近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>羅漢寺五百羅漢 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明(文末に参考文献ナンバー)

島根県大田市(大森町地区)編

龍源寺間歩(同左)
大田市大森町 江戸時代初期
木造支柱・坑道 不詳/不詳
世界文化遺産・国指定史跡/06.12/大田市/(同左)
 石見銀山の中でも仙ノ山周辺には600もの坑道が現存していますが、それらの中で唯一観光用に内部を見学できるものがこちら。通り抜けが出来るよう改造が施されており、それほどきつい思いをすることなく、銀山間歩の雰囲気を知ることが出来ます。
 世界遺産登録による観光客見学コースには、確実にここが入ることでしょう。当時の雰囲気は、たとえば壁面に遺されているノミ跡からも十分に感じることが出来ます。難を言えば、ひなびた雰囲気が若干整備によって失われていることくらいでしょうか。これも経年変化によってまた雰囲気を取り戻すでしょう。(a.石見銀山遺跡ガイドマップ.)

佐毘売山神社(同左)
大田市大森町 文政2年(1819)
木造/平屋建 不詳/不詳
世界文化遺産/06.12/宗教法人/宗教施設(同左)
 丘の上にそびえる神社。こちらでは精錬の神である「金山彦命」を祀っています。大振りな上屋を持っており、往時のヤマの繁栄ぶりがうかがえます。また使用されていないようですが、神楽の舞台とおぼしき施設もあります。石見系や出雲系神楽の奉納も行われたのでしょうか。
 またこの周囲が石見銀山発祥の地との説もあり、傾斜面のそこかしこには、居住の跡を思わせる石垣が散在しています。これからの研究が実に楽しみな区域であるといえるでしょう。(石見銀山遺跡ガイドマップ.)

羅漢町橋(同左)
大田市大森町 明治期
石造アーチ橋 不詳/不詳
世界文化遺産・国指定史跡/06.12/大田市/道路橋(同左)
 凝灰岩切石作りの橋梁。今回世界遺産登録された区域の中心部に位置する重要な構造物ですが、五百羅漢の反橋と比較するとそれほど知られていません。後でとりつけたと思われる高欄のデザインが、石橋のアーチを妙に似合っておりなかなか好感が持てます。
 昭和18年に発生した水害ではこの橋を除く多くの橋が流されており、そういった意味で造りの確かさは歴史が証明済みです。流れる川の名は「銀山川」。まさに石見銀山を象徴する地域であることを表しています。(37.)

大田市町並み交流センター(大森区裁判所)
大田市大森町 明治21年(1888)
木造/平屋建 高木啓吉(大工棟梁)、清水称吉(石工棟梁)
世界文化遺産・国指定史跡/06.12/大田市/行政施設(同左)
 一見する限り改装のされ方(特に壁)が著しく、どうしてもちぐはぐな印象を持ってしまいます。誘致を行った地元の方々が木材なども寄付して造られた建物で、裁判所施設として使用、戦後は法務局の支局を経て市に寄贈され、公民館となり現在に至っています。
 当時の島根県には7ヶ所の区裁判所が設けられており、この施設もそれらのひとつです。当時この地域がとても重要な地区であったことを示す、きわめて重要な遺構です。現在でも頻繁に使用されており、大森地区の遺産に対する姿勢を伺うことが出来ます。(37.)

大森鉱山清水谷精錬所跡(同左)
大田市大森町 明治28年(1895)
収銀湿式製錬所石垣 武田恭作/不詳
/06.12/同和鉱業/静態保存(工業施設)
 9段の棚田、ではありません。江戸幕府崩壊以降地元の手によって細々と経営されていた銀山の採掘権を確保した藤田組が、明治28年に操業を始めた最新鋭の製錬所として作られた施設群の痕跡です。製錬所自体は予想より精錬能力が低かったことなどからわずか1年半で閉鎖され、結果このような遺構が良好な形で保存されるととなりました。
 清水谷製錬所については、武田の出身である東大の冶金学科や所有者の同和鉱業のいずれにも資料が残っておらず、詳しいことは考古学的調査に期待するほかありません。(37.)

石見銀山資料館(邇摩郡役所)
大田市大森町 明治35年(1902)
木造/平屋建 不詳/川戸秋太郎、天野梅太郎
世界文化遺産/06.12/石見銀山資料館/資料館(行政施設)
 元々は江戸幕府が銀山を直轄する代官所が置かれた場所に作られた建物。この地が石見北部の政治経済の中心地であったことを示すきわめて重要な遺構のひとつです。郡役所廃止後は土木事務所、裁縫女学校、また幼稚園として使用された後、現在の資料館として利活用されています。
 内部はかなり改装されており、往時の雰囲気は外観が伝えていると言えます。見ての通り、私が訪れたときには世界遺産登録に向けた改装工事中のため、中にはいることが出来ませんでした。(37.)

大森町近代建築
大田市大森町 大正期?
木造/平屋建 不詳/不詳
/06.12/民間/住居(医療施設?)
 重要伝統的建造物群保存地区(通称、伝建)に彩りを添える建物群のひとつ。医療機関、或いは郵便局と推定できるのですが、はっきりと断言できる状態ではありません。現在は個人宅ですが、それにしては車寄部分に妙な威厳を持っています。
 大森地区の建物群は古くから景観整備に力を入れていた証拠のひとつでしょうか。生け垣と石垣、建物のコントラストは現在も使用されている建物であるにもかかわらず、生活感を感じさせない美しさを保っています。

栄橋(同左)
大田市大森町 昭和11年(1936)
鉄筋コンクリート造 不詳/不詳
/06.12/島根県/道路橋(同左)
 石見銀山資料館の目の前にあるコンクリート橋梁。一見目立たない雰囲気ですが、高欄のデザインにわずかなアールデコの名残をにおわせ、少し気になって見てみると戦前期の構造物でした。これ単体で見るとなかなかに風格があります。
 橋脚の手前側が駐車場、先には石見銀山資料館が控えている、まさに絶好の位置関係にありますが、それらの中では若干浮き気味です。もう少しこの橋の歴史的経緯などを紹介してくれれば、せっかくの世界遺産に華を添えることが出来るでしょうに、、今の段階ではただの年季の入ったRC橋に過ぎません。ううむ、もったいない。 


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