近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

大分県佐伯市編

大地酒造(加島屋)
佐伯市船頭町 安政2年(1855)以降
土蔵造・煉瓦造・木造/2階建 不詳/不詳
/06.5/大地酒造/醸造施設(同左)
 船頭町商店街を代表する造り酒屋。元々は加島屋という屋号で江戸時代より同じ場所で営業を続けています。角地に面していることからか、見た目よりも中は広くまた醸造蔵らしく2層の効率的な構造となっています。
 写真にある倉はやはり明治期頃からあるとのことですが、清酒のブランドは現在瑞鳳ではなく、「雪正宗」となっています。昔のブランド名が表記しているところが、また酒屋の歴史を感じて好印象でした。(31.)

旧カイベ時計店(同左)
佐伯市船頭町 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/06.5/民間/住居(商業施設)
 商店街の隆盛を物語る施設のひとつ。壁も塗りかえられ、また改装も著しいため、一見して古い建物だと判別できる要素は軒飾りと「店計時ベイカ」のロゴのみとなっています。逆に言えば、そこの意匠が特異であるが故に、報告書記載が無くても載せてしまいたくなります。
 船頭町商店街の中心部に位置した建物ですが、やはり建物が次々と取り壊され、商店街としての密度がなくなってしまい、もうこの建物が商店として復活することはないのだな、と予感させます。
 商店街の「寿命」というものを真剣に考えさせられる施設です。実に哀しくなりました。

寳来家(同左)
佐伯市船頭町 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/06.5/民間/商業施設(同左)
 商業区域の裏通りにいかにも昔からある旅館という匂いがして、まず泊まりたいと感じてしまう建物です。この建物、泊まりたいと思いますか? こんな汚そうな宿! と思う人は近代化遺産関係に興味がない方ではないか、と思うのは私だけでしょうか。意外とこういったところが基準になると思うのです。
 建物の構造としては、下層階よりも上層階が張り出した格好をしており(城郭建築では南蛮造といいます)、これは面積を広くとるための工夫でしょうか。なかなか興味深いところです。 

美国橋(御国橋)
佐伯市鶴谷町二丁目−東浜 昭和8年(1933)
鉄骨造桁橋 不詳/不詳
/09.4/国/交通施設(同左)
 普通に歩いているだけでは、古い橋梁とは分からない作品。親柱に建造経緯などが記されているため、ようやく下を覗こうかという気持ちになるくらい、カモフラージュされています。まして、車で通るとなると果たして気づくかどうか、、、。
 航空隊の庁舎と訓練施設とを結ぶ施設と言うこともあり、名前も改名されながらもそれらしい名称となっています。後年国道として整備される際にコンクリートの路盤がかぶせられる格好となり、せっかくの桁デザインが隠れてしまっています。個人的にはもったいないと思います。(銘板.32.)

海上自衛隊佐伯基地分遣隊(佐伯海軍航空隊本部)
佐伯市鶴谷町二丁目 昭和9年(1934)頃
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/09.4/国/事務施設(同左)
 角部分に玄関部を設け、大きくアールをとった建物。装飾は少なめながら、当時としては大胆な構成に雄大さを感じさせます。玄関上部には階毎に構成の異なる窓周りを配置しており、脱様式建築ながら、デザインにも気を配っている様が伺え、また玄関部分に惜しげもなく使用されている石材からは、現代にはない建築物に対する質の高さが分かります。
 しかしながら、この施設も2009年度中の取り壊しが確定されているようで、実に残念でなりません。質の確かな建物が失われることに悲しさを覚えます。(31.)

佐伯海軍航空隊第二指揮所(同左)
佐伯市東浜 昭和18年(1943)
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/09.4/興人/放置(軍事施設)
 戦時中に作られた施設とはいえ、軍事施設だからでしょうか、丁寧なデザインと指揮所という目的にかなった見晴らしの良い窓構成は今に続く日本技術の確かさを思わせます。
 かつては施設の一部が倉庫目的に使用されていたとのことですが、現在は使用されていないようです。現存数が極めていくない指揮所ではありますが、もう既に床の一部が抜けてしまっており、出来るだけ早い修復が望まれます。確かに遺されているだけでも奇跡であるのですが、、、(31.)

旧佐伯海軍航空隊掩体壕(同左)
佐伯市東浜 昭和18年(1943)
鉄筋コンクリート造掩体壕 不詳/不詳
国登録有形文化財/09.4/興人/静態保存(軍事施設)
 工場内に保管されている掩体壕で、二基現存していますが、有形文化財として登録されているのはこちらのみとなっています。
 保存状況はかなり良好で、大きな破損の跡も見られません。工場に見学を申し込むとアポイントもなかったにもかかわらず、快く見学を許していただけたばかりか、掩体壕に関するチラシまで頂くことが出来ました。このことから工場がこの遺産を大事にしていることが容易に伺えるかと思います。地域の歴史を語る上では大事な遺産です。(55.)

旧掩体壕施設(同左)
佐伯市東浜 昭和18年(1943)頃
鉄筋コンクリート造掩体壕 不詳/不詳
/09.4/興人/静態保存(軍事施設)
 後部の補修が若干目立つ掩体壕施設。工場入口手前側にある掩体壕は文化財登録されていますが、こちらはなぜか登録されていません。一方に比べ若干小振りに見えることと、破損と応急補修の跡がくっきりと見える事が文化財登録されなかった原因であると言えるでしょう。
 日本の文化財行政の問題点と言えますが、良質なものを一点遺せば他の類似した遺産に関しては考慮しないという考え方があります。この構造物のその犠牲者と言えます。是非ともこちらも文化財登録して貰いたいと思うのは私だけでしょうか。

佐伯商業建築(同左)
佐伯市船頭町 昭和期?
木造/一部3階建 不詳/不詳
/06.5/民間/不明(商業施設)
 角地に面し、そこそこのスケール感を持った施設。1階部分が大きく改造を受けていることから、使用頻度の高い施設であった事が想像できます。商店街の角地とはいえ、周りの建物は既に取り壊され浮き出た格好になってしまっているため、ここに活気というものを感じことは出来ません。
 一番の目当てであった、石田百貨店及び大鶴荒物店が既に取り壊されていることを確認してしまうと、やはり残念という気持ちを禁じ得ません。


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