近代化産業遺産 総合リスト
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>
現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地)
建築年代
構造/階層
設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)
大分県宇佐市編
九州鉄道26号機関車(同左)
宇佐市大字南宇佐
明治24年(1891)
蒸気機関車
不詳/クラウス社
市指定有形文化財/04.4/宇佐市/静態保存(交通設備)
元々は九州鉄道(現在のJR鹿児島本線)で使用するためにドイツで作られた機関車で、かなり希少なものです。九州鉄道で使用された後、戦後大分交通に譲渡され、宇佐参宮線などで使用されました。廃線後は宇佐神宮内に補完されていましたが、北九州で九州鉄道記念館が作られる際、目玉の展示物として移動される危険性もありました。しかし地域住民の努力により改めて宇佐神宮内に配置整備されることとなり、装いも新たにして現在もこの場所で見ることが出来ます。(31.)
久保酒造場(同左)
宇佐市大字長洲
大正期
木造ほか/平屋建
不詳/不詳
/06.2/民間/醸造施設(同左)
同じ宇佐でも長洲の港周辺は街道町らしい雰囲気をそこかしこに留めています。造り酒屋もそれらのひとつ。この酒造場はじめ長洲にはいくつもの酒造場が一時期あったそうですが、現在は2軒が辛うじて営業を続けています。
街並み保存にはいくつかの核が必要ですが、大規模建造物もそれらの重要な要素となり得ます。この酒蔵も有効な形で利活用されるようなまちづくりが出来ればよいのですけど、、まだ使用されているうちはそういったことは考えなくても良いですかね。
美濃歯科医院(同左)
宇佐市大字長洲
昭和5年(1930)頃
木造/2階建
不詳/不詳
/06.2/民間/医療機関(同左)
豊後高田の昭和の街並みが近年脚光を挙げていますが、こちら豊前長洲の街並みもなかなかのものです。その中でももっとも作り込まれた洋館がこちらの作品。なんと現役の歯科医院として現在も使用されています。
継続して使用する中で1階部分には改装の痕跡も見られますが、全体のプロポーションを崩すところまでには到っていません。落ち着いた外観は土壁の街並みにも上手くフィットしています。なるたけ長くあり続けて欲しい作品ですね。(23.)
小松橋(同左)
宇佐市大字長洲
昭和14年(1939)
鉄筋コンクリート造橋梁
不詳/不詳
/06.2/大分県/交通設備(同左)
駅館川のもっとも下流に位置する橋梁。アールデコ的な意匠を思わせる欄干が非常に特徴的なので、ここに掲載しようとおもったら、土木学会も注目していたようです。お陰で竣工年代などがはっきりしました。親柱含めてデザイナーの意志と言ったものを強く感じるなかなかの一品です。
現在は県道に架かるこの橋ですが、二車線道路というものは行政にあまり喜ばれないものの様で、やはり建て替えの兆しがちらほらと漂います。気に掛かるだけの強い印象を持ちました。(12増補.)
宇佐海軍航空隊指揮所(同左)
宇佐市大字江須賀
昭和14年(1939)頃
鉱滓煉瓦造/2階建
不詳/不詳
/06.2/国/放置(軍事施設)
簡素な鉱滓煉瓦造建築。民家のど真ん中にあるため、軍事目的で作られた施設だと気付くことは困難に近いです。この施設自体も違和感は感じるものの、これとはっきりと言われない限りは、目的がはっきりしない印象です。
ただならぬものを感じるのは、施設側面にある鉄柵に掲げられた看板でしょう。「国有地管理者〜」という住宅地らしからぬ看板。なるほどこの建物を軍関係の施設と思わせる数少ない証拠ではないでしょうか。(32.)
宇佐海軍航空隊滑走路(同左)
宇佐市大字畑田他
昭和戦前期
滑走路
不詳/不詳
/06.2/宇佐市/交通設備(軍事設備)
ひたすらまっすぐ延びていく道路。なるほどこれは滑走路だと感じてしまいがちですが、道路そのままが滑走路というわけではありません。往時の航空写真から判断すると、元々あった滑走路南端の一部を利用してこの道路が整備されたようです。ま、よくよく考えると飛行機の滑走路がこんなに幅狭いとは想定しづらいですな。
現在は普通の道路として供用されています、が、近年滑走路跡を記す石柱が写真のように立ちました。どこか卒塔婆のように見えて、うら寂しい印象を持たざるを得ません。(32.)
城井一号掩体壕(同左)
宇佐市大字城井
昭和18年(1943)
鉄筋コンクリート造掩体壕
不詳/不詳
市指定有形文化財/06.5/宇佐市/静態保存(軍事施設)
宇佐海軍航空隊基地近郊にある典型的な掩体壕。旧基地の周辺には現在も多くの掩体壕が遺っており、そのうちのひとつであるこの施設のみが見学目的で整備され、一般公開されています。
この地域周辺には現在も民家の側に掩体壕が多く遺っています。これは、元からあった掩体壕に沿ってわざわざ民家を造り、その掩体壕を倉庫として使用したという地域特有の事情あってのものです。一家に一台掩体壕、なんて事がこの周辺ではあるという面白い状態になっています。(32.)
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