筑豊炭田に於ける産業遺産

 福岡県北部・旧産炭地域には今なお多くの近代化遺産・産業遺産が現存している。2000年の大牟田・「三井三池炭鉱跡 宮原鉱跡・万田鉱跡」の国指定史跡への指定以外にもここ筑豊地域においてはその一部を保存しようといった動きも見られる。
 1.田川市石炭記念公園
ここでは旧三井伊田坑の大煙突と第二竪坑櫓が保存されている。併設している田川石炭資料館では二次資料である山本作兵衛の炭鉱絵と石炭関連の設備が屋内外に保存されている。

【左・旧三井伊田坑第二竪坑櫓、右・旧三井伊田坑大煙突】

 2.直方市石炭記念館・本館
この建物は明治43年8月に当時の筑豊石炭工業組合が直方会議所として建築したもので、現在市指定文化財として石炭資料館の用途で用いられている。地元資本の業績を中心に資料展示しており、高島炭鉱の模型図や炭鉱救護施設時代の野外設備も充実している。
【直方市石炭記念館・本館】

 3.宮田町石炭記念館
私立貝島大之浦小学校の設備を利用して開設された資料館で、貝島の企業博物館的要素が強い。貝島私学の歴史資料や貝島大之浦炭鉱の設備や統計などが展示されている。
【宮田町石炭記念館】

 4.赤煉瓦記念館
もともとは三菱方城炭鉱の坑務工作室として利用されていた施設であり、現在は日立マクセルの所有となっている。昨年登録文化財に指定された。一般見学は許されていないので注意が必要。
【赤煉瓦記念館】

 5.旧官営製鉄所東田第一高炉(北九州市八幡東区)
1901に完成したこの高炉は、筑豊炭田の豊富な石炭を背景に日本最初の本格的近代高炉として火入れが行われ、十度に及ぶ改修工事を経て昭和47年まで稼働していた。現在は市指定文化財として保存されている。
【東田第一高炉】

 6.堀川運河の利水施設
1621年から1804年までの間に、洞海湾から遠賀川までの川ひらた運送を潤滑にする為に掘削された。その後の鉄道網の発達によって昭和初期までの間に水運は急激に廃れていったが、明治・大正期における石炭産業を語る上でその存在は欠かせない。現在この堀川筋には主に次のような遺跡がある。中間水門(福岡県文化財指定) 寿命水門(北九州市文化財指定) 車屋井堰跡(中間市文化財指定)
【中間水門・レプリカ】
 
また、産業遺産の調査・研究も同時に行われている。
 7.旧日本国有鉄道志免鉱業所
元々は海軍の予備炭山として運営され、1964年に閉山した。その主要遺跡である竪坑などはNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の所轄となっている。1997年に志免炭鉱の現地調査の報告がなされ、昨年「志免炭鉱の立坑遺産 −失われた海軍炭鉱技術遺産の発掘−」の中で詳しく紹介されている。

 8.旧三井田川鉱業所百円坂倶楽部
   1911年に三井田川鉱の来客接待用の迎賓館として建造された。1999年に田川市教育委員会と近畿大学九州工学部により現状調査が行われた。

 9.炭鉱主住居・炭鉱住宅
・炭鉱主の代表的な住居の中に旧蔵内次郎作邸(築上郡築城町)・旧堀三太郎邸(直方市)・旧伊藤傳右衛門邸(飯塚市)・旧麻生太吉邸(同左柏の森)・旧松本健次郎邸(北九州市戸畑区)などがあり、これらは現存している。
【旧伊藤傳右衛門邸(現幸袋工作クラブ)】
このうち旧堀三太郎邸(旧中央公民館)・旧麻生太吉邸に関しては調査報告書が発行されている。また麻生家・貝島家の住宅に関する論文も建築学的立場からのものが発表されている。
・現在筑豊地域には未だ各地に炭鉱住宅が残存しているが、昭和初期に立てられた炭鉱住宅は老朽化や街の景観美化の名目で次々と取り壊されている。現存最大の炭鉱住宅であった田川市松原の炭鉱住宅もこのほど順次取り壊されることとなった。
【田川市松原・炭鉱住宅】
炭鉱住宅に関する論文は近畿大学九州工学部元教授の桑原三郎のものが詳細である。三井田川鉱の炭鉱住宅について取り上げ、明治・大正期の炭鉱住宅の変遷を追っている。
田川市石炭資料館では明治・大正・昭和各時期の炭鉱住宅の間取りを復原し、「産業ふれあい館」として1996年に竣工・展示している。
【田川市石炭資料館「産業ふれあい館」】