近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

愛媛県喜多郡内子町編

内子町児童館(旧化育小学校)
内子町大字内子 明治12年(1879年)
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
/03.7/内子町/公共施設(学校)
 白壁と洋風窓の出会いの妙を感じさせる建物です。建物としての歴史は古く、明治12年まで遡るそうです。当然用途の変遷と共に外観も少しずつ変化をしており、古写真によると四隅には石が積まれていたようです。
 内子町八日市護国地区への入口にある建物で、白漆喰の外壁は街並みに共通したものです。周囲の景観に合わせた外壁のデザイン指向は、現在よりも近代の方が進んで行われたように思えます。実に街並みにフィットした建物です。(現地案内板.内子町ホームページ)。

本芳我家(同左)
内子町大字内子 明治17年(1884年)
木造瓦葺/2階建 三浦石造
国指定重要文化財/03.7/個人所有/住宅(同左・店舗)
 八日市護国の街並みからはこの蔵が印象的に映ります。街並みとして紹介される時はこの建物を中心として写真が撮られているものが殆どで、つまりそれだけインパクトのある様相を見せていると言えます。
 網目と亀甲形の海鼠壁が落ち着いた印象を与え、街並みの骨格を引き締めています。この建物の内部を見る事は出来ませんが、庭の一部は見学ができます。青々と茂る緑の中から建物を見ると、前面と側面で建物の姿もまた大きく異なる事が確認できます。(17.)

上芳我家(同左)
内子町大字内子 明治27年(1894年)
木造瓦葺/2階建 鎌田儀三郎・藤原義武
国指定重要文化財/03.7/個人所有/住宅・展示室(住宅・店舗)
 本芳我・上芳我家ともに内子町の伝統的建造物群保存地区に面しています。この建物も通りから見ると横長い商家のように感じますが、なかに入ると奥行きが広く、また蔵は本芳我家と同じく浅黄色の特徴的な外観をしています。
 この住宅は蝋に関する展示資料館となっており、中庭から見学を行うことが出来ます。実に美しい日本家屋の一例を見る事が出来るでしょう。(17.)

内子座(同左)
内子町大字内子 大正5年(1916年)
木造瓦葺/2階建 長曽雄熹・西岡暹
/03.7/内子町/劇場(同左)
 この様に構えている劇場建築の場合、前にいくらかスペースがあった方が写真映えもするものですが、とにかく前との間隔が詰まった建て方をしており(建築当初からのようです)、全容を捉えづらい建物です。しかし建物の間隔が狭まっていると、外側にいても建物に包まれるような感覚を覚えます。そんな感覚は時に心地よく感じます。
 中は昔ながらの芝居小屋としての雰囲気を残しています。他の現存する芝居小屋に比べると飾りっ気が少なく、どちらかといえば体育館の様な雰囲気もどこかに潜んでいるように感じました。シンプルな舞台周りや花道の中で、天井に吊された西洋風ランプが妙に垢抜けていて印象的です。(17.)。

旭館(同左)
内子町大字内子 大正14年(1925年)
木造/平屋建(一部2階建) 不詳/不詳
/03.11/不明/不明(映画館)
 一時期は内子座と人気を二分したと言われる映画館でした。昭和40年代には惜しくも閉館、近年まで放置されていました。やはり遊興施設らしく、飾りの塔屋や前面の壁面張出しなど楽しさ溢れる外観を保っています。内部を窺うことは出来ませんが、側面を見る限りかなりの改造が行われているものと想定できます。が、この建物の性質上、立面の魅力さえ保つことが出来れば、文化財として中の用途を選ぶ必要性はないでしょう。
 最近では内子町が観光のために期間限定で使用、本格的な活用に向けて期待がふくらみます。(17.24.)。

内子町立図書館(旧内子警察署)
内子町大字内子 昭和11年(1936年)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/03.7/内子町/図書館(警察署)
 前面に威厳を保った造りはいかにも公共施設といった印象を与えます。もともとは警察署だったようで、様々な用途変更の後、現在の形に落ち着いています。右隣に少しだけ見えるのは明治12年建造の児童館です。
 内子の街並みは伝統的建造物群保存地区以外にも趣のある街並みが続いていますが、上空を占拠する鬱蒼とした電線が雰囲気をぶちこわしにしているように感じます。この写真に於いても然り。(17.)

C12蒸気機関車(同左)
内子町大字内子 昭和14年(1939年)
加熱ICIタンク機関車 日本車輌/日本車輌
/03.7/内子町/静態保存(機関車)
 内子駅前にある記念公園に展示されています。もともと盲腸線であった内子線が延長・電化された事を契機に、通勤・通学のための路線としてその役目を重要視される事となりました。
 この蒸気機関車は以前の内子線を懐かしむ人々が路線で使用されていた車両を展示したものです。ちなみにC12シリーズは現在も真岡鐵道や大井川鉄道で稼動しているものを見る事が出来るそうです。(現地プレート.) 

田丸橋(同左)
内子町大字河内 昭和19年(1944年)
木造杉皮葺屋根付橋 不詳/不詳
推奨土木遺産・町指定有形文化財/03.7/?/人道橋(同左・倉庫)
 内子の中心街から大きく外れた集落にぽつんとあるこの橋。肱川流域内に数ある橋の中でももっとも生活に密接した屋根付き橋と言えるでしょう。
 この地区周辺になぜ屋根付きの橋が造られるようになったのかなどといった事はよく分かっていませんが、時には雨宿りの場として、または倉庫の用途にも用いられていたそうです。現在の橋は昭和19年に架け替えられたもので、現在もその用途に変わりはありません。(10.12.17.)。


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