近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>黄金博物園 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明(文末に参考文献ナンバー)

台湾新北市瑞芳區(黄金博物園區)編

本山五坑(同左)
瑞芳區金瓜石金光路 大正期か?
煉瓦造坑口 不詳/不詳
/09.7/台北縣/静態保存(鉱業施設)
 風格ある煉瓦造坑口。サンプル写真から分かるように、操業当時の雰囲気を合わせる形で周辺を復元整備するばかりでなく、この坑口から坑内の雰囲気を伺うことが出来る体験坑道も整備されており、この博物館のサービス精神旺盛な様を知ることが出来ます。
 参照先の昔の写真を見ると、操業当初の姿は現在のそれとは違うようで、単純に1900年竣工と書くわけにも行かないような気もします。とりあえず、坑口デザインの状況から大正期くらいかな、と考えていますが、さて、真相はいかがでしょうか。(80.BLOG OF JGS.)

太子賓館(田中鉱業貴賓館)
瑞芳區金瓜石金光路 大正11年(1922)
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.7/台北縣/静態保存(住居)
 台湾内でも有数の資材をふんだんに用いた和風建築。現在は庭園のみ公開されていますが、将来的には内部の見学も出来るようになるとのこと。皇太子(後の昭和天皇)をお迎えするために作られた(実際訪れてはいない)建物で、見晴らしの良い建物配置やこの玄関部分の背景に控えた急峻な山の見え方まで巧妙に計算された、完成度の高い施設と言えます。
 窓越しに見える内部には、紫檀や黒檀、鉄刀木など日本でもおなじみの高級木材がふんだんに使用されており、往時の隆盛を容易に想像できます。(80.現地案内板.)

旧三毛菊次郎邸(同左)
瑞芳區金瓜石金光路 昭和初期か?
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.7/民間/住居(同左)
 太子賓館に次ぐ質を持つ工業関係の住居。現状見晴らしには若干の難はあるようですが、敷地に余裕があるからか、現在も住居として使用されているようです。
 三毛という姓はどうしても聞き慣れないですが、福岡県などの一部にその名が見られるようです。ただ、文献によっては「三宅」と書かれている例も若干数存在するため、詳しい検証作業が必要でしょう。具体的には、、、日本鉱業の社史でも確認してみましょうかね。(現地案内板.BLOG OF JGS.)。

四連棟日式宿舎(台湾鉱業社宅)
瑞芳區金瓜石金光路 昭和初期か?
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.7/台北縣/静態保存(住居)
 四連の鉱員住宅という形式は日本でもそう珍しいものではないですが、大きな違いは建物面積と外構にあるでしょうか。かなり立派です。同様の形式では日本にはあまり見られず、これだけの規模で立てるくらいなら一軒一軒別々に立てるパターンの方が作りやすいと思うのですが、ここは平地面積が少ない地理的要因が絡んでいるのでしょう。
 これら違和感は復元整備されたばかりということもあるかと思います。やがて年数を経ていくうちにそれまでの景観が当たり前のように蘇っていくのでしょう。(80.現地案内板.)

錬金楼(倶楽部建築→錬金工場)
瑞芳區金瓜石金光路 昭和初期
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/09.7/台北縣/静態保存(余暇施設)
 かつてゲストハウス(宿泊所)として使用され、戦後は錬金工場、のち土地銀行の事務所としても使用され、金瓜石の博物館構想が具体化するまでは廃屋のような状態にもなっていた施設。現在は地元の現代アートが展示されている、ギャラリーのようになっている模様。
 入り口が複数あるように見えますが、どこがオリジナルでどこが復元部分かおわかりになるでしょうか? 右側の玄関ポーチが復元整備、左側の若干武骨な鉄筋コンクリートむき出し部分が元のものです。(80.)

環境館(日本鉱業変電所)
瑞芳區金瓜石金光路 昭和12年(1937)頃
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/09.7/台北縣/静態保存(鉱業施設)
 かつての変電所を展示施設に転用し、見事コンバージョンを果たした事例。大型の変電機器を多数配置していたであろう、建物内部は大きく改装を受け、当時の雰囲気を知ることは出来ませんが、わざわざ元のものを使用する必要性はないにもかかわらず、きちんと整備公開する様に深い経緯を覚えます。
 博物園区の建物群は、よくよく見てみないと元々の建物か復元建造物か判別が尽きづらい施設が多く、それだけ建物に質感を備えたものを多く整備したと言えます。どの施設もこれから数十年間町の財産となっていくでしょう。(80.)

旧銅加工廠(日本鉱業鐵工廠・中央倉庫)
瑞芳區金瓜石金光路 昭和戦前期
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/09.7/民間?/不明(鉱業施設)
 現在エコミュージアムとして活用されている旧鉱山の主要施設群から少し南側に位置する鉄筋コンクリート造の旧工場施設。内部にはフィンクトラスを使用しており、いかにも工場施設であったという雰囲気がそこかしこに見られ、また守衛所も遺っています。
 現在工場内部は(若干放置気味な)バスケット場となっており、工場設備がそのままという状況にも、また復元整備されている状況でもない、周辺住民の生活の一部にとけ込んでいるようです。(現地案内板.)

旧台湾鉱業食堂・保安執務室
瑞芳區金瓜石金光路 昭和戦前期か?
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/09.7/台北縣/不明(鉱業施設)
 かつて食堂などの用途で使用され、戦後は台湾の鉱山会社がやはり食堂として使用、概ね戦後初期当時の外装が現在まで受け継がれている格好となっています。
 現状を見る限りは特に使用されているというわけではなく、また人気もないため、おそらくは倉庫などの用途で使用されているのではないかと思われます。今後何らかの形で整備公開されるのでしょうか、気に掛かるところです。(現地案内板.)

旧エアコンプレッサ(同左)
瑞芳區金瓜石金光路 光復後(1950以降)
加圧入排気装置 不詳/アメリカ製
/09.7/台北縣/静態保存(工業設備)
 金鉱山施設の入排気用に作られたコンプレッサ。日本資本による経営時代のものではなく、おそらくは1950年以降に台湾資本によって設置されたものと考えられています。
 用途としては、外気を圧縮し山内をうねるように続く送風管を介して坑内に空気送り込むことによって、坑内の淀んだ空気を換気する目的があったのでしょう。平行して二台の機械が配置されており、それぞれ500馬力程度の能力を持っているそうですが、圧力が足りない時には両方のコンプレッサを使用していたそうです。(現地案内板.)


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