年(1923)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/09.8/旭化成/工場施設(同左)
 大正期の鉄筋コンクリート造建造物は九州内でもそうそう多くはありません。延岡市では現存するもっとも古い鉄筋コンクリート造り建造物であることは間違いないでしょう。
 2階の一部は史料室として利用されていますが、まだ施設内の多くは工場の事務的機能を果たしており、設備更新の早い最先端化学工場内で建造当初より同一会社・同一用途で使用され続けている貴重な事例と言えます。古写真を見ても当時と変わらないたたずまいは、企業城下町・延岡にとって現代の城郭と言っても差し支えないではないでしょうか。(工場資料.)

旭化成愛宕事業所石油タンク(同左)
延岡市旭町七丁目 大正12年(1923)
鉄骨造 不詳/不詳
/09.8/旭化成/工場施設(同左)
 遠目から見ればどこにでもある石油タンク、と言うことにもなりかねないのですが、中の油が使用される毎に丈が下がり、減っていく内部の様子が分かるワイヤー式のタンクで、かなりの年代物です。工場内部の写真から類推して手前側に大きく写っている方は創業当時のものであることが分かっています。
 古いものだと気づいてしまうと、タンクの外側に据え付けられている柱の頭端部にあるワイヤ調整用の滑車も、どことなくイオニア式の柱頭に見えてしまいそうだから不思議です。(工場資料.)

旭化成愛宕事業所倉庫(同左)
延岡市旭町七丁目 大正12年(1923)
煉瓦造・鉄筋コンクリート造
/平屋建
不詳/不詳
/09.8/旭化成/工場施設(同左)
 明治時代の工場建築で煉瓦造が多いのは良くあることですが、大正も、しかも1920年を過ぎて煉瓦建築ばかりの工場施設というのは全国的に見ても珍しいのではないかと思います。
 工場内の煉瓦造り建造物の多くは、倉庫として利用されているとのこと。確かに化学製品を取り扱う工場ですから、強度の面で基準法上の不安がある事は工場施設としての使用にためらいがあるのでしょうが、ちょっと残念な気がすることは否めません。(工場資料.)

旭化成旧アンモニア合成工場(同左)
延岡市旭町七丁目 大正12年(1923)
煉瓦造・鉄筋コンクリート造
/平屋・2階建
不詳/不詳
/09.8/旭化成/工場施設(同左)
 工場内部に入ってみないとこんな大きな煉瓦造建造物があるとは気づかないでしょう。こんな発見があるから、工場見学はやめられません。竣工が関東大震災とほぼ同時期ですから、おそらく九州での煉瓦造り施設最晩期の建物と言えるのかも知れません。
 とはいえ、もちろん現役の工場ですから文化財としての保護措置を執ることは難しいと言えます。しかし、そのまま工場の設備更新とともに解体の憂き目を合うには、もったいない施設だと言わざるを得ません。何らかの顕彰は行うべきと考えます。(工場資料.)

旭化成ケミカルズ薬品工場(同左)
延岡市旭町七丁目 大正12年(1923)頃
鉄骨造/平屋建 不詳/不詳
/09.8/旭化成/工場施設(同左)
 旭化成愛宕事業所内にある関連会社の薬品工場。鋸屋根風の屋根形状(完全な鋸屋根とは異なる)をしており、現在はトタンに覆われているものの、なるほど古い工場なのだな、と感じさせます。工場内に残る写真から見てもこちらの続き棟の建物群は早くから写っており、当初の材が気に掛かるところです。建物の構造自体は鉄骨造と言って差し支えないでしょう。
 古写真から判断すると、どうも工場内の設備拡張に伴って道路が新設されてらしく、この工場と向かい側にある同形状の建物とがかつてひとつの大きな建物であった可能性が高いです。(工場資料.)

青山眼科(同左)
延岡市博労町 昭和9年(1834)
木造/平屋建 不詳/不詳
/06.6/民間/医療施設(同左)
 丁寧に作られた医院建築という感じがします。色合いにどこか和風を感じさせると思っていたら、これらは基本的に城郭建築のそれの色彩だと後で気がつきました。そう考えると、玄関上部にあるドーマーも千鳥破風のように見えてしまいます。
 洋風建築の最たるものと言えるはずなのに、どうしてここに「和」を感じさせるのでしょうか。宮崎が持つあっけらかんとした空気がなせる業なのかもしれない、とは後付けの印象です。医院建築として多少の内装の変更は行われていますが、保存状態は良好だとのこと。(38.)

旭化成向陽倶楽部(旧旭化成延岡支社本館)
延岡市旭町六丁目 昭和10年(1935)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/09.8/民間/事務施設(同左)
 この地にはかつて同名称の木造建築があったのですが、木造故の老朽化に伴い、私が訪れたときには既に解体されていました。部材の一部はこの施設内の展示室に移設され、会議室として使用されているそうです。
 かつての倶楽部名称を受け継いだのがほぼ隣接していたこの建物で、こちらは元々事務所として建てられました。玄関車寄せ部分には、旭化成の旧社章が遺されており、工場の歴史と風格といったものを感じさせます。

D51485号蒸気機関車(同左)
延岡市大瀬町二丁目 昭和15年(1940)
テンダ式機関車 不詳/不詳
/09.8/民間/静態保存(交通設備)
 かつてぼろぼろの状態で市役所では解体も検討されたという、瀬戸際の所まで追いつめられていた機関車ですが、地元の愛好家の手によって見事復元、懸案であったアスベストも除去されてかつての美しい状態を取り戻しました。私が訪れたときには、小雨模様であったことから人の気配はありませんでしたが、良く整備された機関車と公園の姿には好感を持ちました。
 周囲は戦後に拡張された市街地の中でも住宅群に位置づけられるところで、なるほど、このSLは常に人の目にさらされていたことで何とか延命することが出来たのだな、と感慨に浸りました。

喜楽湯(同左)
延岡市本町一丁目 昭和24年(1949)
木造/平屋建 不詳/不詳
/06.6/民間/温浴施設(同左)
 今回の掘り出し物建築。大振りな切妻のファサードはまさに古き良き時代の銭湯といった色合いです。新聞報道などによると戦後期の竣工とのことですが、建築様式としては戦前期のそれを踏襲していると考えるべきです。
 一番重要なところとしては、現在もこの施設が銭湯として使用されていることにあるでしょう。工業都市・延岡は社宅建築が多く、銭湯も多く稼働していたようです。この施設は工業都市の系譜を現在に伝える重要な歴史的記念物でしょう。(聞き取り.夕刊デイリー新聞サイト.)

宮崎太陽銀行延岡中央支店(同左)
延岡市大瀬町一丁目 昭和戦後期
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/09.8/民間/金融機関(不詳)
 縦長の三連窓が従来の様式建築を彷彿とさせていますが、階段室部分の横長な窓が見る人たちにモダニズム以降のデザイン意識を一挙に覚えさせます。竣工年代は昭和20年代、あるいは30年代初頭頃かもしれません。当リストではとりあえず昭和戦後期の建築とさせていただきます。
 位置的には、延岡市街地の飲食街中心部に当たるところで、車線も多く車がひっきりなしに行き交うものですから、、、写真が撮りづらいです。写真的にはまだ不満もあるのですが、とりあえずよしとしましょう。

延岡市公会堂野口記念館(同左)
延岡市東本小路 昭和30年(1955)
鉄筋コンクリート造/2階建 日建設計/大林組
/09.8/民間/余暇施設(同左)
 戦後の名建築と言われる作品のひとつで、見るからによく分かるモダニズム建築の典型です。玄関部分の逆アーチに意匠的なものもありますが、これもまたモダニズムに合った極限までの簡略化が行われたデザインで、全体のたたずまいをさらににシャープにさせています。
 市役所の向かいに位置しており、戦後延岡の新市街地に颯爽と登場した建物の輝きはいかばかりだったかと思います。今でもそのかっこよさは損なわれていません。(38.)


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