近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

山口県小野田市編

小野田セメント徳利窯(同左)
小野田市大字小野田 明治16年(1883年)
煉瓦造竪型焼成窯 不詳/不詳
国指定重要文化財/04.3/太平洋セメント/静態保存(窯)
 工場の端部を大回りして、少し歩くとこのような勇姿を拝むことが出来ます。現在は県文化財として一般公開されている構造物で、文字通りその形がとっくりに似ていることから名付けられた、セメント生成のための焼成窯です。当初造られた4基の窯のうち、現在遺っている物は発掘調査の結果第一号窯であることが判明しました。
 近年覆いが被され、全容を把握しづらい外観となってしまいましたが、元々はこのような外観(覆い堂の材質は異なる)であったといわれています。
 窯の周辺部は公園風に整備されており、工場でかつて使用されていた蒸気機関をはじめとする貴重な機械類が、雨ざらしでありますが公開されています。(18.工場資料.)

太平洋セメント包装品4号倉庫(旧物品倉庫)
小野田市大字小野田 明治35年(1902年)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/04.3/太平洋セメント/工場(同左)
 工場内の煉瓦造建物群の中ではもっとも古い建物のようです。後に造られる工場内の煉瓦造建物群と比べると、一瞬デザインが簡素なようにも感じられますが、よくよく切妻部分を見てみると、埋められた窓が多いことが分かります。なるほど明治期の赤煉瓦工場建築です。竣工時には華やかな建物でなかったかと想像してしまいます。
 現在は物品倉庫として使用されています。工場の閉鎖がない限り、おそらく今後も同じ用途で使用され続けることでしょう。寡黙ながら重みを感じさせる建物です。(工場資料.)

太平洋セメント工場施設(旧釘打工場)
小野田市大字小野田 明治44年(1911年)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/04.3/太平洋セメント/工場(同左)
 かなり大規模な煉瓦造倉庫型建築です。鉱滓煉瓦を使用しているかのような色合いをしていますが、実はれっきとした赤煉瓦建築。しかし煉瓦には薄くセメントがこびり付いており、遠くから見るとそうとは思えないような煉瓦建築となっています。
 普段は工場の奥に隠れており、また工場内部からはその威容を確認することが難しい作品です。徳利窯付近からはこのように全容を把握する事が出来ます。活用次第によればかなり見栄えのする姿に生まれ変わることも可能ではないでしょうか。(工場資料.) 

太平洋セメント環境技術開発センター(旧修繕工場)
小野田市大字小野田 明治44年(1911年)
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/04.3/太平洋セメント/工場(同左)
 確認する限り国内でも屈指の古さを誇る、鉄筋コンクリート造建築です。年代が古い理由は、やはりこの工場がコンクリートに必須不可欠なセメントを生産していた工場であるからに他ならないでしょう。
 明治の建物と言うこともあり、よくあるコンクリート造工場建築の典型から離れ、切妻部分にまで及ぶ越屋根には丸窓が施されています。試行錯誤のあとは柱の多さなどにも見られ、先取の気風を今に伝える典型的建物だと思います。外壁は剥落が見られ、今後が少し心配な要素も感じさせます。(工場資料.)

太平洋セメント小野田工場山手倶楽部(同左)
小野田市東住吉町 大正3年(1914年)
コンクリートブロック造/2階建 黒田某/藤井乙三郎
/04.3/太平洋セメント/余暇施設(同左)
 工場が持つ倶楽部建築というと、洋風ならば豪奢な造りの建物を想像しがちなものですが、この建物はどちらかといえば落ち着いた、大人の気品を感じさせるたたずまいを見せています。
 1階と2階を隔てる部分には僅かにラインがつけられていますが、目立つものではなく、正面からは扁平な建物といった印象を持たれます。しかし側面を覗くと対称を完全に打ち破った建物は、実に変化に富んだ構造をしており、作者の気概を感じさせます。(18.)

太平洋セメント小野田工場山手倶楽部別館(旧笠井真三邸)
小野田市東住吉町 大正初期
コンクリートブロック造/平屋建 不詳/不詳
/04.3/太平洋セメント/余暇施設(住宅)
 元々は会社社長の邸宅として造られた建物です。敷地が山手倶楽部と同じであるものもあってか、現在は倶楽部の別館として使用しているようです。設計者は不明とのことですが、山手倶楽部本館との類似性から同一の設計者の手によるものと考えて大きな間違いはないかと思います。
 建築様式は倶楽部の本館と同じくかなり革新的なものとなっています。現代のモデルルームにあっても決しておかしくないような外観は、地方工業都市にあって当時どのような評価を受けたのでしょうか。個人的に気になるところです。(18.)

山口銀行小野田支店倉庫(旧小野田銀行)
小野田市住吉本町 大正初期
コンクリートブロック造/平屋建 不詳/不詳
/04.3/山口銀行/倉庫(銀行)
 倉庫という用途のためか、見るも無惨な補修を施した外観となっていますが、コンクリートブロックの外壁と銀行建築特有のギリシャ風意匠を持った玄関部を見てみると、ただ者ではない作品だと見る人に思わせる何かがあります。
 元々は銀行の本店。しかし周辺部を見回しても、繁華街はかなりの向こう。どうにも銀行があったという感じがしません。繁華街が移動したと言うよりは、元々一般の商業者向きの銀行ではなかったと考えた方が自然でしょう。小野田セメントのための銀行と言うべきでしょうか。建物の作風も山手倶楽部に近い物があります。(18.)。

太平洋コンサルタント(旧小野田セメント施設)
小野田市大字小野田 大正10年(1921年)
コンクリート造石張?/2階建 不詳/不詳
/04.3/太平洋セメント/工場(同左)
 工場の中でも中央部奥寄りにあるにもかかわらず、姿にそれ相応の景観的配慮を感じさせる建物です。コンクリートブロック造り建物群と玄関部分や窓周りに共通性が見られますが、あからさまなコンクリートブロックを採用していないところに、実験的な趣も感じさせている建物といえます。
 工場内にあるため、多くの人がこの建物を見ることはそうそうないかと思います。それ故に、もったいないなという感想を持つのは、きっと私だけではないでしょう。(工場資料.) 

太平洋セメント3号倉庫(旧物品倉庫)
小野田市大字小野田 大正12年(1923年)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/04.3/太平洋セメント/工場(同左)
 明治期に作られた煉瓦造り建物群と構造的にはさしたる違いはないように見受けられます。唯一違っている点は煉瓦の大きさ。煉瓦の大きさによって年代が測定できるという方法は近代の建物を識別する際に有効な方法として確立しつつあるものの一つです。
 倉庫であることを物語る部分としては、建物の開口部が大きいことが挙げられるでしょう。特に大きな改造もないようで、現在も倉庫として現役稼働中です。(工場資料.)

伊藤医院(同左)
小野田市千代町一丁目 大正14年(1925年)
木造/2階建 野村伸/不詳
/04.3/個人所有/病院(同左)
 閑静な住宅地の一角に位置しており、現在では幹線道路からも僅かながらのぞき見ることが出来る建物です。正面からのファサードには医療機関が当時持っていたステータスの高さを感じさせる気品を漂わせています。
 個人病院で設計者がはっきりしていることはかなり珍しいことですが、残念ながら設計者について詳しい情報はこれ以上は分かりませんでした。(18.)

太平洋セメント小野田工場事務所(旧小野田セメント本社)
小野田市大字小野田 昭和3年(1928年)
鉄筋コンクリート造/2階建 小野田セメント/不詳
/04.3/太平洋セメント/(同左)
 昭和初期の流行であったアールデコ様式、またはアメリカ摩天楼建築を彷彿とさせる堂々とした威風です。内部の天井高はかなりのもので、近くにいる人と比較すれば、3階建並みの高さがあることが分かるかと思います。
 玄関部や1階床などに竣工当初からのものと思われる装飾が施されており、特に床のタイルは豪邸の洋館にも見られないようなセンスのある作品でした。しかし工場の宿命もあってか、おおむねの部分には用途に適うよう改造が施されています。(18.工場資料.)


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