近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>常磐公園 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明(文末に参考文献ナンバー)

山口県宇部市編

宇部市石炭記念館(東見初炭鉱竪坑櫓)
宇部市則貞三丁目(常磐公園) 明治末期?
ドラム式竪坑櫓→展望塔 不詳/不詳
/07.9/宇部市/余暇施設(炭鉱施設)
 近代から栄えていた地方都市には、決まってタワー構造物があります。ここ宇部でもその事例に外れることはないのですが、こちらのタワーはひと味違います。市街地にあるわけでなく、斜めに付けられた支保柱と言い、作り方がどこかおかしい。それもそのはず、この鉄骨材は元々炭鉱の竪坑櫓であった材料で、それを炭鉱閉山後再利用する形で展望塔にしているのです。
 展望塔にする際取り外さざるを得なかった矢弦車も地上部分にしっかり保存されており、炭鉱設備をおろそかにしない宇部市の誠意ある姿勢を見ることが出来ます。(18.)

桃山一号配水池(沖ノ山上水道施設)
宇部市大字小串 大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/07.9/宇部市/水道施設(同左)
 かつては宇部市全域を望むことが出来たであろう、小高い丘の上にある水道施設です。元々は市ではなく、市内にあった炭鉱会社である沖ノ山炭坑が独自に布設した水道であるところがポイントと言えるでしょう。
 宇部市の市営上水道開通はこれに遅れること2年かかりました。現在の宇部市上水道は、炭鉱会社が布設した水道をベースにして作られたもので、まさに今以てなお炭鉱城下町であることを示すエピソードと言えます。(18.)

桃山配水池量水室(沖ノ山上水道施設)
宇部市大字小串 大正13年(1924)
鉱滓煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/07.9/宇部市/水道施設(同左)
 配水池から市街地に上水道を挙野球する延長線上にある、メーター室。現在水道管の上には道路が造られているため、道路の真ん中に建物上屋があるという、自動車にとっては邪魔この上ない施設となっています。ちなみに、写真右側が歩道と自転車、左側が自動車専用道となっています。建物の角はこすられた跡がついており、なんとも複雑な心境です。
 この建物の通称は六角堂。しかし建物は八角形という不思議な誤解が生まれています。立地含め、何とも謎の多い施設と言えるでしょう。(18.)

永山本家酒造場事務所(二俣瀬村役場)
宇部市大字車地 昭和3年(1928)
木造/2階建 不詳/不詳
/07.9/民間/醸造施設(官公庁)
 宇部の市街地から少し北側にある、集落の中心部にある酒造の事務所です。事務所にしては少々立派なのですが、それもそのはず、元々は村役場建築として建てられた施設だとのこと。
 現在も事務用途で使用されているところに、長州の持つ文化への理解度を知ることが出来ます。1階部分は改装が著しいものの、2階の村議会議場部分については、当時の雰囲気をとどめているとのこと。一度内部見学したい施設の一つです。出来ればお酒の試飲も付けて(笑)。(18.)

長生炭鉱排気竪坑(同左)
宇部市大字西岐南 昭和8年(1933)
鉄筋コンクリート造炭鉱施設 不詳/不詳
/07.9/不明/放置(炭鉱施設)
 砂浜の先に突如として浮かぶコンクリート構造物。周囲には案内板もなければ、それが何かを語る他の構造物もありません。これはかつて海底にあった炭鉱の坑道と繋がっていた、通気口であった構造物です。炭鉱としては重大災害事故も起こった施設であり、慰霊碑的な位置づけも持った構造物と言えるでしょう。今は炭鉱も閉山し、海岸沿いには、ただ、波の音だけが響きます。
 『山口県の近代化遺産』内には、詳細調査項目に挙げられていないものの、重要な物件として近代化の歴史の中で紹介されている、貴重な遺産です。(18.)

日本国有鉄道D51−18号蒸気機関車(同左)
宇部市則貞三丁目(常磐公園) 昭和11年(1936)
テンダ型蒸気機関車 不詳/汽車製造
/07.9/JR西日本/静態保存(交通設備)
 常磐公園内にある石炭記念館に行こうとすると、通路沿いに安置されているのが、この機関車。地元を走っていた機関車と言うことで、石炭記念館に置かれていてもなるほどしかりと納得する展示品の一つと言えるでしょう。
 石炭記念館の周辺には、他の石炭関連施設と同じように炭鉱で使用されていた機械類が多く静態保存されており、炭鉱で栄えた宇部の歴史を知ることが出来ます。これで無料というのですから、実に宇部市は太っ腹ですね。(現地案内板.)。

宇部市渡辺翁記念会館(宇部市公会堂)
宇部市朝日町 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造/2階建 村野藤吾/不詳
国指定重要文化財/07.9/宇部市/余暇施設(同左)
 たたずまいだけを見ると、ここ10年内に作られた、バブル期の贅沢な施設と勘違いするかもしれません。この建物の竣工年代は昭和のしかも戦前期。これだけのデザインセンスで端正な施設を遺すことが出来たのは、さすが石炭城下町・宇部だと感心せざるを得ません。炭鉱街の先取の気性をモダニズムのデザインセンスに見ることが出来るでしょう。
 村野藤吾の代表作の一つでもあり、日本で最初に重要文化財指定されたモダニズム建築と言うことも出来ます。西日本地区屈指の名建築です。(18.)

新川橋(同左)
宇部市新天町一丁目−新町 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造桁橋梁 不詳/不詳
/07.9/宇部市/道路橋(同左)
 国道の拡幅新設に伴って歩道橋として現存している橋梁。この橋を見ることで当時の血が一の軸線と現在との違いを確認することが出来、都市計画研究者にとってはうれしい遺産と言えます(笑)。
 現在も歩道橋の用途で使用されていること、また隣接した新川大橋との竣工期に10年少々の差しか見られない事などを考えると、この橋が道路橋用途から外されたのは、構造上の問題ではなく、都市計画上の軸線の変化によるものではないかと考えられます。周辺を含め公園化されているところは、都市の余裕を感じることが出来ていいですね。(18.)

旧宇部銀行本店(同左)
宇部市新天町一丁目 昭和14年(1939)
鉄筋コンクリート造/2階建 村野藤吾/不詳
/07.9/宇部市/静態保存(金融機関)
 一見する限りでは、とても古い建物とは判断がつかないかもしれません。これは後年の改装も影響していますが、元々の造りがモダニズムの典型であることが大きいでしょう。建物の設計者は日本建築界の巨匠・村野藤吾。宇部市には村野氏の作品が、戦前戦後含め多く現存しており、村野建築が都市の顔を形成していると言えます。
 こちらの作品は、戦時中の合併により山口銀行支店として使用の後、銀行の新築移転に伴い、解体の危機にありました。しかし住民運動の高まりに押される形で逆転保存が決定、現在改装待ちの状態です。(宇部市まちづくり推進課.)

木田橋(同左)
宇部市大字車地 昭和14年(1939)
鉄筋コンクリート造桁橋梁 不詳/不詳
/07.9/宇部市/道路橋(同左)
 元役場の近郊にかけられたRC橋。かつては集落と主要国道とを結ぶ唯一の橋であったようですが、現在ではのどかなたたずまいを見せています。道路幅がそれほど無いので、うっかりと通過するだけでは歩道橋専用かあるいは水路橋かと誤解してしまいそうです。現在でも一車線分通ることが出来る道路橋です。
 この橋から旧村役場を見ると、役場が象徴的に作られていることがよく分かります。橋脚から見る集落の景観というのも、なかなかに良い研究テーマではないか、と考えてしまいます。(18.)

新川大橋(同左)
宇部市新天町一丁目−新町 昭和27年(1952)
鉄筋コンクリート造桁橋梁 不詳/不詳
/07.9/国/道路橋(同左)
 橋梁の名称は「新川橋」なのですが、同名の隣接した橋梁と分ける形で新川大橋と呼ばれているようです。正式名称は、やはり新川橋と考えた方がよいかもしれませんね。歩道橋に転用された旧橋と違いこちらはひっきりなしに車が行き交う、現役ばりばりの施設です。
 それぞれの橋梁を比較すると、デザインセンスの違いともに当時の流行と技術面の変化を見て取ることが出来ます。新川橋では路盤の下面がアーチ状になっているのですが、こちらの作品では橋脚にヒンジを付けるような格好となっています。(銘板.)


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