近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>金濱眼鏡橋 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

長崎県雲仙市編

独断的雲仙:雲仙地区…硫黄の匂いが凄まじいです。慣れればこれも旅先の楽しみですね。小浜とともにぶらぶらしたくなる街並みです。私にとっては湯せんぺいが目的の全て。とてもおいしい。小浜地区…鄙びた温泉街で、雰囲気がとても良いです。もっとゆっくりしたかった。千々石地区…全体として通過点のイメージですが、海水浴場など、楽しいところもあるみたい。直販の物産施設ではおいしいミカンがありました。

雲仙ゴルフ場(同左)
雲仙市小浜町雲仙 大正2年(1913)
ゴルフコース 不詳/不詳
/05.11/民間/余暇施設(同左)
 雲仙地区から小浜地区に下る中間地点に位置している施設。実は日本最初のパブリックゴルフコースとして開設されたものです。ただ、そう書かないと古さが理解できないところに、この写真の欠点があります。
 古さを感じさせる部分には、建築部分で応えられればよいものの、ここではクラブハウスも建て替えられていますし、、、コースは元のままなのでこれについては実際にゴルフをされる方で体感してみてください。(28.)

旧小濱鉄道千々石第一トンネル(同左)
雲仙市千々石町乙 大正15年(1926)
石造トンネル 不詳/不詳
/05.11/長崎県/道路トンネル(鉄道トンネル)
 今となっては幅の狭いトンネル、としか言えない状況ですが、鉄道が通っていたのだと考えれば納得もつくでしょう。大正末期の時代性からか、ポータル始め各箇所に石材がふんだんに用いられています。それだけに鉄道時代の雰囲気が濃密に遺されており、ドライブしているにもかかわらず、列車に乗っているような、とても不思議な気持ちにさせられます。
 まるでタイムスリップしてしまったかのような空間。ここを訪れなくて島原半島の全てを語ったことにはならないでしょう。時間があれば通るだけでなく、所々にある旧駅のプレートを眺めながら、「途中下車」の雰囲気を味わってください。(28.)

旧小濱鉄道千々石第二トンネル(同左)
雲仙市千々石町乙 大正15年(1926)
石造トンネル 不詳/不詳
/05.11/長崎県/道路トンネル(鉄道トンネル)
 単線企画でカーブがかっているトンネル。普段のトンネルであれば、それ程の違和感もありませんが、この幅員でトンネルを通ると、対向車来て貰ったら困るなあ、とどきどきしてしまいます。照明があることでかろうじて通ろうかという気にもさせられますが、これで実際大型車の離合が出来るかというと、まず無理だと言わざるを得ません。そこにこの先が見通せないカーブがかったトンネル。もうこれは伸るか反るかと試されているのではないでしょうか。
 普通車であれば、警笛を鳴らしながら通行で、ある程度の安全性は確保されます。しかし、くれぐれも運転は慎重に。(28.)

旧小濱鉄道上千々岩駅ホーム(同左)
雲仙市千々石町乙 昭和2年(1927)
石造+コンクリート造ホーム 不詳/不詳
/05.11/民間/放置(交通施設)
 民家に半分融合されているような施設。端から端まで見渡せば、なるほどホームだと言えるのですが、まあここは注意力次第と言える部分でしょう。よく見るとホームの一部は削り取られ、その先には民家の玄関があります。家全体が停車場、と言ってしまってもある意味やむなし、という遺構です。
 この奇妙さは、廃線後既に半世紀以上経っているというこの路線の特殊事情によるものが大きいかと思います。この道路は、既に廃線ではなく生活道路となっているようです。(28.)

旧小濱鉄道木津の濱駅ホーム(同左)
雲仙市小浜町富津 昭和2年(1927)
石造+コンクリート造ホーム 不詳/不詳
/05.11/長崎県ほか/放置(交通施設)
 普段通っている道路でもしこのような構造物があったとしても、恐らく気付くことはないかと思います。小浜から通っている道路が、往時の線路の幅そのままで通っており、また切り通しやトンネルなどの鉄道線の雰囲気を強く遺しているからこそ、このような構造物は強く意識してしまいます。
 旧鉄道線のの中では唯一ホームの形態が完全に遺されているもので、近代化遺産報告書の中でも特筆して採りあげられています。そのままでも登録文化財までには出来るのではないかと推察いたしますが、さて、このままの姿でこれからもあり続けるのでしょうか。(28.)

旧小濱鉄道切り通し(同左)
雲仙市小浜町 昭和2年(1927)
石造切り通し 不詳/不詳
/05.11/長崎県/道路設備(鉄道設備)
 これぞまさに切り通し。道路幅に合わせてその部分だけをしっかりと削っています。工事費が増大した結果早くに廃線となってしまった小濱鉄道ですが、その造形美たるや実に良好に保存されているのは、地元の思い入れあってのことだと思います。
 毎回考えることですが、土木構造物の中でもアースダムや切り通しの様なものを「施設・設備」と考えるか否かというところを悩みます。そこには何らかの人為的工作を加えているのですから、設備といえるのでしょうけれど、どう表現すべきでしょうか、このような場合。(28.)

旧小濱鉄道富津トンネル(同左)
雲仙市小浜町富津 昭和2年(1927)
石造トンネル 不詳/不詳
/05.11/長崎県/道路トンネル(鉄道トンネル)
 旧千々石町にあるふたつのトンネルと同一のデザインの下作られています。ただし、こちらの方が一年ほど年代が下るようです。ざっと見たところ大きな違いは感じられなかったように思います。写真の色合いからは鉱滓煉瓦っぽく見えますが、石造で構成されています。
 たかだか15年ほどしか使われなかった鉄道ですが、その遺構群が多いところは感心せざるを得ません。私は今回一日がかりで車での散策を敢行いたしましたが、ウオーキング目的で数日がかりの散策をしてみるのも楽しいかもしれません。(28.)

桜橋(同左)
雲仙市小浜町雲仙 昭和5年(1930)
石造アーチ橋 不詳/不詳
/05.11/雲仙市/交通施設(同左)
 雲仙観光ホテルから少し下るところにある橋梁。周辺の建物群の多くが建て替えられており、また高欄が架け替えられているためはっきりと意識して調べないと、この構造物が古いものとは気付かないのではないでしょうか。
 構造の主要部分は昭和5年に作られた石造のアーチ橋です。ただキーストーンが配されている所をみると、中国から伝来されたアーチ技術というよりは、幕末以降に西洋から移入された土木技術がなしたものと考えられます。今も使用されている事には拍手を送ってしまいます。雲仙観光ホテルとセットで見てみたい財産です。(28.)

小浜町小浜公民館(同左)
雲仙市小浜町北本町 昭和9年(1934)
木造/2階建 不詳/不詳
/05.11/雲仙市/余暇施設(同左)
 傾斜地に立地した建物。玄関の千鳥破風と外壁の下見板張りとのギャップが近代の不可思議さを思わせます。本来玄関直下に階段がありそこが出入り口であったとの話ですが、現在は敷地横から入る形となっています。玄関直下の池近くには、馬を停めておく金具が現在も遺っています。
 直下に泉源がある影響で、壊すに壊せない状況であるとのこと。結果小浜地区の景観形成に寄与しています。春陽館と合わせて古き良き温泉町の雰囲気を色濃く伝えています。(a.)

雲仙観光ホテル(同左)
雲仙市小浜町雲仙 昭和10年(1935)
木造/3階建 佐良敏夫/竹中工務店
国登録有形文化財/05.11/民間/商業施設(同左)
 北欧系建築様式を強く意識して作られた施設。竹中工務店が作りあげた初めてのホテル建築としても画期的ですが、外国人客誘致による外貨獲得のため国策によって作られた15ホテルのうちのひとつとしても重要な施設だと言えます。現在日本中で行われている観光客誘致の施策を先取ったものであり、その存在自体が観光を意識した戦前政府の心意気そのものだと言えます。
 もちろん現在でも泊まることができます。雲仙に来たならば、泊まらずとも一度は訪れ、高級感に浸りたい名品です。(28.)

春陽館(同左)
雲仙市小浜町北本町 昭和13年(1938)
木造/3階建 不詳/不詳
/05.11/民間/商業施設(同左)
 玄関の唐破風と両翼部が凄まじいほどの威厳を感じさせます。明治初中期の官公庁建築にも似通ったものがありますがこちらは民間建築。ベランダを付けず、開口部が多いところは和建築の様式を踏襲しています。
 雲仙観光ホテルとは実に好対照の施設です。和を求める外国人観光客がこちらに泊まったことは想像に難くないかと思います。雲仙小浜は上海租界地の外国人避暑地として人気であったとのこと。応対も大変だったのではないでしょうか。(59.)


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