近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>佐賀県立図書館 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

佐賀県佐賀市編

旧三重津海軍所(同左)
佐賀市川副町大字早津江 安政6年(1859)〜
石造他船渠施設 不詳/不詳
/12.3/佐賀市/静態保存(工業施設)
 ほぼ埋蔵文化財と言っても良い遺産で、こちらのリストで採りあげる必要はないのでは、と言われそうなたぐいのものですが、ドックの一部と護岸が現在でも遺されており、近代化遺産総合調査報告書にも掲載されていることなどから、ここで項目を設け採りあげています。
 元々はここで船の製造と修理が行われており、近年の発掘調査では日本最古の階段状ドライドックであったことが判明致しました。UNESCO世界文化遺産国内暫定リストに入っておりこれからの進展が注目すべき財産と言えます。(21.)

旧三省銀行(同左)
佐賀市柳町 明治15年(1882)頃
木造/2階建 不詳/不詳
県指定重要文化財/07.12/佐賀市/静態保存(金融機関)
 むくり屋根の土蔵造で、いかにも明治初期に造られた銀行建築といった「似合わない」造りです。金融機関という考え方が導入された当初、国内各地では商人感による為替取引が行われていたものの、銀行というシステムがなかったので、大きな為替商が蔵を銀行という形にしたことが想像できます。内装は擬洋風建築のたたずまいを持っており、金融機関として使用されていたことが分かります。
 しかし建物だけを見てみると、庄屋さんがお金の貸借りを仲介していたという想像ばかりが、頭を駆けめぐります。間口がもっと狭ければ、蔵にしか見えません。(21.)

旧古賀邸(同左)
佐賀市柳町 明治17年(1884)
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.2/佐賀市/静態保存(住居)
 隣接した古賀銀行の頭取を務めた古賀善平の建てた自宅で、戦後は料亭「千鳥」として使用されていたそうです。現在は佐賀市の所有となり隣接した旧古賀銀行とともに歴史民俗博物館の施設として保存されています。
 たたずまいや建物構成ともに完全に和風建築の系譜にある建物で、正直掲載するべきか否か考えたのですが、古賀銀行に隣接しているという位置的な重要性と現在の野外博物館的な使用方法に共感する意味で掲載いたします。(21.60.)

さがレトロ館(佐賀県警察本部)
佐賀市城内2丁目 明治20年(1887)
木造/2階建 不詳/不詳
/05.5/佐賀県/事務施設(同左)
 佐賀城の近くにあって、和風建築とは違った古めかしさを醸し出しています。基本的なアーチ窓の繰り返しと和風の延長線と思われる軒部分の処理は、完成された洋風建築にはない魅力を見せていると思います。色合いも古典調に仕立てており、そこもなかなか好感が持てます。
 元は県警本部であった建物で、かつては学校教育関係の組合等が入居し、看板もいくつか掛けられてさながら民間の雑居ビルのようでした。現在は大幅改装の上観光目的で使用されていますが、写真は元のものを使用しています。(a.21.)

松原社陶製鳥居(同左)
佐賀市松原二丁目 明治22年(1889)
陶器製鳥居 岩尾久吉・金ヶ江長作・峰熊一
/07.12/宗教施設(同左)
 日本に二つしかない、と言われていた陶器製の鳥居ですが、有田・長崎のほかにここ佐賀市にもあったという動かぬ証拠。他の二件は野外に置かれていますが、こちらは覆い屋根を付けており、かなり大事にされている様が伺えます。
 表記の仕方こそ異なりますが、有田に遺る陶山神社鳥居と同じ制作者によるもので、制作年代も近接していることなどから、同じ型で造られた姉妹作ではないかと考えられます。ここあたり、詳しい研究が必要なところです。(21.)

松尾写真館(同左)
佐賀市松原三丁目2−17 明治28年(1895)
木造/2階建 岡田/不詳
/11.7/個人/商業施設(同左)
 二階部分に三角のペディメントが付けられ、かなり洋風を意識しながらも全体的には瓦屋根のたたずまいが気になってしまう擬洋風建築のたぐいと考えて良いでしょう。屋根の一部が硝子になっており、ここだけでも写真館だと容易に判断できます。
 元々は料亭であった店舗を改装・活用して作られたものだそうで、佐嘉神社に近接した立地にもある意味納得と言えるでしょう。明治からの伝統ある現役写真館としてこれからもかくしゃくとした姿を見せて欲しいと思います。(21.)

旧日本基督教団佐賀教会宣教師館(同左)
佐賀市赤松町 明治29年(1886)頃
木造/2階建 不詳/不詳
/12.3/民間/住居(宗教施設)
 一見見ただけではその貴重さがわかりにくい建物。よくよく見てみると、2階部分は連続アーチのパルコニーで、その天井部分は網代になっています。これはコロニアル形式の建物の典型的パターンであり、この特徴だけで明治期の建物と見当が付きます。
 調べてみるとなんと19世紀の建物であるとのこと。なるほど現在住居として使用されているが故に改造が激しく、なかなか古いとも言い難いかもしれませんが、さがレトロ館という名称で活用されている旧県警本部と並び明治中期の洋風建築として活用されるべき文化財候補と言えます。(21.)

旧古賀銀行本店(同左)
佐賀市柳町 明治39年(1906)?
木造/2階建 不詳/不詳
県指定重要文化財/05.5/佐賀市/静態保存(金融機関)
 堂々たる銀行建築。数度の改築が施され公共施設として現在まで使われていましたが、近年歴史資料館としてリニューアルオープンしました。内装は数度の改修が施されていたため、想像を含めながら復元が行われました。内部はかつての様子を活かしながら地域の歴史を紹介しています。
 横はかつての長崎街道に面しており、この通り沿いを中心にして4棟を「歴史民俗館」として整備しています。通りを歩きながら往時を偲ぶ、散策観光に適した形態を持つ施設です。(21.)

藪内写真館(同左)
佐賀市松原2丁目 明治44年(1911)
木造/2階建 不詳/不詳
/05.5/民間/商業施設(同左)
 お堀端に残る洋館。洋館と言っても何人も寄せ付けないような高級感を漂わすものではなく、こちらは生活感がにじみ出ている施設で、何だか懐かしい気持ちになれます。
 市街地の中ではどちらかというと裏通りに当たります。かつては人の行き交うメインストリートであったのかもしれません。その中で洋風建築は当時の花形建築としてもてはやされたことでしょう。玄関上部2階バルコニーはコロニアル建築の模倣でしょうか。近代都市の「背伸び」を思わせ、ほほえましく感じます。(21.)

佐賀県知事公舎(同左)
佐賀市中の小路 明治末年
木造/2階建 不詳/不詳
/05.6/佐賀県/住居(同左)
 知事公舎と言えば、北海道知事公舎のように登録文化財となり、一般にひろく公開されている例もありますが、こちらはひっそりとたたずんでいます。市内にある建築の中でも特に古い建物で、修繕にも年々費用がかかっているようです。こういった公共建築ほど、いつの間にか取り壊された、なんてことが実に多く、心配でなりません。
 この建物の裏にはホタルが出る水際があるとのこと。周囲は市街地ながら静けさも持ち合わせており、贅沢な気がする街並みです。まさに高級住宅地、と言ったところでしょうか。(a.) 

戸上電機製作所本社(同左)
佐賀市大財北町 大正14年(1925)
木造/3階建 不詳/小柳建設
/05.6/戸上氏/事務施設(同左)
 佐賀県が世界に誇る製造業のひとつ。最新機器を取り扱う業態のその本社に古典を感じさせるところに、佐賀の懐の深さをしみじみと感じます。工場内には見たところまだまだ名のある施設が遺っているようです。学会の都合で何とか見に行きたいものです。この建物だけでも十分と言えばそうですが。
 本社事務所は建造当初2階建で、昭和13年に現在の3階建に改装されたとのこと。それ以降はまずい改修も行われることなく、今も美しいたたずまいを市街地に残してくれています。(21.)

佐賀大学「菊楠シュライバー館」(佐賀高等学校外国人宿舎)
佐賀市本庄町大字本庄
(佐賀市与賀町西精)
大正15年(1926)
木造/2階建 不詳/松尾建設
/09.2/佐賀大学/教育機関(同左)
 佐賀大学の一角に保存されている建物。もとは大学の前身である佐賀高等学校の外国人宿舎で、現在は移築の上、「佐賀大学地域学歴史文化研究センター」として使用されています。
 報告書に載っている写真と比べるとかなりきれいになっていることは言うまでもないのですが、内装は使用しやすいようにかなり改装されているようです。少々残念に思う反面、建物がこれからも長く使われていくためには仕方ないことなのかもしれません。

牛島町公民館(不詳)
佐賀市東佐賀町 大正期
木造/平屋建 不詳/不詳
/05.6/民間?/生活施設(同左)
 小さな公民館建築。類似した建物をいくつか見たことがありますが、和風建築の付属部分でもなく、単体で街中にぽつんと残されている例は比較的珍しいといえます。面しているとおりは長崎街道に沿っており、往時の繁栄を物語る建物のひとつと言えます。ただし、市街中心部にあるわけでなく、続き棟になっているわけでもないため、その注目度は極めて低いものです。
 年代がよく分からない建物のひとつです。ひとつひとつの特徴はあるものの、どの年代にも良くありますから、、こういうの。(21.)

公文式与賀町教室(商店建築か)
佐賀市与賀町5−20 大正期か
木造/2階建 不詳/不詳
/11.7/民間/商業施設(同左)
 神社前にあるかなり大ぶりな建物。間口の部分に相当の改修が施されているため、当初の用途を判断しづらいところではありますが、概ね神社の参拝客を見込んだ何らかの商店だったのではないか等と考えています。
 二階部分の縦長の窓はサッシの交換が行われており、現在でも何らかの形で使用されていることは間違いなく、これほど立派な姿を今でも保っているのであれば、文化財登録などの措置を施して欲しいと思うのは私だけではないでしょう。

徴古館(同左)
佐賀市松原2丁目 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/ 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.6/鍋島報效会/余暇施設(同左)
 きれいに整備された鉄筋コンクリート建築で、多少出入り口が大仰に作られていると、どうしても斎場か宗教建築と考えてしまいますが、こちらはそれらのどれにも当てはまらない資料館です。藩主に対する崇敬の念を宗教的なものと考えるとなるほど、と思うところもありますが、ここでは論を置くことにします。
 どちらにせよ、かなり象徴的な建物であることは間違いないでしょう。車寄部分は丸く処理されており、車を横付けするには、少々不便な形状です。ここへは徒歩で来い、と言うことでしょうか。(21.)

旧池田医院(同左)
佐賀市松原2丁目 昭和5年(1930)頃
木造/2階建 不詳/不詳
/05.5/民間/住居(医療施設)
 市街地ど真ん中にあるにもかかわらず、この建物のまわりだけは郊外といった空気を漂わせています。近くにはお堀を挟んだ格好で県庁や徴古館、藪内写真館等が立ち並び、良好な歴史的空間を作り上げています。何よりも水際空間であることが、歩いていて心地よさを感じました。
 建物の特徴としては、何と言っても玄関部分の厳めしさが挙げられます。上部がバルコニーに出来るような高さに設定されているわけでもなく、ただ医療機関の格の高さを表しているように感じます。これも都市の彩りのひとつでしょう。(21.)

佐星醤油事務所(同左)
佐賀市唐人一丁目1−16 昭和6年(1931)
木造/2階建 不詳/光野伸市(大工)
市都市景観賞/11.7/個人/醸造施設(同左)
 一階部分の窓に施されたアーチ型の意匠がいかにも印象的な建物。玄関が広めに採られておりますが、これは建物の奥部に現役の醸造施設を抱えているからです。縦長の窓とモルタル塗装された壁面、それに瓦屋根はいかにもな和洋折衷の事務所建築と言って良いでしょう。
 道路を挟んだ向かい側には商店街のアーケードがあり、百貨店にも近く、市街地に近接した醸造施設として極めて貴重な存在です。(21.)

佐賀県警察本部体育館(佐賀武徳殿)
佐賀市城内一丁目5−56 昭和6年(1931)
木造/平屋建 不詳/不詳
/11.7/佐賀県/(同左)
 佐賀城内にあり、どちらかと言えば目立たない建物の部類にあたるのですが、建物のタイプの問題と言うよりも間近に佐賀県庁をはじめとした大ぶりの建物が多いからではないかと考えています。昭和初期から武道館として使用されており、現在でも柔剣道の施設として使用されている、かなり貴重な存在です。
 建造当初からは屋根部分に改装が行われており、竣工当初は千鳥破風の飾り窓が天井に施されていたとのこと。設計者の心意気を今見られないのは少々残念なところです。(佐賀県庁ウェブサイト.21.)

ニコニコ理容(ニコニコ美髪館)
佐賀市多布施1丁目 昭和9年(1934)
木造/2階建 不詳/不詳
/05.6/民間/商業施設(同左)
  近代化遺産報告書で特記される、なかなかの民間建築。華美な装飾の代わりに角部分のトーチ状装飾と右読みの「館髪美コニコニ」の文字。建物好きならずとも、一度見たら気になる建物ではないでしょうか。
 一番うれしいことは、同じ看板を掲げ同一用途で今も使用され続けている事でしょう。こういった施設が活き続けている都市には、変わらない魅力を感じます。大量生産・消費社会の中で貴重な都市ストックだと断言できます。(21.)

旧佐賀銀行呉服町支店(同左)
佐賀市呉服元町 昭和9年(1934)
コンクリート系造/2階建 清水組/清水組
/05.5/佐賀銀行/展示施設(金融機関)
 4本のオーダーと丸窓が銀行建築たることを堂々と主張しています。地方都市にはひとつ必ずといって良いほどあった銀行建築ですが、最近では徐々に少なくなってきました。
 問題点はやはりこのアーケード。建物はかなり窮屈に見えます。商店街のアーケードを取り払う例が、最近見られるようになりました。その理由は様々ありますが、この建物を見ると理由のひとつが何となく分かるような気がします。 (21.)


牟田銭湯(同左)
佐賀市唐人二丁目2−37 昭和初期か
木造/2階建 不詳/不詳
/11.7/民間/不明(商業施設)
 唐破風の屋根を頂いた入口を持つ、典型的な個人経営による銭湯施設。きんんねこのような施設が確実に少なくなっており、こちらは果たして現役の施設か否か、、、はなはだ心許ない感じが致します。住居としての使用は行われている模様。
 二階部分のカーテンウォール気味な仕上げを考えると、あるいは戦後の昭和30年代くらいの建物かもしれません。いずれにしてもこれからどんどん稀少になっていく業態の建物であることは間違いなく、早めの保護と顕彰が求められます

開運橋(同左)
佐賀市多布施一丁目−伊勢町 昭和10年(1935)
石造桁橋 不詳/不詳
/09.2/佐賀県/交通施設(同左)
 街道沿いに造られたにしては、若干おとなしい意匠で構成されている橋梁。高欄の部分が鉄筋コンクリートと御影石との混構造で造られているのが特徴と言えます。その後の経年変化によって、コンクリート部分は黒ずんでしまっている反面、石の部分は色が変わっていないため、なんだか不思議な色合いを見せています。
 周辺域はかつて市街地であった雰囲気をかろうじてとどめているものの、郊外の体を見せている閑静な地区です。これからも長く使われ続けることを願います。 

旧島薬局(同左)
佐賀市与賀町3−9 昭和12年(1937)
木造/2階建 柳(設計・施工)
市都市景観賞/11.7/個人/(同左)
 角部分の円柱状の塔屋部が一番のチャームポイントとなっている商店建築。辻の堂交差点の角地に位置しており、一階部分にはスクラッチタイルが多用されるなど当時の時代背景を色濃く伝える代表的な作品となっています。
 横長の窓などモダニズムの影響をも感じさせ、当時としては最先端のデザインモチーフと思われる意匠が所々にあり、単なる地方都市の建築とは言いがたい気品をも感じさせます。現在は使われていないようで、建物としての将来が少し心配なところです。(21.)

戸上電機製作所第二工場(同左)
佐賀市大財北町 昭和13年(1938)
木造/平屋建 不詳/不詳
/12.3/戸上電機製作所/工業施設(同左)
 遠巻きに見ると講堂のように使用されているかと思っていた建物。報告書を詳しく読むと洋小屋組木造トラスが連続した工場建築として使用されているようです。入り口から拝見する限り、かなり増築による改装が行われているようですが、これも現役の工場施設として使用さているので仕方ないことでしょう。
 戸上電機はこういった歴史的建築をかなり大切に使用しており、是非とも一度見学したいところのひとつですが、、、工場のセキュリティの問題もあり、なかなか難しいのでしょうか。近くから見てて見たいと言うほかありません。(21.)

日本国有鉄道D51−206号蒸気機関車(同左)
佐賀市栄町1−1 昭和14年(1939)
テンダ式機関車 不詳/日立製作所
/12.3/JR九州/静態保存(交通設備)
 まるで艶消し処理でもやっているのかと考えてしまうくらい、保存のために付けられた「てかり」がまるっきりはがれてしまった蒸気機関車。しかもこの機関車、ヘッドプレートもなくなってしまったようで、なんともやるせない気持ちになってしまいます。
 佐賀市役所の前に置かれ、しかも人気も高いD51なのに、この仕打ちはないのではないか、とか考えてしまいたくもなるのですが、昨今の文化財への予算削減を考えるとこれもやむないことなのでしょうか。いやいや、ここくらいは予算確保して貰いたいものです。(b.)

築地反射炉記念碑(同左)
佐賀市長瀬町 昭和16年(1941)
煉瓦造記念碑 不詳/不詳
/09.2/記念碑(同左)
 このリストに本来ならば載せない記念碑施設。しかし、その造りが近代の系譜を持つものならば、掲載しないわけにはいきません。昨今そこら辺で出来るような、機械造りの御影石ではございません。しっかりと詰まれた質の良い煉瓦でできた、手間暇掛けて造られている立派なモニュメントです。
 この地に完成した反射炉を用い、佐賀藩はいち早く大砲を製造することによって幕末の動乱期に重要な役割を演じました。たかが記念碑と言われるかもしれませんが、ここから日本の近代が始まったと言っても良い、重要な遺産です。(佐賀市ウェブサイト.)

佐賀県菓子工業組合(同左?)
佐賀市八幡小路 昭和期
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.2/民間/事務施設(同左)
 小さな作品ながら、玄関前にちゃんとロータリー風の庭を設けているところに尋常ならざる雰囲気を感じさせます。玄関部分はおそらく若干の改装・増築が行われているかと思いますが、興味深い造りとなっています。
 他の物件に比べると見所は少なく、正直言ってなんと言うことはない建物と言われればそれまでですが、シュガーロードの一端を担う佐賀県に大きな影響を与えたお菓子の歴史を考える上で載せておきたいと思い掲載いたしました。

佐賀県庁(同左)
佐賀市城内一丁目1−59 昭和25年(1950)
鉄筋コンクリート造/3階建 阿部美樹志/大林組
/11.7/佐賀県/行政機関(同左)
 戦後復興の責務を一手に担った戦災復興院総裁である阿部美樹志が設計した堂々たる官庁建築。戦後期の作品ではありますが、タイルを多用して装飾性も少なくない造りに仕上げられており、周囲のモダニズム建築と比べても何ら遜色がありません。
 佐賀市内中心部は空襲による被害が少なかったことから、戦前からの建物も多く遺されており、ついついそちらに目が行きがちですが、城堀の中は戦後期の建物群に注目すべきでしょう。(佐賀県建築士会ウェブサイト.) 

植田産婦人科医院(同左)
佐賀市与賀町2−53 昭和戦後期か
鉄筋コンクリート造?/2階建 不詳/不詳
/11.7/民間/医療機関(同左)
 いかにも病院という印象を持つ清楚な造りにスパニッシュ瓦がひときわ映えます。近寄ってみると、二昔前ならばジャイアントオーダーを使用しているであろう玄関前の柱は簡素にまとめられ、モダニズムの美しさをも兼ね備えています。
 木サッシの使用などからそこそこ古い建物だとは思いながらも、やはり戦後期の作品では無かろうかと感じています。あるいは昭和10年代でこのような建物が出来ていたとしたら、設計者オーナーともに凄まじく高度のセンスを持っていると絶賛すべき所ですが、、、さて、実際の所が気になります。 


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