近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>島原鉄道島原駅 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

長崎県島原市編

猪原金物店(同左)
島原市上の町 万延2年(1861)
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.11/民間/商業施設(同左)
 幕末期から営業されている金物店。中にはいると最近のドンキホーテやハンズのように雑然と金物が置かれており、何か面白いものがありそうという期待感を持たせます。どこの商店街でもこういったお店には元々人を楽しませる何かがあったと思いますが、現在そんな場所を探すこと自体が難しくなりました。だから都会の人は宝探しでもするかのようにハンズへ、ドンキへ向かうのかもしれません。
 奥の建物は増築によるものです。水の町島原を象徴するかのように、店前にあつらえた井戸からはこんこんと水が湧きいで、見る人に涼感を与えます。(23.55.)

しまばら水屋敷(同左)
島原市万町 明治5年(1872)前後
木造/2階建 不詳/不詳
/05.11/民間/住居(同左)
 島原半島最古の洋風建築。さすが長崎と言わんばかりの古さを誇る建物ですが、訪れるまではこの建物の建築年代だけが妙に唐突な印象を持っていました。訪れてみると幕末期からの建物が結構遺る街並みで、だからこそこの建物も江戸末期建築の延長線の中で遺されてきたのでしょう。但し、位置関係で言うと建物は商店街の中心に位置しているため、狭いエリアで考えると、やはり唐突かもしれません。
 現在も個人所有の建物ですが、観光客誘致のため無料開放しています。見所は2階の窓枠意匠など多々ありますが、訪れる方はくれぐれもマナーを守って。(28.)

天如塔(同左)
島原市湊道一丁目7474−3 明治42年(1909)
木造螺旋構造塔屋 不詳/不詳
市指定有形文化財/11.3/宗教法人/宗教施設(同左)
 江戸時代に流行したさざえ堂と同じ二重螺旋構造を持つ、西日本唯一の塔屋、といわれています。外観内装ともに興味深い建物ながら台風の被害などにより退廃し、現在は内部を見ることが出来ません。
 塔屋の建造には海外から多くの寄進が寄せられ、その多くは「からゆきさん」と言われる海外へと移住していった女性やその類縁者からのものであったと言われます。建築的な意義もさることながら、海外へと移住せざるを得なかった女性たちの歴史をも伝える、重要な施設です。(28.)

島原鉄道南島原駅(島原鉄道湊新地駅)
島原市津町409−1 大正2年(1913)
木造/平屋建 不詳/不詳
/11.3/島原鉄道/交通施設(同左)
 現在は島原市街地郊外になった静かな町並みの中にそびえる、雄大な駅舎。もともとは島原半島と他地域とをつなぐ交通の要所であったことから、このような立派な駅舎になったようで、水色の外観と青空がよく似合います。
 竣工当初からこのような規模ではなかったようで、戦後初期に大幅な改修が行われ、現在のような形になったとのこと。駅裏には車両倉庫や待避線も設けられ、今も鉄道の拠点施設であることは変わりありません。(28.投稿情報.)

中野金物店防火壁(同左)
島原市上の町 大正期
煉瓦造防火壁 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.11/民間/商業施設(同左)
 登録文化財制度制定以降、これをまちづくりに利用しようという動きが加速しています。しかし、この構造物のように単なる防火壁を文化財登録しようという試みは非常に珍しく、正直唖然とするほかありません。
 「意欲的」という点でここでは防火壁のみを独立項目として敢えて掲載しています。無視しても良かったのでは、とか建物と同時掲載でも良いのでは、等々各人でお考えもあるかと思いますが、そこあたりの判断はお任せします。私個人では街並みのエッセンスとして、門柱を掲載するなら、これもあり、という考えを持っていることだけ付け加えておきます。(55.)

青い理髪館・喫茶店「工房モモ」(小林理髪館)
島原市上の町 大正12年(1923)
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.11/民間/商業施設(同左)
 古くから営業されていた理髪店を観光施設として再活用した例。内部は和小屋組を採用しており、やはりここにも和洋折衷の玄妙さを感じます。内部は理髪館時代の調度品をほぼそのままに遺し、喫茶店を営業しています。
 一番凄いところは、商店街のバックアップのもと民間が営業している事ではないでしょうか。観光施設の管理運営に関しては、概ねどこも行政が主体となり、やたら改装が目立つパターンも多い中、こちらは当時の雰囲気を留めていてとても心地よい空間でした。(55.公式ウェブサイト.) 

島原市立第一小学校(島原第一尋常高等小学校)
島原市城内一丁目1129 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/05.11/島原市/教育施設(同左)
 外観で特徴的な部分は、玄関上部のペディメントとそれに繋がる柱型装飾に終始されています。後年の建築である近郊の2高校に比べると、かなりあっさりと仕上げられており、ここは県立と市立の違いなのでしょうか。
 不燃建築たる鉄筋コンクリートが早く採用されたのは、島原という土地に起因しているのではないかとおもいます。江戸時代の島原大変から近年の火砕流まで、災害に対する警戒意識がこの街にはここそことなくあるような気がいたします。(28.)

JA島原雲仙島原支店(同左)
島原市城内一丁目1193−2 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/05.11/JA/事務施設(同左)
 鉄筋コンクリートながら様式を色濃く残した建物。アーチにはキーストーンを模したデザインが施され、かと思えば正面2階の庇には持ち送りも設けられており、どこか和洋の融合を感じさせる、面白い造りに仕上げられています。
 お城の側にあってあまり人通りも多くないところにあるため、目立ちそうな建物なのですが、情報はそれ程多くありません。近代化遺産報告書にも掲載されず、建築学会の資料にも掲載されていません。地元で活動する研究者の皆様、せっかくですから、調べてみてはいかがでしょうか。(23.)

島原市立第三小学校(島原第三尋常高等小学校)
島原市広馬場町7758 昭和3年(1928)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
2011年9月解体/11.3/島原市/教育施設
 島原に遺っていた瀟洒な小学校建築。角地に玄関を設ける形式は、ここ島原ではかなり珍しく、高台に建てられた立地による制約があってのことかもしれません。
 もうすぐ解体されるという話を伺ってはいたのですが、まさか自分が訪れたすぐ後になくなってしまうとは思いもよらず、、無理にでも内部見学を申し込んでおけば良かったです。公共建築は一部地域住民を除いては建築関係の人間に伝えられることなく、突如解体されます。せめて調査なり公開見学会などあってくれれば、と悔やまずにはいられません。 (28.島原市立第三小学校育友会ウェブサイト.

長崎県立島原高等学校(県立島原中学校)
島原市城内二丁目1130 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造/4階建 田中隆次/金子組
/05.11/長崎県/教育施設(同左)
 縦線を過剰なまでに強調した建築。敷地一杯に利用された幅広い校舎は威圧感というよりも、教育機関の崇高さを感じさせ、実に神々しくも見えます。通用門側には「長崎縣立島原中学校」と書かれた門柱もあり、歴史を感じさせます。柱・壁・床の全てを鉄筋コンクリートで仕上げているのも特徴です。
 建設当時の首長の指示により、鉄道車窓からの校舎眺望を意識した上で校舎の向きを東向きとしたとの話も遺されています。現在の内装・外の見晴らし最重視の風潮からは決して浮かばない発想でしょう。(28.)

島原市消防団第八分団詰所(同左)
島原市上の町 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/05.11/島原市/行政施設(同左)
 木造の、どこにでもあったような消防団詰所ですが、このタイプを見ることは現在かなり難しくなっています。今後意識的に残そうという住民のコンセンサスがない限り、このような建物が遺ることはないでしょう。
 島原市は商店街を中心に古建築を大切にしようという姿勢が見られ、そこにかなりの「やる気」を感じます。当初の用途通りに使われていると思われるこの施設ですが、将来用途に適さなくなれば、きっとそこで知恵者が上手く活用するような、そんな力強さを思わせる地域です。(28.)

堀副商店(同左)
島原市広馬場町349 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/11.3/民間/商業施設(同左)
 島原第三小学校の建つ丘のすぐ下にある薬局建築。角地に立地しており、また小川がすぐ横を流れていることから、このように鋭い形を取った印象深い商業施設となっています。一階部分よりも二階の方が若干大ぶりなのは、一見不格好にも思えますが、インパクトは十分与えます。
 角部分には洋式建築の名残を持った柱状のデザインが取り付けられており、角部分に書かれた縦書きのフォントや落ち着いた色合いのコントラストなど、角地で不定形の敷地を上手く活用したなかなかの良質な建物と言えるでしょう。(28.)

長崎県立島原商業高等学校(同左)
島原市城内一丁目1213 昭和11年(1936)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/05.11/長崎県/教育施設(同左)
 お城側から見ると近代建築が遺っているとは考えられなかったのですが、武家屋敷通り側から見ると何と何と、矍鑠とした建物を見ることが出来ました。
 他建物とのデザインの違いを勘案すると、写真左寄りの講堂と校舎の一部が昭和11年の建造と考えられます。新しく建てられた校舎群に挟まれ、窮屈な印象を持ってしまいますが、それだけ使用頻度も高い施設なのでしょう。高校生の情操感、美意識の向上にこれからも役立ってくれることを願います。(28.) 

太洋食品事務所(同左)
島原市高島一丁目365 昭和期
木造/2階建 不詳/不詳
/05.11/太洋食品/工場施設(同左)
 金太洋印の果物缶を製造している工場。普通はこのような形で工場を見る人も少ないかと思いますが、それを旅先でも見てしまうのが私の悪い癖でして(笑)。由緒ありげな建物に見えますが、会社のサイトもなく、近代化遺産報告書にも掲載されていないので、一見の私にはだいたいの年代判別でとりあえず古いことぐらいしか分かりませんでした。もうちょっと詳しく内部まで見れば分かるのですが、、、
 会社としては明治製菓グループに所属しているようです。なじみ深い果物缶の製造工場としてこれからも頑張って貰いたいですね。 

島原市役所(同左)
島原市上の町537 昭和27年(1952)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/05.11/島原市/行政施設(同左)
 正面よりも側面の幅広さが目立つ建物。随分のっぺりとした姿をしていますが、建設当時はもう少し意匠があったのじゃないかと勝手に想像しています。竣工年代から考えればこれが当初のものかもしれません
 。近代化遺産報告書には「年代不明」と記載しておりましたが、先日メールをいただき、戦後建築であるとの指示を頂き修正いたしました。確かに、近代に造られた建物と間違っても致し方のない、なかなかの質感を誇っています。位置関係としては、ちょうど左右にまたがる商店街街の中間に位置しており、活用次第では、観光の回遊性を高めることも可能ではないかと推察しています。(28.投稿情報.)


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