近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>ニッカウヰスキーの樽 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

北海道余市郡余市町編

旧下ヨイチ運上家(同左)
余市町入舟町 嘉永6年(1853)
木造/平屋建 不詳/不詳
国指定史跡・国指定重要文化財/05.4/余市町/静態保存(行政施設)
 近世の北海道を想像するには不可欠な遺構。その重要性は国の重要文化財に指定されていることから多くの方に理解いただけることだと思います。非アイヌ系の人々(特に北海道以外に住む私たち)にとって、江戸時代の北海道は暗黒時代に近い感覚です。当時の人々の暮らし、生き様。そう言った物事を知る上で、交易所たるこの施設が遺っていることは、実に幸運なことだと思います。
 遠山金四郎の父がここに立ち寄ったと言います。ここではそのときの模様を想像展示しています。(45.) 

旧余市福原漁場米味噌倉(同左)
余市町浜中町 江戸後期
木造/平屋建 不詳/不詳
国指定史跡/05.4/余市町/静態保存(一次産業施設)
 倉庫建築に属されるものです。敷地内に保存されている建物群の中では一番古い施設と推定され、その構造も極めて簡素に仕上げられています。
 長屋式に続き棟となっている施設で、内部は倉庫の保存穀物ごとにセパレートされています。弥生時代以来の高床式倉庫からの系譜をそこかしこに感じさせて、近代までの日本が培ってきた技術を体感させてくれます。よって近代化遺産の類に属するか否かは極めて微妙ですが、地域性を感じさせる施設として敢えて掲載することにしました。(45.)

旧余市福原漁場・旧川内家主屋(同左)
余市町浜中町 大正5年(1916)
土蔵造/3階建 不詳/不詳
国指定史跡/05.4/余市町/静態保存(一次産業施設)
 北の漁場、というには殺伐さが欠けているようにも見えますが、そこは外観だけを見ているため。内部は期間労働者の「収容施設」といった色合いです。大部屋に、一人ひとりが寝ることの出来る面積は、まさに「寝て一畳」の世界。しかも通路を隔てて、船主家族の食卓が並べられるという、実にヒエラルキー溢れる空間です。ちょっとしたカルチャーショックを受けてしまいます。
 ニシン漁の網元建築は北海道には数カ所遺されているものの、現在ではそれも維持管理が難しく、取り壊しの危機にあります。この建物は、果たしてどうでしょうか。(45.)

旧余市福原漁場文書庫(同左)
余市町浜中町 大正末期〜昭和初期
土蔵造/3階建 不詳/不詳
国指定史跡/05.4/余市町/静態保存(一次産業施設)
 倉庫なのだか書庫なのだか、よく分からない建物。近代の書庫といえば煉瓦、という固定概念がどこかにあるからかもしれませんが、それにしても豪勢すぎませんか? これも閑散期の仕事斡旋の結果でしょうか。
 いずれにせよ往時のニシン漁網元の財力を物語る顕著な施設と言えます。外装こそ木造ですが、書籍の焼失を防ぐために実際は土蔵造の構造となっています。端から見るとやたら立派というイメージ以外何も感じさせないようなオーラがあるようです。(45.)

ニッカウヰスキー北海道工場リタハウス(旧研究所・但馬八十次邸)
余市町黒川町 昭和6年(1931)
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.4/ニッカウヰスキー/静態保存(工場施設)
 書籍によりますと、元は他のところにあった洋館を工場の施設として利用するため移設されたものとか。確かにこの建物を見ると工場という用途に不釣り合いですが、ここの工場自体が一風変わっているのでそこまで目立ってはいません。
 北海道の広い区画にあれば、個人住宅の豪勢なつくりと明るい色彩が強調されます。南の地域に見られる瓦屋根のような緩い傾斜は、こちらでは一切見られません。(45.)

ニッカウヰスキー北海道工場創立事務所(同左)
余市町黒川町 昭和9年(1934)
木造/平屋建 不詳/不詳
町指定有形文化財/05.4/ニッカウヰスキー/静態保存(事務施設)
 事務所といっても、事務員がいて、会社運営のための事務処理が、、、というよりも、便宜的な応接場に近いにおいを感じました。創業当時のニッカ(大日本果汁)は、社長がでんと構え、社員が事務をこつこつとこなすような会社ではなかったのでしょうね。
 この事務所建築を見る限り、建物の華やかさに比べ工場配置自体は実務至上主義に基づかれ作られたものだと分かります。北国の華やかな色彩に騙されていると、この中でこつこつと行われる高品質なウイスキー生産まで見抜けないことでしょう。(42.45.)

ニッカウヰスキー北海道工場旧竹鶴邸(同左)
余市町黒川町 昭和9年頃
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.4/ニッカウヰスキー/記念施設(住居)
 やはり移設された施設です。ニッカウヰスキー創業者の邸宅を保存、一部展示してあるもので、元々はこの工場敷地内にあった建物のようです。竹鶴政孝氏が工場の様子が心配で敷地内に自宅まで建ててしまったという経緯があり、後に管理の心配が無くなってから改めて邸宅を移築したとのこと。心配性且つ繊細な竹鶴氏の正確を物語る貴重なエピソードと言えます。
 移築に際してはほぼ完全に復元されているようですが、見学できるのは玄関ホールのみです。残念と言うべきか、いやはや。(45.読売新聞記事.) 

ニッカウヰスキー北海道工場1号倉庫(同左)
余市町黒川町 昭和14年(1939)
木骨石造/平屋建 不詳/不詳
/05.4/ニッカウヰスキー/工場施設(同左)
 石造りの倉庫建築。こんな建物が九州(鹿児島は別として)にあると、はて弾薬庫か、などと考えてしまいますが、そこは石造建築の宝庫たる北海道。地元の札幌軟石をふんだんに使い、重厚なたたずまいに仕上がっています。ここで出来るウイスキーはやはりおいしいです。
 ニッカウヰスキー創業者竹鶴氏は非常に時間のかかるウイスキーの仕上がり、特に火事などの災害がが非常に気にかかり、わざわざ倉庫を沼地に造ったとのこと。確かにこの周辺は今も沼地の様子を残しています。建物に環境条件が活かされた好例でしょう。(45.読売新聞記事.)。

ニッカウヰスキー北海道工場第二製品倉庫(第六倉庫)
余市町黒川町 昭和15年(1940)
木骨石造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.4/ニッカウヰスキー/工場施設(同左)
 正門をくぐるとそこはおとぎの国、、ではなくウイスキーの森です。酒類の製造工場はだいたいどこも見学コースが用意されており、試飲を含め一定のコースが設定されていますが、私は未だかつてここほど多くの写真枚数を費やしたアルコール工場はありません。どこを撮っても画になり、機能美に溢れ、しかもその輝きを失っていません。
 この施設は正門を入ってすぐに見える製品倉庫です。続き棟でいくつかの用途を持つ施設が混在しており、一概に倉庫とは言いづらいのでしょうが、皆さんも工場内に入り最初に気圧されるのはきっとこの施設でしょう。(42.45.)

ニッカウヰスキー北海道工場正門(同左)
余市町黒川町 昭和17年(1942)
木骨石造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.4/ニッカウヰスキー/工場施設(同左)
 JR余市駅から続く平坦な道の途中、突如中世ヨーロッパの城郭が立ちはだかります。よくよくプレートを見てみると、「ニッカウヰスキー株式会社」との事。駅からも見える位置にあるこの建物が、ニッカウヰスキー発祥の地である北海道工場です。
 ニッカの創業者である竹鶴政孝氏が理想のウイスキー環境を求め、たどり着いた場所がこの余市の地であったといいます。かつては現地でピートを採り、麦を栽培し文字通り地のウイスキーを生産していたとのこと。ああ、呑みたかった。(45.) 


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