近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

山口県下関市(旧豊浦郡地区)編

角島灯台(同左)
下関市豊北町大字角島 明治8年(1875)
石造 ブラントン/不詳
市指定有形文化財/01.10/国/交通施設(同左)
 これを見るために角島に行っても、損はしません。日本でも有数の大きさを誇るブラントンの石造灯台です。島の内に気高くそびえている様も良ければ、歳月を帯びた石の鈍く光る様もとても優雅です。つまり端的に言うと、どこからとっても画になる灯台です。
 この灯台は数多くの奇跡の上に現在の勇姿を見せてくれていますが、一番の驚きはブラントンが正規の教育を受けた設計者ではなく、灯台の設計技能を日本に来るまでの数ヶ月で会得したことでしょうか。今を生きる私たちに学ぶことの重要さと要領の良さを得るべきだという教訓を今に伝えます。
 周辺は公園化され、誰でも灯台を気軽に見学できます。デートコースなんかに良いかもしれません。(12.) 

旧角島灯台吏員退息所(同左)
下関市豊北町大字角島 明治8年(1875)
煉瓦造石張/平屋建 ブラントン/不詳
/01.10/国/静態保存(交通施設)
 これは、と思わせるベランダ建築は灯台そばの吏員退息所です。ベランダが付いた鎧戸の建物は、見ただけで古いと感じさせてくれます。もう少し開放的であれば長崎にある居留地12番館にも似てくるかもしれません。
 現在は角島灯台公園の記念館として整備され、一般に公開されています。竣工当時の今も風が強いせいか、煉瓦造の壁に石まで張って頑丈に作られています。もっとも明治の灯台建築はどこも頑丈な造りとなっているのですが。(12.)

下関市立豊北歴史民俗資料館(滝部小学校)
下関市豊北町滝部 大正13年(1924)
木造/2階建 不詳/橋本銀之助
県指定有形文化財/05.2/下関市/文化施設(教育施設)
 滝部村、という名前を聞いてもちっともぴんと来ません。またこんなところに重厚な小学校建築があるといわれても納得する人はそういないかと思われます。この建物はそんな山間の集落に現存します。
 運動場を包み込むように両翼部を抱えた施設で、威厳を強く持っています。設計者はドイツ人といわれていますが、にわかに信じるわけにはいかないでしょう。過去ドイツ人設計、或いは舶来モノといわれる設備の虚偽申告は数多かった時代、この時期になると日本人設計者で有能な方が設計したと考えることが無難だと思われます。(18.)

旧殿居郵便局(同左)
下関市豊田町殿居 大正13年(1924)
木造/2階建 山本安一・和田幸一/不詳
県指定有形文化財/05.9/民間/静態保存(行政施設)
 おとぎの国の郵便局、という表現がふさわしいように思えます。山口には結構内陸で主要産業の特定が出来ないような地域にも唐突にすばらしい建物が数多く存在し、訪れる旅人を飽きさせません。
 設計者はこの建物を造る際、施主の要望でわざわざ東京まで足を運び、建物の着想を得たとのこと。ハリストス系の教会建築でも見たのでしょうか。物見遊山でデザインを決めた割には構成の破綻も見られません。腕と目の確かな大工さん達だったのでしょう。現在は郵便局として使用されて居らず、内部をうかがい知ることは出来ません。(18.)

JR小串駅(同左)
下関市豊浦町大字小串 大正15年(1926)
木造/平屋建 不詳/不詳
/07.2/JR西日本/交通施設(同左)
 山口県内によくあるマンサードのペディメントが取り付けられた、小洒落た駅舎。ただし、改装の度合いからかここ以外に特筆すべき意匠などの特徴は見あたりません。ごらんの通り7段分の段差があるため、規模の割には周囲からは象徴的に見える駅舎です。
 ここ小串は山陰本線の乗換駅としても活躍中で、ここだけを見に行こうと思わなくても、自然と待ち時間の関係で見学できてしまいます。今回私が写真を撮ることができたのも、実はそういった話で、、(苦笑)。(18.)

JR特牛駅(同左)
下関市豊北町大字神田 昭和3年(1928)
木造/平屋建 不詳/不詳
/07.2/JR西日本/交通施設(同左)
 玄関庇のカーブをとった持ち送り部分や庇自体につけられた装飾など、さっぱりとした外観ながら、見るべきところは数多くあります。現在はコミュニティ施設としても使用されているようですが、私が訪れたときには閉鎖しているようでした。
 この駅は映画「四日間の奇跡」でロケ地として用いられています。その痕跡はロケセットの一部はじめここから角島灯台までの各所に残されています。ここから特牛の市街までは2km以上(途中見所少なし)あるため、歩いて移動はおすすめできません。(18.)

特牛製網所(特牛製氷所)
下関市豊北町大字神田 昭和初期
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/07.2/民間/倉庫(工場施設)
 比較的規模の大きな工場施設。また鉱滓煉瓦で作られた大規模施設と言うところもなかなか貴重です。私が訪れたときには資材置き場といった印象を持ちましたが、人がいなかったため、現在も製網工場として機能しているかどうかは分かりません。
 製氷所という特性からでしょうか、窓は細々にほぼ真四角にとられており、その代わりに越屋根を備えています。日光と通気性とを勘案した丁寧な造りではないでしょうか。付属の事務施設と思われる建物は二階建てで、こちらも鉱滓煉瓦造です。(18.)

豊北町漁協特牛支所(不詳)
下関市豊北町大字神田 昭和期
木造/2階建 不詳/不詳
/07.2/漁協/事務施設(同左)
 よくある、といわれれば本当に良くある形の漁港の周辺施設です。しかし立板張で日本古来の板壁に縦長の洋風窓といった少し珍妙な取り合わせはどうにも印象に残って仕方ありません。周囲の建物に平屋建てが多いことから、余計にインパクトが増している格好となっています。
 特牛港は、そこかしこに漁港の雰囲気を伝える神社や豪壮な家など、まち歩きが好きな人間には見所が多くあります。これで交通の便が良ければもっと良かったのですけど、、

旧豊北第三中学校施設(不詳)
下関市豊北町大字阿川 昭和期
木造/平屋建 不詳/不詳
/05.2/下関市/教育施設(同左)
 結構詳細に調べられている「山口県の近代化遺産」にも載っていない教育施設。そうなると案外戦後の建物なのかもしれません。結構広めに取られた小中学校併設型公立学校の敷地に間借りしているような姿で佇んでいるように見えました。周囲は農園のようになっていました。
 見たところ駅舎のようにも見えますが、ここら辺り一帯にそのような形跡は見られませんし、そういった事実もありません。少々謎の残るもどかしい作品となって、私の脳裏に今も残っています。



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